2001年夫婦世界旅行のつづきです。いよいよ日本を発ちました。世界旅行に出発です。時は2001年4月14日(土曜)。まずは台湾に到着。



part4. 実は台湾(台北)!   



 サイゴン行きのエアチケットは、なんと、台湾にストップオーバーできるものだった! (夫談:当たり前です。そのつもりでわざわざそのチケットを購入したのですから。) つまり、サイゴンへ行く途中、飛行機が台湾を経由するので、そこで一旦降りて、最長1週間台湾に滞在してから、サイゴンに行けるわけである。「まずはサイゴン。」そう思ってはいたものの、ついでに行けるなら、行っておこう、台湾、だ。かくて、我々は重いバックパックを抱えて、世界旅行へと、台湾へと、旅立ったのであった。



 4月半ばの台湾は、空の曇り具合で随分気温が違った。晴れたり薄ら曇っていたりすると、サウナ風呂の脱衣所のように、むんと湿気て暑いのだが、どんより曇った日は、肌寒いのであった。しかし、ジャケットを羽織っていても薄ら寒い日でさえ、台北の繁華街の店々はガンガン冷房を入れるのであった。なぜだろう。唇を紫にして震える私を尻目に、みんな、涼しい顔である。寒い顔を知らないんじゃないのか。皆さん、ガンガンに冷えた店で、カップの半分以上を氷が占めているアイスコーヒーなど美味そうに飲んで、長居、するする。冷え切ってしまうじゃないかっ。不思議な人々だ。しかし、こうした異常な冷房事情は、タイやシンガポール、マレーシア、ヴェトナムでも大体同じだ。アジア圏の人々は、冷蔵庫のようにクーラーを効かすことがステイタスだと考えている節がある。



 台湾の首都台北(たいぺい)は、まるで日本の都会と変わらなかった。乱雑なビル群。行き交う車。溢れる人。狭苦しい歩道。どのブロックにも牛丼の「吉野家」と「ドトールコーヒー」と「スターバックスコーヒー」がある。しかし、客の様子は日本とはかなり違っていた。



 ドトールでは必ず若者が勉強している。台湾の学生はとてもよく勉強するようだ。どのドトールに入っても、たいてい学生が分厚いテキストとノートを広げて、真剣な様子で勉強しているのだ。(寒い店内が勉強にはお誂え向きなのだろうか。) グループで来ている学生達も、いくつかテーブルを占拠して、席から席へと店内を声高に叫びながら闊歩するのだが、その手にはノートや本が。やっぱり何やらお勉強の様子。



 ある日、いつものようにドトールで震えていると、一風様子の違う学生の一団が目に付いた。彼らは学生には珍しく、本を広げながらも随分だれた様子で、おしゃべりをしていたのだ。勉強しない学生もドトールにくるのかぁ……と眺めていたら、そこへ、やんちゃ盛りの小さな男の子を連れた若い母親が入ってきた。



 母親は席に着くや携帯を取り出し、タバコをふかして、ずっと電話をしている。我が子に見向きもしない。男の子はすぐに飽きて、店内をふらふら物色し出した。人に背を向けるように勉強に没頭している学生達を近寄りがたそうに眺めながら、店内を一巡して、狙いを定めたかのように“ダラケ”グループに寄っていき、何やらちょっかいを出し始めた。



 すると、テーブルにくず折れるようにしていた学生たちは、実ににこやかにその男の子の相手をし始めたのだ。皆でなにやら嬉しそうに、実の幼い弟のように、男の子を輪の中にいれてやっている。母親はというと、気づいていながら、まったく知らん顔。相変わらず携帯を離さない。30分ほどして母親はようやく電話を終え、子どもを呼び寄せ帰っていった。その時も学生たちに軽く会釈しただけで、厚くお礼を申し上げた風でもない。学生達もそれで満足そうだった。



 ああ、ここは日本じゃないっ。ようやく台湾に来ているのだと実感した。子供を皆で面倒見ようとする自然な優しさが、ここにはある。子供を五月蝿がらない大人たち。邪魔をしていい大人と、してはいけない大人を嗅ぎ分ける子供。そういう関係がうまくできていると、若い母親もドトールで一息つけるというものだ。いいなぁ、台湾。

             つづく

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