統一教会の2つの天紀元年(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

統一教会が陽暦をやめ陰暦を採用し、新しい元号も制定されたということで、さらに色々調べてみました。
・1960年天紀元年
・1977年天紀元年
・1993年成約元年
・2001年天一国元年
・2010年天基元年


調べたら結構出てきましたね。前回の記事「統一教会の2つの天紀元年(1)」にも書きましたが、1960年に「天紀元年」を宣布されていますが、1977年にも「天紀元年」が宣布されていますね。
2つの「天紀元年」の発表の経緯を以下紹介します。


●最初の「天紀元年」の説明
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聖書にある未知の事実を明らかにし、黙示録を解釈して、神の御旨を成しとげ、再臨成約聖徒を神の国に復帰させることに貢献することを神命とするという統一教の教理は、どこまでも対外宣伝用の看板であり、実際は文鮮明教に過 ぎず、自称メシア化のおとし穴に過ぎないものである。したがって、統一とか原理とかいう単語はキリスト教を欺く用語の羅列に過ぎず、中身は文鮮明の誇大妄想症に過ぎないのである。
 文鮮明は一九六三年八月一七日に再臨メシアが到来すると宣伝したが、失敗に帰すると、一九六七年四月五日にキリストが世界に君臨すると虚言を弄し、一九六〇年を天紀元年とはしゃいだが、いずれもその予言は偽りであることが暴露され、その後は何年何月何日に再臨主が降来するといった話はしなくなってしまった。これはキリスト教を辱しめ、自身の神格化を企てる道具として宣伝する芝居であった。
かかる終末観の宣伝は、教勢拡張のための脅迫であって、自らの基盤が固められた後は、終末日の到来はうやむやにごまかしてしまったのである。
★「金明熙氏の訴状」より
(「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社)の巻末に掲載)
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実はこの証言以外に、新たに教会での「主の路程」の講義内容「1974年1月26日(高山伝道所)日本語訳版」の中に、この「1960年天紀元年」の内容があります。「金明熙氏の訴状」は統一教会を離れた信者の証言内容だったので、信憑性に疑問が残りましたが、正式に教会から出された内容の中にそのことを確認することが出来ました。


では講義内容の、最初の「天紀元年」の記述です。
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1954年~1960年までの第二次七年路程は第二のエバが倒れた為失敗された。残された喜進様は第二の位置としてイエス様を象徴されている。
1960年~1967年 第三次七年路程に出発される
1960年3月1日(日)父母の日(天紀元年)決定された。
これは大先生の御聖婚が成立される為には、復帰された子女を立ててから父母が聖婚されるのが原則なので、金元弼先生、劉協会長、金栄輝先生の三人に約婚式をなさられた大先生は、その約婚基台(?)の2女(誤読の可能性あり)に真の父母として立たれたのである。その約婚基台はそれぞれ内容があり、金元弼先生は愛情の心情の証人(ヨハネ的使命)、金栄輝先生は倫理的証人(ヤコブ的使命)意的なのである。
1960年3月10日(旧) 御父母様の御聖婚式
1960年10月1日(旧) 子女の日
 この年の年頭標語は「生涯成功の実績を残す者となろう」 個性完成
1961年  36双の聖婚式があった。
     この基台は霊界の解放を意味する。
標語  「天の代身者となろう」 理想相対完成
(「主の路程」の講義内容「1974年1月26日(高山伝道所)日本語訳版」)
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●2回目の「天紀元年」の説明
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(3)ファウンデーション・デー
 訳注:米国統一教会が米国政府から公認された日であり、マジソン大会、ワシントン大会の日とも重なるので、米国ではこの日を特に祝う。世界的基台を確立した重要な日が二つあります。それは、1974年9月18日と1976年9月18日であり、マジソン・スクウェアガーデン大会とワシントン・モニュメント大会の日です。1976年6月1日には、ヤンキースタジアム大会がありました。私たちは、これらの指標となる記念日を、別々に祝うことをしません。真のお父様は、9月18日を「基台の日」として宣言され、これら三つの日の勝利をしるして、その日に、特別の記念礼拝をもつようにと発表されました。『Today's World』の1980年12月号に掲載された「ワシントン・モニュメント大会の記念」と題したスピーチの中で、郭錠煥牧師が、この日の意義を説明しています。
 ワシントン・モニュメント大会は、世界的蕩減条件とどんな関係があるのでしょうか。まず、神の摂理の観点から見るとき、アメリカは、再臨の時に全世界を代表する国家として、神によって準備されてきました。第2に、アメリカの建国200年祭の運動は、神の理想と真の目的を語ることを忘れていました。そのような環境の中で、真の父母様は、世界からの代表者たちを集めた大会を組織し、開催することができたのです。神を中心として、私たちの大会ば神はアメリカを祝福す。というテーマをもっていました。従って、すべての200年祭の大会の中でも、特別の意義をもっていたのです。1976年アメリカは、国家として建国200年祭を祝いました。
 この200年は、キリスト教歴史2000年の終わりに、象徴的に来ました。1976年という年は、2000年のキリスト教歴史の頂点であり、アメリカの歴史の200年目の年であるというだけでなく、その年に、真のお父様が第1次21年路程を短縮することができたという点で、神の摂理において、象徴的に重要です。お父様は1977年2月に天紀元年を宣言され、最後の7年路程を短縮することができました。これが、神の摂理歴史におけるこの時の意味なのです。ワシントン・モニュメントの勝利後は、真の父母様を信ずる者は、国籍を問わず、永遠なる勝利基台の上に立つことができるのです。
 第2に、その時点から、サタンの運勢は下がり、天の父の運勢は増しています。天の父の運勢について、あなた方に注意をしておくことが一つあります。摂理的観点から見て、神の権威と影響力は増大し、サタンのそれらは減少しているかもしれません。しかし、天の父の運勢が今、増大しているからというだけで、すぐに奇跡がおこることを待ったり望んだりしてはいけません。そのような奇跡は、すぐにあるいは簡単には起こりません。
 第3に、真の父母様は、私たちに、勝利の基台を相続できるようになってもらいたいのです。実際に、私たちの運命であるホームチャーチは、ワシントン・モニュメントの勝利によって得た最も重要な成果のうちの一つです。ホームチャーチのリーダーとしての私たち一人ひとりは、氏族的メシヤの位置にあります。従って、この勝利的基台の上に立つことができる私たちは、どんなに幸福な者であるかを認識する必要があるのです。
(「伝統(第一巻)」第14章 祝日と記念日より 36家庭郭錠煥先生の説明)
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なぜに「天紀元年」が2つもあるのでしょうか?文先生は「天紀元年」がお好きなようです。現在の当会の元号は「天基」ですよね。教会の公式HPで、たまにタイプミスで「天紀元年」とか打っていたりします。これを見た時「三回目の天紀元年??」とか思いましたが、単なる打ち間違えのようでした。
1960年の「天紀元年」は現在教会では全く無かったことになっていますね。み言葉を捜しても、教会史を探してもどこにもそんな記述はありません。
資料として、全て抹消してしまったようです。777双までは「血分け」もオープンに語られていましたし、この「天紀元年」も、このときまでは確かに存在していました。いくら、摂理が勝利しなかったとはいえ、設定した元号を抹消する必要はどこにあったのでしょうか?
そして、1977年2月に「天紀元年」という元号を再び使用しなければいけなかったのは何故なのでしょうか?
文先生はこの「天紀」という元号が大変お気に入りのようです。理由はわかりませんが。

「2013年基元節に昔の年号と組織名称を元返し」へ続く

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「元号の複数制定は復帰原理に反する」(hitosatoのブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/hitosato551/7922852.html