日本統一教会「空気銃摂理」の出発点(3) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

1964年12月13日 第1回全国空気銃狩猟大会(韓国)が開催されました。このときから、統一教会は「銃製造」を摂理と称して、邁進していきます。

文教祖は、1960年の聖婚から1966年までは、家庭的基盤を重要視して、家庭的摂理で「崔元福女史」との重婚生活(三人で夫婦生活)に力を注ぎました。そして、1967年第二次七年路程に入ると「先生は内的な立場であり、皆さんは外的な立場です。それと同じように、私たちも教会分野と経済分野に分けられなければなりません。すなわち二元化時代になるのです」と宗教法人と経済法人を完全に分けて活動することを文教祖は指示します。それで「子女の時代」になったと理由で、対外的には文教祖の指示ではなく独自に活動して見えるように、幹部達を「宗教担当」と「経済担当」に分けさせたのです。宗教法人は非営利団体であるため、経済部門を別に作ったのでしょう。経済基盤を得るために、平和と反対側の「銃器製造」で万物復帰を計画します。銃製造は、韓国政権に擦り寄るためだといわれています。

※1964年7月15日 日本統一教会・宗教法人として承認
※(日本における)宗教法人とは、法人格を取得した宗教団体の事である。営利を目的としない非営利団体であり、公益事業もできる公益法人の一つ。


ちなみに文国進氏の「銃器会社・Kahr Arms」は空気銃ではなく「本物の拳銃」です。
『24歳の1993年「Kahr Arms」という銃器製作社を設立し、現在黒字規模、約100億円位まで発展させた。10代頃から銃の設計を趣味でやってきた。文理事長は拳銃、「KAHR-MK40」を設計する等、アメリカで6つの特許をもっている。(ブログ全面的徹底改造計画その壱より)』
「Kahr ArmsのHP」
http://www.kahr.com/

こんなの販売しています。(実弾拳銃です)
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ご存知「Kahr Arms」のモデルは朴知鋭夫人です。
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■「銃摂理」における文先生のみ言葉

真の御父母様の生涯路程(5)より

第五章 第二次七年路程

八 教会および経済の二元化と銃砲事業

<銃砲事業を中心とした経済基盤復帰(一九六七年から)>

一九六七年に初めて「経済基盤復帰基台完成」という標語を掲げることができました。それ以前には、先生は「お金のことを考えては駄目だ」と、皆さんに言いました。しかし先生は、皆さんを苦労させながら背後では経済問題を中心として一段階先を行っていたのです。その当時、大体七年もすれば相当に難しい状況に処してしまうだろうということが分かっていたので、先生は一段階先に立って経済問題を心配してきたのです。それで造ったのが銃工場です。私は、十二年間、工場を発展させてくるとき、大韓民国のいかなる企業主よりも多くの精誠を込めました。神様はそれを御存じなのです。私が決心して自信をもって進む時、悪なるサタンは後退するようになっています。これは鉄則です。先生の経済観には私心がありません。大韓民国の運勢を支配するところに神様があられ、また大韓民国の経済を建設するところに神様の経綸がある限り、私は大韓民国の誰よりも私心を離れ、公的な立場からその目的を追求してきました。それゆえにここで誰かが言いがかりをつけて反対するならば、その反対した人が敗れていくというのです。このような信念をもっていくならば、できないと思われることもみなできるのです。私は、統一産業に一日に三度も通った日が何度もありました。毎日行くのは言うまでもありません。夜十二時前後に帰ってきて、朝早く出掛けるのです。何をしに出掛けるのですか。精誠を尽くさなければならないのです。産業基盤を通じて天に橋を架けようとすれば、産業に従事しているいかなる人よりも精誠を込めなくてはならないでしょう。天運の先を行かなければならないでしょう。私が忘憂里峠を行き来しながら「お前たち霊たちは、私が行ったり来たりすることを知っているが、この世の人々は(それを)知らない。私は今は、この手に何もない惨めな道を出発しているが、十年、二十年、三十年後を見ていろ。必ず民族が私たちの力に頼り、世界が私たちの力に頼る経済基盤があるはずだ」と考えたのです。南山を回っていき交通巡査に引っ掛からないようにするため、逃げ回ったことがどんなに多かったことでしょうか。そうして千年の経済基盤を築かなければならないので、千年期間に、そのどの時代にももち得なかった精誠の道理を通し、蕩減条件を立てるのです。また、未来において、神様の祝福の経済基盤が我が統一教会にあるのを予見したため、そのようなまねをするのです。そうして、先生が一つ言いたいのは、先生はこの地において銃を中心として事業をしてきたので、今後統一信徒たちはみな、銃に対する関心をもたなければなりません。一九七〇年代になれば、先生が精誠を込めながら直接引っ張ってきた時代は過ぎ去るので、それ以前に作った銃は、将来、歴史における宝物となるのです。

<国家防衛と銃砲事業>

この銃は、先生が神様のみ旨のために先頭に立って開拓したものです。そのように先生が心血を注いで精誠を込めてきた物なのです。それを自分の家門の家宝として残そうと思えない皆さんにどうして銃を売ることができますか。三面が敵に包囲された韓国の実情を見る時、今後は思想的観点を正しく立てて国家と民族を保護しなければなりません。ゆえに、国家防衛のための思想に責任をもってアジアを防御する中で霊界に行くようになる時には、後孫たちに厳粛にこの銃を引き継ぎする式をしなければなりません。このような思想を息子、娘や娘婿に継承していくことができなければなりません。現在の国家情勢から見る時、先生は、間違いなく大韓民国が防衛産業を重要視する時が来るだろうと考えています。十年を中心としてそのような時を見越しつつ歩んできました。ところで案の定、今時が来たのです。今回、国が「軍事力を強化する」と言ったので、あちこちで「工場を造る」と言って大騒ぎです。今年は、十年間精誠を込めた内容を通して最後の勝敗を決定しなければならない年です。もしこの時を逃してしまえば、十年間精魂を込めて築き上げた塔が崩れさってしまうのだということを知らなければなりません。そのためどんな無理をしてでも、五月前までには今年の計画量を達成しなさいと命令したのです。先生は、この時代に責任を負った者として、予備し、準備せざるを得ない立場にあるのです。これをしなければならない責任があるため、そのような冒険をしたのです。私は、今年すべての要員が一致団結して動けば、政府が要請するものは成し遂げることができると判断しました。本来、六月末までにはお金を準備しておかなければならなかったのです。しかし、七月までにお金を準備してから政府と契約を推進したのです。今年の九月から、資金問題を心配することなく押し進めていける契機が準備されました。先生が外国に行き、そのような覚悟のもとですべてのことを指示しました。それで私たちが七月末までに契約を完了したのです。昨年(一年かけて)千辛万苦の末に作った数量を、今年は四月の末までで作り上げたのですから、ものすごく一生懸命仕事をしたのです。

<空気銃販売現況と計画>

今は国を生かさなければならない非常時です。全国民が動員されなければならず、全霊界が動員されなければならないこの時にあって、人の後ろで休んでいては駄目です。また、現在在庫が五万丁ほど残っています。これを月賦にして一万五千ウォンずつ収金するようになれば、七億五千万ウォンになります。そうすれば全部で九億七千万ウォンになるのです。そこに日本に送るものまで合わせれば、十二億ウォンに該当する資源が作られるようになるのです。既に作ってある物だけ売っても、三億ウォン以上の現金になります。ですから今年の販売の全国大会さえよく行えば、我が国のどんな大財閥も問題ではありません。韓国での販路は、ある段階までくれば途切れることでしょう。今年が最後かもしれませんが、うまくやれば一九七〇年代へと越えていくこともできるでしょう。今年、日本に二千五百丁を送りました。今年、一万五千丁出れば、来年は三万丁ないし五万丁まで出るだろうというのです。今年、先生は米国に五百丁送りました。「今年だけで日本で一万五千丁出た」と言えば、米国の食口たちは「ひゃあ」と言うのです。「日本で五万丁、十万丁を売った」と言えば、米国はそれ以上売らざるを得ないのです。先生は米国全域を巡回しながら調査しました。米国は黄金市場であり、処女地です。そこには無尽蔵の資源があるため、数など超越して販売することができるのです。今後私たちは世界に出ていかなければなりません。今年末まで、でなければ遅くとも来年四月までは、四十カ国に私たちの宣教部が設置されるでしょう。皆さんは知りませんでしたが、現在ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ギリシャ等に宣教師が赴くことになっています。先生が世界巡回時、どこに聖地を定めたのかさえ連絡してあげればすぐに赴くようになっているのです。アフリカの多くの国にも宣教部が設置されています。今後遅くとも三年ないし四年以内には、三百六十箇所に宣教部が建てられることでしょう。名もない国、国連に加入できない国にまで全部宣教師を送り出すつもりです。

<水澤里工場運営と拡張>

私たちが水澤里に工場を建ててから満三年四カ月になりました。一番最初はトラックで数台にしかなりませんでしたが、今はトラック数百台になってもなお余ります。これまで私たちは悲惨な生活をしてきました。しかし今回、水澤里に韓国で一番の施設を造りました。今後私たちは誰よりも豊かに暮らさなければなりません。先生は今年も一千八百万ウォンを投資しました。今後これが二元化される時、苦痛があるだろうということが分かったので、これを補給できる補給路をこれまで講究してきたのです。昨年も八百万ウォンを投資しました。このように非常作戦をしてきたのです。でも皆さんは、すべてのことが自然にできると思ったでしょう。これまでソウルでこの複雑な環境を切り開いてくるため、どんなに多くの辛苦をなめたか知れないというのです。難しい問題が起こるたびに、私の信念を神様と一致した立場に連結するため、ありとあらゆる冒険をしたのです。私たちは、一九六七年六月から物品税に対する免税を受けています。一九六七年六月からこれまで満二年四カ月の間、免税の恵沢を受けたのです。その間、あらゆる方面に努力し、三年計画をもってこれまでやってきたのです。したがって、三年の内にすべてのことを整理しなければならないのです。もし物品税を納めるようになれば、一丁の銃も作ることができなくなります。贅沢品に対する物品税が七五パーセントであるため、私たちは工場の門を閉めるほかないようになるのです。それゆえ、そのような時に備えて四年前から機械を製作してきました。初めは機械については何も知らない状態から冒険をしたのです。しかしながら三年を計画したことが、一年八カ月目にして二台の機械を造るようになりました。そうして満三年になった現在、私たちの工場の機械の内、九〇パーセント以上が私たちの手で造られています。これまで日本から輸入してきていた一千五百万ウォンぐらいの機械も、今では私たちの手で簡単に造ることができます。性能面でも全然引けを取らないのです。ですから、今後工場で銃を作らなくても工場を休ませることなく回転することができ、工場にいる人々も生活できるようになりました。このような基準を立てるまで、背後において先生が心配し、冒険しながら決定してきたということを知らなければなりません。現在の韓国の実情から見て、これ以上は銃は売れないと言いましたが、先生は今年、五百坪近くの土地に第二工場を新築しました。それで今後生産量を倍に増やす考えです。一年に少なくとも百万丁、百五十万丁まで作る計画です。そうしてから工場をもっと建てるつもりです。七一年度後半までに世界的な大きな工場を造るつもりです。そして今回、水澤里工場に社宅を建てようと思っています。韓国で一番の社宅を造ろうと思います。そして工場も今よりももっとたくさん建てるつもりです。今後私たちの工場に入ってきてから出ていく人は、絶対再び入ることができません。また一九七二年まではどこの工場よりも少ない月給にするつもりです。先生はこれまでの生涯で、日曜日はもちろん一カ月に一回も休みませんでした。一日に十八時間以上仕事をしました。現在皆さんは、一日に十二時間仕事をしています。しかし今後はどんどん短縮させるつもりです。また、待遇も改善してあげるつもりです。皆さんの宿舎を見ると、こんな所に人が住めるのかという感じを与えるほどです。たとえ豚小屋のような所に住んでいても、その豚小屋から天国が開かれるのだということを知らなければなりません。

<教会と事業組織二元化措置(一九六九・一〇・一六~二一、全国地区本部巡回)>

それで、一九六七年から二元化しなさいと先生が指示したのです。原理的な立場から見ても、二元化させなければなりません。ところが二元化しなさいと指示したのにもかかわらず二元化しなかったので、今年の六月に先生が直接断行したのです。二元化させてしまえば、先生に責任があるので、六カ月間は最小限の生活費の面倒を見てあげるのです。第二次七年路程は子女時代です。ですから先生は内的な立場であり、皆さんは外的な立場です。それと同じように、私たちも教会分野と経済分野に分けられなければなりません。すなわち二元化時代になるのです。二元化の原則は何よりも重要です。教会責任者と経済責任者をはっきりさせておきましょう。このような立場から見た時、今日統一教会自体内でも、組織が完結されなければなりません。すなわち、人をつくることにおける代表機関が教会であり、物質に対する組織が事業部です。人が物質を主管しなければなりません。


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