文教祖の心配事(幹部名義で蓄財したことが不安の種) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■幹部名義で蓄財したことが不安の種

「(中略)一九七〇年も後半期に入りました。(中略)公的なことを追求しているか、私的なことを追求している自分であるか。公的なことを追求していたのに私的になっていた自分ではなかったか、ということを考えて見なければなりません。公的であったのが私的になってしまったら、必ず折られてしまうのです。そこにどんなに力を入れても、役に立ちません。信仰生活をしている人間が、物質問題を扱うと、お終いになりやすいのです。精神的な分野を扱っている人間が、物質的な分野にすべての観念を投入して願ったら、大体がお終いになりやすいのです。これは物質と精神のうちで、より公的なものが精神であるからです。

こんな観点から見るとき、我々におきまして、銃の販売事業をすることは外的な面では助けになるのすが、内的な面では大きな害をもたらしています。それで先生が昨年一二月から今まで、月給を支給していたのを断ち切ったのです。それにもかかわらず、未だに事業隊員の間にもトラブルがあり、地区長たちの間にもトラブルがあるのです。そんな地区長たちはこれからを見ていなさい。その地方をどんなに発展させようとしても、発展しないのです。私はそのように見ます。そんな人がここにいたら、悔い改めるのです。

神を重要視するのであって、金を重要視しては駄目です。(中略)祭壇に供えた祭物をもって闘う教団は、滅びるのです。そんな場には、神様は臨在されないのです。何の話か、分かりますか? 言い換えれば、教会堂を造って争えば、その場からきっと神様は離れるのです。精神を中心にしてきたことを、物質を中心にしてゆくなら、相当に多くのことを克服しなければなりません。(中略)

外国(日本他)の食口たちは自分たちが献金するのは、先生の為に使ってもらうことを願っているのです。先生が使ってその次に、皆さんを通して使用されるのを願っているのです。そのように願って献金しているのです。何の話が、分かりますか? このようにするのが天法です。天の道理だというのです。これを先生が使わないで、子供たちに全部使っても、それは先生の勝手にすることですが、これは原則ではありません。これは仮説的なある条件を立ててやることです。従って皆さんは常にこんな公的な基準を中心に、選択して生きなければなりません。

先生が心配しているのは、我々の工場の株主がすべて、三六家庭、七二家庭、一二四家庭、皆さんを立てて増資してきているので、もしもその後孫たちがこのために争う時がこないかということです。そうなれば統一産業は、滅びるのです。今の世の中は金のために親子が互いに争っていますが、そうならない保障がありますか? そうなれば天倫でも何でも、みな売り飛ばしてしまうのです。とはいえ先生が、金が惜しくて皆さんを不信するのではありません。私が皆さんを一〇〇%信じても、皆さんの息子・娘の代になって信じた通りにならないで、反対の立場にたったら、皆さんは霊界に行ってどうしますか? 何の話が、分かりますか? 体面も、威信もありません。ではどうしなければならないか? 今から良く処置しておかなければなりません。それで増資をする時、自分の父親が死んだら財産を全部教会に寄付する、という覚書を受け取っておくことさえ考えているのです。

(中略)うちの子供たちが私に「パパ、ベンツを買って」と言うのです。しかし私にどんなにお金があっても、ベンツは買いません。「ベンツ一台買うお金で、クラウンやコロナのような車を一二台、一三台買えるのに、どうしてこれが買える? 私は死んでもそうはできない」というのです。しかしながら子供たちの心は、そうではありません。このように先生は、生活のすべてを比較、批判して生きるのです。(中略)先生はヒョウジンさんを始め、子供たちを全部このように考えています。六千年の間、神が復帰摂理をされて捜し求めた、所望の息子・娘であるのです。だから良いものの中でも、最も良いものを買ってあげなければなりません。こんなことを分からない人間は、自分の息子・娘にだけ、良い物を買ってあげると考えるかも知れません。しかし先生は子供たちに物を買ってあげるとき、こんな私的な考えは絶対にしません。天を代身した場で、多くの父母がやらなかったことを代わってやり、蕩減して解怨成就の条件を立ててあげると考えるのです。またこうすれば、安らかなのです。でなければ私から見るとき、正しく合っていないのです。(中略)」
(心情と公的生活 1970年8月11日トンミョン旅館)




昔、韓国の幹部は自分の「隠し財産(献金の横領?)」を息子・娘の教育や家などにつぎ込んでいたのですね。それが、文先生が幹部達を信じられない内容だと・・・・。
今、2011年に入ってますが、1970年に文先生の心配した通りになっています。(そういう意味では先見性があるのか、はたまた韓国人の国民性を見抜いていたのか)
文先生の直系の息子達は、財産と覇権をめぐって争っているようですし。