2001年夫婦世界旅行のつづきです。まだうだうだして日本を出発してません。一年間の旅に出るには、色々準備が大変でした。海外旅行保険加入、郵便物の保管・転送・配達の停止の手続き。銀行に貸し金庫など借りてみて、貴重品を預けてみたり、冷蔵庫の整理、ライフラインを止める手続き、安全錠の設置。世界中どこからでも連絡できるようにホットメールにアカウントを取ったり、国際電話のカードを作ったり……。コンタクト液買い込んだり、薬を揃えたり……。書ききれませんっ。





part3. レディ?



 出発まで2週間もない。気ばかり焦る。そのくせ茫洋としている。一年間も果たして無事に旅をしてこられるだろうか。日本に帰ってきてから、どうなるのだろうか。ふと怖くなることがある。しかしすぐに、考えたってしょうがない、と打ち消す。期待と不安。



 去年(2000年)は一ヶ月間旅をしてきただけで、その間に火山が噴火していたり、首相が亡くなって、新しい首相になっていたりで(しかも人相の悪い首相だったりして)、日本に帰ってきてからびっくりした。今度は一年間だ。きっと浦島太郎のような状態になるかもしれない。昔からあこがれていた長い旅行。もっと若いうちに実行していたら、こんなに不安に思うことはなかったかもしれない。家族を持ち、家を持ち、法律用語(?)でいうところの「中高年」域に突入すると、いかに人間「失うこと」が怖くなることか。若さゆえの無謀さがなくなったというべきか。(結局、無分別なところは、年をとっても変わらないような気もするが。)



 旅の途中で私は40になる。こんなことをしていて、いいのだろうか。人に言われるまでもなく自問自答してしまう。しかし、いいも悪いも、今自分のしたいこと、自分にできることに挑戦することがこの旅の目的でもあるのだ、と私は思う。などと、こっそり日記に書き付けてもみる。こんな風に言葉で確認しなければいられないほど、ふと考え込んでは、不安になってしまう。挑戦するときはいつだって不安なものなのだ。いくつになっても。もはや旅に出るしかない!



 今さら後には引けない、ということも幾つか済ませた。それは予防接種である。狂犬病の予防注射は2回打った。狂犬病の注射は最低2回、できれば3回打たなければ、効果がないらしい。そしてさらに、実際に犬に噛まれた直後にも、今一度打たなければならないのだそうだ。予防接種したらもう大丈夫、というわけではないのであった。その他、A型肝炎、B型肝炎、日本脳炎、破傷風の予防接種も済ませた。(安全のためとはいえ、一本何千円もする注射を何本打ったことだろう。かなりの万札が消えていった。手痛い出費である。)



 予防接種を受けられる所は限られていて、我々は東京八重洲にある日本検疫衛生協会まで何度も出かけて行った。協会は丸の内の近代的ビルの中に入っていて、ものものしい名前とは裏腹にこじんまりしたクリニックという感じのオフィスであった。その壁には世界のニュースが取り集めて張り出されており、日本人がかの地でデング熱で何人死んだとか、黄熱病に罹ったとか、旅先での病気の記事が目白押しである。日本とは異なる風土の空恐ろしさをひしひしと感じさせるのであった。他人事ではない。やはり予防接種をしっかり受けておこう、念のためもう一、二本いっとく?と、熱燗でもあるまいが、襟の上にも、もういっちょ襟を正す思いにさせられるのであった。  



 しかし、日本にはやたらにない感染症、伝染病の危険は、実は海外にだけあるのではなかった。……協会には火曜日に行かない方がいい。



 我々は火曜日を甘く見ていた。火曜日は何やら黄熱病の予防注射が集団接種される日のようなのだ(最近はどうだかしらないけど)。いつもは閑散として静かなクリニック風オフィスが、火曜日は俄に人で溢れかえる。皆黄熱病の予防接種に来ている客だ。オフィスの扉にも、「黄熱病予防接種」と大きく張り紙されたりする。そんな、とある火曜日。我々が協会を訪れると、やはりその日も黄熱病の注射を受けに来た一団で、待合室は一杯だった。落ち着かないので、そのグループが皆終わるまで、我々は控えて待っていた。そして一団の接種が概ね終わった頃を見計らって、我々は狂犬病と肝炎Bの予防接種を受付に申し込んだ。



 すぐに我々の名前が呼ばれた。苗字でしか呼ばれなかったので、まず夫が先にカーテンの奥へ入って行った。夫を座らせると、係員はおもむろに注射器から空気を追い出し、その針先を夫の腕に刺しかけた。その時、夫はふと不安になって、尋ねた。「それって、狂犬病の注射ですよねぇ?」 すると係員、「え?」と固まる。「ちょっとお待ち下さい。」と奥へ引っ込んでいき、「カルテもって来て。カルテッ!」と他の係員に叫んでいる。おい、カルテも見ずに注射しようとしていたのか?やがて再び現れて、「渡辺○○さんですよね。」と名を確認する。今度は下の名前まで確認した。そして、さっきとは違う色のマークがついた注射器を持ってきて、「狂犬病ですね。」と、無事申し込んだ通りの注射が登場したのであった。



 もし夫が確認して係員の手を止めなければ、彼は今頃、たくさんの黄熱病予防接種の一団と同じく、黄熱病の生ワクチンを注射されていたに違いない。黄熱病ウィルスを注入されて(?)、今頃は日本に居ながらにして黄熱病になっていたかもしれないのだ。(黄熱病の予防接種を受けたからといって、黄熱病になるわけないね。だが、我々は2種類の注射を受けようとしていたのであり、ワクチンの組み合わせ方など、色々な都合で、体に悪いことが起こりかねないでしょ?) 恐るべし、日本検疫衛生協会!



 念のために付け加えておくが、こんなニアミスはその時が初めてであった。いつもは氏名をきっちり確認し、注射する前に何の種類の注射をするかを告げてから注射してくれる。いつもと同じ手順を踏まないから、夫も怪しいと思い、でも、まさか……と思い、でも念のため、と声を掛けたのだった。危なかったな、夫! 「確認」! これが危険を避ける第一歩なのであった。さぁ、日本でこんな危険をかいくぐれたのだ。勇気をもって、旅に繰り出そう!準備は万端、整っているのだ。エンジンは既にかかっているのだ。アクセルを踏め! 



 (注): 自分たちのことを「中高年」と敢えてくくったのは、社会保険の本を読んでいたら、40歳以上は「中高年」とひとくくりにされていることに、かなりショックを受けたから。40になったら、世間的には「中高年」とくくられてしまう? 何というお仕着せ! 「中高年」! 誰が決めたんじゃいっ。いやな響きだと思った。しかし、そうか、私は「中高年」なのか……と愕然。いいでしょう。なんとでも、呼びなさいっ。と、開き直った。こんな経緯があったので、なんだか、ちょっと意地になって、「中高年夫婦」と冠したわけだ。夫からはえらく不評なので(彼は「中高年」と呼ばれたくないらしい)、そのうち題名を変えるかもしれない。

        つづく

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