2007年 枯れ紅葉の京都
26 愛人生活と新しい愛人と捨てられた愛人生活 -9
(祇王寺を訪れたので、『平家物語』「祇王」に脱線中。)
泣く泣く「ゆるし」を乞い、
念仏三昧の生活をともにしたい、
それが叶わなければ一人念仏しながら野垂れ死にする!
と、尼になって現れた仏御前(ホトケゴゼン)の覚悟を聞いて、
もちろん祇王(ギオウ)は仏御前を許し、迎えた。
このとき祇王が仏御前に答えたセリフで、
やはり祇王は、仏御前は何も悪くないとわかっていながらも、彼女を恨んでいたことがわかる。∑(-x-;)
(↓原文)
「誠にわごぜの是ほどに思ひ給ひけるとは、夢だに知らず。うき世の中のさがなれば、身のうきとこそ思ふべきに、ともすればわごぜの事のみうらめしくて、往生の素懐をとげん事かなふべしともおぼえず。今生も後世も、なまじひにし損じたる心地にてありつるに、かやうに様をかへておはしたれば、日比のとがは露塵ほどものこらず。今は往生うたがひなし。此度素懐をとげんこそ、何よりも又うれしけれ。我等が尼になりしをこそ、世にためしなき事のやうに人もいひ、我身にも又思ひしか、様をかふるも理なり。今わごぜの出家にくらぶれば、事のかずにもあらざりけり。わごぜは恨もなし歎もなし。今年は十七にこそなる人の、かやうに穢土を厭ひ、浄土をねがはんと、ふかく思ひ入れ給ふこそ、まことの大道心とはおぼえたれ。うれしかりける善知識かな。いざもろともにねがはん。」
(以下、誤訳を恐れぬ意訳三昧。^^;)
「あなたがこれほどまでに思っていらっしゃるとは夢にも知らなかったわ。
私ったら、清盛さまに白拍子である私が捨てられるのは辛い世の性(サガ=習い)で、それでこんな都を離れた嵯峨野にいるのだから、白拍子であった我が身の不運、清盛さまなどという非情の男に囲われた我が身の不運を辛いとこそ思うべきなのに、ともすれば、あなたのことをばかり恨めしく思えてしまって。
現世でこんな風に人を恨んでいたのでは、念仏にしっかり専念できなくて、後世で極楽往生できないだろうし、現世では清盛さまに捨てられくじけた人生。後世でも現世でも中途半端なしくじった心持ちだったのです。
あなたがこんな風に尼になっていらっしゃったので、日頃の科はこれっぽっちも残りません。ああ、もう往生間違いなしっ! 嬉しいわ。
(注:「日比のとが」が、祇王が仏御前をお門違いに恨んでいたことを指すのか、仏御前が祇王を貶めることになってしまったという仏御前の「とが」を指すのか、私はよくわからなかった。多分、祇王の仏御前に対する恨みの心を「とが」としている?)
白拍子のトップスターであった私が、清盛さまに捨てられ、辛い目にあって出家したことを、世間の人も私自身も意外なことのように思った。
でも、世の中を恨み、我が身を恨んでいた私たちの出家は、当然のこと。あなたの出家に比べれば、意外なことでもなんでもないわ。
あなたは恨みも嘆きも持っていない、今年17歳になる若く美しい人生の盛りの人なのに、このように汚らわしい現世を嫌って浄土を願うなんて、なんて深い仏への思い入れなのかしら。これぞ本当の仏道を求める偉大なる心よ。高徳の人よ。さぁ、一緒に極楽往生を願いましょう!」
( ̄□ ̄;)
ここまで長々『平家物語』「祇王」を読んできて、目に付くのは、祇王の恨みがましい性格と、白拍子という身分を歎く心と、差別されることの無念さ。そして、登場する女性全員に共通して窺えるのが、女の分の悪さ、弱さを歎く心である。
「白拍子だから」、いとも簡単にケンモホロロにある日突然捨てられる。
「白拍子だから」、捨てられた後もおめおめと辱めを受ける。
「女ゆえに」、権力者の思うがままに翻弄される。
「女ゆえに」、この世の中で辛い目を見る。
ちょっと大袈裟に言えば、身分差別、性差別への憤りが見て取れるではないか。
白拍子1人、現世ではいかんともしがたい。
ならば来世、死後の世界で幸せになる可能性に賭けたい。(。-人-。)
せめてそんな希望を持って生きていけるということは、現世において救いであったろう。(ノω・、)
南無阿弥陀仏と唱えるだけでそれが可能なのだから、とにもかくにも縋ろうというもんだ。☆-( ^-゚)v
そこで、一向専修に念仏だ。
極楽往生を祈って念仏する際、原本で、ただの「念仏」ではなく、わざわざ「一向専修に念仏して」とあるのは、きっと狙いがある。
女の非力さ、身分で差別される世の中の辛さを歎く祇王たちだからこその、「一向専修に念仏」ではなかったのか!?| 壁 |д・)
「一向専修に念仏」という言葉を読めば、まずは「一向宗」が、そして「一向宗」とくれば「一向一揆」が連想されるのではないだろうか?
で、「一向宗」やら「一向一揆」をちょいと調べたら、どちらも鎌倉時代以降のこと。祇王の時代(平安時代)のものではなかった。祇王たちは「一向宗」など知らないはずだよね。なーんだ。┐( ̄ヘ ̄)┌
だから、ここでは「一向宗」でいうところの「一向念仏(ひたすら念仏を唱えるという一向宗の念仏)を唱えること」を意味しているのではないよね?
ただ副詞的に「一向専修に念仏」=「ひたすら専念して念仏を唱えること」の意味で使われているのだろう。
まぁ、一向宗の萌芽が既にここにあると言えるだろうし、一向宗を広めるために後世の人がわざわざ「一向専修に」と、語り加えたのかもしれない。ヘ(・o・Ξ・o・)ヘ
私にゃ、どちらでも、ど~でもいいのだが、“一向宗の場合、女性差別がなかった”らしいという点が気になる。
仏教では、ホトケの前には皆同じ人間。みな仏性(ブッショウ=仏になる性質)を秘めた同じ存在。
だから、身分制度で差別されている人は余計、仏教を愛しただろう。差別のない後世での暮らしを思ったことだろう。
しかし、仏教と言えども、女性は汚らわしいものとして蔑まれている面が多々ある。
21世紀の今だって、女人禁制の寺はいくつもある。 アレ、カチン!ト来ルノヨネ。
日本に限らず仏教に篤い国では、“生理中の女性は入ってはいけない”ということをあからさまに臭わせる寺もあった。
ところが「一向宗」は女性も平等に扱われたという話がある。仏の前には身分差別も、性差別もないと。
男も女も、南無阿弥陀仏と唱えさえすればよいと。
どこまで本当か、宗教に疎い私は確認の仕様もないのだが、
おそらく祇王たちのような悲哀、抗議の声が、親鸞や蓮如をして一向宗を作り出していったのかもしれない(?)。
これまた余談だが、「一向宗」を調べていたら、「踊り念仏」という言葉が出てきた。歌ったり踊ったりして念仏する要素があるらしい。「死体の上をかけていく」など、踊りといっても白拍子のようなものではないようだが、その原点は、もしかしたら白拍子からきているのではなかろうか?
歌い、舞い踊り、身分差別や性差別を歎いて、その理不尽さを訴え、あらゆる人間が仏の前で等しい存在であることを人々に広めていった白拍子と一向宗……なんか、すごく繋がりがあるように思われる。
(25へ) つづく (27へ)
26 愛人生活と新しい愛人と捨てられた愛人生活 -9
(祇王寺を訪れたので、『平家物語』「祇王」に脱線中。)
泣く泣く「ゆるし」を乞い、
念仏三昧の生活をともにしたい、
それが叶わなければ一人念仏しながら野垂れ死にする!
と、尼になって現れた仏御前(ホトケゴゼン)の覚悟を聞いて、
もちろん祇王(ギオウ)は仏御前を許し、迎えた。
このとき祇王が仏御前に答えたセリフで、
やはり祇王は、仏御前は何も悪くないとわかっていながらも、彼女を恨んでいたことがわかる。∑(-x-;)
(↓原文)
「誠にわごぜの是ほどに思ひ給ひけるとは、夢だに知らず。うき世の中のさがなれば、身のうきとこそ思ふべきに、ともすればわごぜの事のみうらめしくて、往生の素懐をとげん事かなふべしともおぼえず。今生も後世も、なまじひにし損じたる心地にてありつるに、かやうに様をかへておはしたれば、日比のとがは露塵ほどものこらず。今は往生うたがひなし。此度素懐をとげんこそ、何よりも又うれしけれ。我等が尼になりしをこそ、世にためしなき事のやうに人もいひ、我身にも又思ひしか、様をかふるも理なり。今わごぜの出家にくらぶれば、事のかずにもあらざりけり。わごぜは恨もなし歎もなし。今年は十七にこそなる人の、かやうに穢土を厭ひ、浄土をねがはんと、ふかく思ひ入れ給ふこそ、まことの大道心とはおぼえたれ。うれしかりける善知識かな。いざもろともにねがはん。」
(以下、誤訳を恐れぬ意訳三昧。^^;)
「あなたがこれほどまでに思っていらっしゃるとは夢にも知らなかったわ。
私ったら、清盛さまに白拍子である私が捨てられるのは辛い世の性(サガ=習い)で、それでこんな都を離れた嵯峨野にいるのだから、白拍子であった我が身の不運、清盛さまなどという非情の男に囲われた我が身の不運を辛いとこそ思うべきなのに、ともすれば、あなたのことをばかり恨めしく思えてしまって。
現世でこんな風に人を恨んでいたのでは、念仏にしっかり専念できなくて、後世で極楽往生できないだろうし、現世では清盛さまに捨てられくじけた人生。後世でも現世でも中途半端なしくじった心持ちだったのです。
あなたがこんな風に尼になっていらっしゃったので、日頃の科はこれっぽっちも残りません。ああ、もう往生間違いなしっ! 嬉しいわ。
(注:「日比のとが」が、祇王が仏御前をお門違いに恨んでいたことを指すのか、仏御前が祇王を貶めることになってしまったという仏御前の「とが」を指すのか、私はよくわからなかった。多分、祇王の仏御前に対する恨みの心を「とが」としている?)
白拍子のトップスターであった私が、清盛さまに捨てられ、辛い目にあって出家したことを、世間の人も私自身も意外なことのように思った。
でも、世の中を恨み、我が身を恨んでいた私たちの出家は、当然のこと。あなたの出家に比べれば、意外なことでもなんでもないわ。
あなたは恨みも嘆きも持っていない、今年17歳になる若く美しい人生の盛りの人なのに、このように汚らわしい現世を嫌って浄土を願うなんて、なんて深い仏への思い入れなのかしら。これぞ本当の仏道を求める偉大なる心よ。高徳の人よ。さぁ、一緒に極楽往生を願いましょう!」
( ̄□ ̄;)
ここまで長々『平家物語』「祇王」を読んできて、目に付くのは、祇王の恨みがましい性格と、白拍子という身分を歎く心と、差別されることの無念さ。そして、登場する女性全員に共通して窺えるのが、女の分の悪さ、弱さを歎く心である。
「白拍子だから」、いとも簡単にケンモホロロにある日突然捨てられる。
「白拍子だから」、捨てられた後もおめおめと辱めを受ける。
「女ゆえに」、権力者の思うがままに翻弄される。
「女ゆえに」、この世の中で辛い目を見る。
ちょっと大袈裟に言えば、身分差別、性差別への憤りが見て取れるではないか。
白拍子1人、現世ではいかんともしがたい。
ならば来世、死後の世界で幸せになる可能性に賭けたい。(。-人-。)
せめてそんな希望を持って生きていけるということは、現世において救いであったろう。(ノω・、)
南無阿弥陀仏と唱えるだけでそれが可能なのだから、とにもかくにも縋ろうというもんだ。☆-( ^-゚)v
そこで、一向専修に念仏だ。
極楽往生を祈って念仏する際、原本で、ただの「念仏」ではなく、わざわざ「一向専修に念仏して」とあるのは、きっと狙いがある。
女の非力さ、身分で差別される世の中の辛さを歎く祇王たちだからこその、「一向専修に念仏」ではなかったのか!?| 壁 |д・)
「一向専修に念仏」という言葉を読めば、まずは「一向宗」が、そして「一向宗」とくれば「一向一揆」が連想されるのではないだろうか?
で、「一向宗」やら「一向一揆」をちょいと調べたら、どちらも鎌倉時代以降のこと。祇王の時代(平安時代)のものではなかった。祇王たちは「一向宗」など知らないはずだよね。なーんだ。┐( ̄ヘ ̄)┌
だから、ここでは「一向宗」でいうところの「一向念仏(ひたすら念仏を唱えるという一向宗の念仏)を唱えること」を意味しているのではないよね?
ただ副詞的に「一向専修に念仏」=「ひたすら専念して念仏を唱えること」の意味で使われているのだろう。
まぁ、一向宗の萌芽が既にここにあると言えるだろうし、一向宗を広めるために後世の人がわざわざ「一向専修に」と、語り加えたのかもしれない。ヘ(・o・Ξ・o・)ヘ
私にゃ、どちらでも、ど~でもいいのだが、“一向宗の場合、女性差別がなかった”らしいという点が気になる。
仏教では、ホトケの前には皆同じ人間。みな仏性(ブッショウ=仏になる性質)を秘めた同じ存在。
だから、身分制度で差別されている人は余計、仏教を愛しただろう。差別のない後世での暮らしを思ったことだろう。
しかし、仏教と言えども、女性は汚らわしいものとして蔑まれている面が多々ある。
21世紀の今だって、女人禁制の寺はいくつもある。 アレ、カチン!ト来ルノヨネ。
日本に限らず仏教に篤い国では、“生理中の女性は入ってはいけない”ということをあからさまに臭わせる寺もあった。
ところが「一向宗」は女性も平等に扱われたという話がある。仏の前には身分差別も、性差別もないと。
男も女も、南無阿弥陀仏と唱えさえすればよいと。
どこまで本当か、宗教に疎い私は確認の仕様もないのだが、
おそらく祇王たちのような悲哀、抗議の声が、親鸞や蓮如をして一向宗を作り出していったのかもしれない(?)。
これまた余談だが、「一向宗」を調べていたら、「踊り念仏」という言葉が出てきた。歌ったり踊ったりして念仏する要素があるらしい。「死体の上をかけていく」など、踊りといっても白拍子のようなものではないようだが、その原点は、もしかしたら白拍子からきているのではなかろうか?
歌い、舞い踊り、身分差別や性差別を歎いて、その理不尽さを訴え、あらゆる人間が仏の前で等しい存在であることを人々に広めていった白拍子と一向宗……なんか、すごく繋がりがあるように思われる。
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