たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

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ペタは、廃止させていただきました。

反動って訳ではないが、この9月の三連休は8月のそれに比べたら相当にスローペースだ。

体調がイマイチ不安定なのと、実に6年ぶりにスマホを機種変更したのもあるが。

とにかく、この夏は一部方面を除くと結構な濃密さを残せたと思う。

鉄道関係は、スマホの調子に翻弄されたり日々波はあれど、よくやったと自画自賛しておきたいが。


その8月の鉄道記録で、海の方に行ったけどヤマと言ってもいいもの。

8月10・11日に続いて8月12日にも房総方面に赴いている。

しかも255系により設定されていた多客臨時列車3本に乗りつつ、回送も撮る“尽くし旅”へ。


しかし、その細かいスケジュールは当日の未明まで固まらなかった。

既に今年のGWを中心に、6月末まで考えうる限りの記録の手を尽くしてきたからだ。

それもあり、なかなかプランは固まらなかったし、最悪回避の可能性も残していた。


だが、9月7・8日の「ビューさざなみ」「ビューわかしお」に関しては他の外せないスケジュールが

入り込んだ関係で、回送を含めて出撃が事実上不可能となり…(騒ぎを嫌ったのもある)

また秋臨で255系の運用設定もされなくなったことから、自ずとこの日が今日に至るまでの現時点に

おいて、やがて走るであろう廃車回送を除いてラストチャンスになると考えた。

また、思っていたより利用率も上がらず、指定席特急券の手配も容易なことが動きに弾みをつけた。


そして、8月12日月曜日。

1時半にスケジュールをまとめ、5時半に起きて、歩いて最寄駅へ。


6:58に新宿に着くと、255系は既に幕張車両センターから回送で到着していた。

今回は「新宿わかしお1号」送り込み回送が6時台と早いいうことで、回送迎撃は省略。

これも「新宿さざなみ」関連で千駄ヶ谷、信濃町、市ヶ谷と歩いた蓄積の結果である。


ほどなくして、側面の行き先LEDが変わった。

それでも、味気ないのはなんとなく否めない。

このあたりも時代の流れ、とひとまとめになってしまうのは寂しいものがある。


ただ、ちゃんとチェックする車掌氏が居るのは心強い。


ほどなくして開扉され、乗車が可能になった。

20分ほど前から乗車できるのは、特急らしい落ち着きがあって良い。


もう16年半近くも前になる。

ここから安房鴨川まで「新宿わかしお号」に乗って行ったことが。

会社から指示を受け、約1週間の“長期出張”。

それは現時点においても、最初で最後のこととなっている。

ただ、その類稀な特殊性もあってか、写真は現時点では見つかっておらず、また撮った記憶もない。


その記憶を洗い直すという意味もあり、今年のGWは2度に渡り安房鴨川を再訪した。

しかし、その成果は広い目で見ればあまり芳しくはなかったし…

また振り返っても得直すものも何もないなと、却って見切りをつけることにもなった。


今回、8月10〜12日まで一貫して運用されたのはBe-02編成であった。

走っている時には気づかなかったが、停車しているところを近づくと車体の疲弊は深刻だった。


およそ30年余、補修を受けながら酷使されてきた証左があちらこちらにある。

その車体は最早満身創痍で、よくここまで頑張ってきた、というか頑張り過ぎた。


そしてこの日、最後となるかもしれない御奉公へ。


そこに余計な声掛けはいらない。

それも無かっただけ、まだGWの時よりは気持ち緩やかに立っていられた。


9両編成用の乗車位置案内札は、この時点ではまだ残ってくれていた。

秋臨以降、果たしてどうなっていくだろうか?


そして、7:22。

いよいよ「新宿わかしお1号」は動き出した。


中央快速線内は足慣らしと言ったほうがいいか、淡々と走っていく。

それは「新宿さざなみ1号」の時とさして変わらない。


7:30。

御茶ノ水手前で、中央快速線から緩行線へ転線の瞬間。


聖橋上には、それなりに撮影をする人たちの姿が見えた。

だが今回は、御茶ノ水に赴くことはできなかった。

朝早かった故に仕方ないことではあったが、それはちょっと残念なことではあった。


しかし、あくまで自分の中では乗り鉄メイン。

まだまだ、この日の旅は始まったばかりなのである。

やっと少しだけ、夏が(気温的に)遠くなって来たような気がする。

やはり御多分に洩れずしんどい暑さだった夏の記録は、京王に限らずまだまだたくさんある。

もうちょっと、気力を奮い立たせて記録放出を続けてみる。

夏の夕方、束の間の再訪の東府中。

府中で別れたヘッドマーク編成を再度出迎えて、滞在は終了となる。

ここからつつじヶ丘までは待避もなく、キビキビと走り抜けていく。


下回りはVVVF化されて久しく、他社のように音で懐かしさに浸るのは難しい。

そのあたりが音鉄気質である自分にとっては、多少物足りなくはある。


乗り鉄諸兄の中には、ステンレス製車体そのものに物足りなさを感じる向きもあるだろう。


かくいう自分も、2010年くらいまではそれがあったのである。

未だに小田急電鉄8000形や西武鉄道2000系・40000系、果ては野岩鉄道に気が向くのはそれ。


だが、そうも拘ってられなくなってきたなというのが偽らざる現状。

それに固執し過ぎると、気がついたらということが往々にして出てくる。


それを避けるために、視点を広く持ち続けていくのである。

一番身近で手軽に記録に回れるポイントが、自分にとっては京王電鉄なのである。


その対象は、何も7000系に限るつもりもない。

自分が中学の頃に颯爽とデビューした8000系も、既に登場30周年を過ぎている。

事故以外廃車は出ていないものの、10両固定化など経年変化も多数あり記録しておいて損はない。


それを意識して、この日のエンディングに舵を切っていく。


7701Fはこの時、八幡山駅でお別れ。

天候が不安定だったからか、立秋直前の18時過ぎにしては暗かった。


そして、府中に戻る頃にはいよいよ暗くなる寸前であった。


この時、府中まで戻る時に乗ったのは9000系9731F。

相模原線沿線施設に合わせたサンリオラッピング編成として異彩を放ってきたが、8月27日を最後に

運用を離脱して若葉台工場に入場、機器更新とリニューアル工事を実施しているようである。

この夏は西武鉄道でもDORAEMON-GO!の運転も終了。

ある程度耐用年数の問題はあろうが、ラッピング車ファンにとっては寂しい夏になっただろうか。


そんなことがあるから、一期一会のタイミングは大切なのだ。


そして、この日のオーラスは7807F+7702F。


まだこの時は、そんなに撮っている人も…


いや全然…


この日以降、今日まで京王電鉄に撮影には赴いていない。

40周年記念ヘッドマークの掲出予定は、公式ではカードラリー終了と同じ明日までである。

まだカード配布も続いているらしいし、収集しながら最後の記録に出かけては如何だろうか?


別に後輩や関係者がいるからって、回し者じゃないですよ!笑

8月7日、基軸は高幡不動。


既に時刻は17時を回った。

そろそろ引き上げ時か…と思っていたところで。

17:11。


4番線に逆線進入で、(7805F+)7701Fが入ってきた。


またここから、ラッシュを跨いでの運用開始である。


運転士が乗り込むと、すぐに発車である。


上りは学校の夏休み期間ということもあり、比較的空いている。

ゆったり動き出しつつも、また聖蹟桜ヶ丘で降りた。


ただ、曇りがちな夕方になってしまい、後追いは少々ブレ気味に。


…そして後続に、7726Fによる急行新宿行きが到着。


急行は朝夕のみの運転。

緑幕との組み合わせは、どちらかというとレア。


そして、また追って府中へ。


実はこのあたりまでは、府中では並びを撮るのが困難だった。

パノラマ機能を駆使して、どうにか見るに耐えるものを生み出してきた。

こうした写真を撮るのも、これから先は楽になってくるかな…とか考え中。


そして、急行は東府中にも止まる。


ならば、先回りをしない手はないわけで…


そして、下りにもまだ7000系は来る。


東府中で撮るのは相当に久々。

仕事を含め、さまざまなことが思い出に残る界隈で感慨深くシャッターを切っていく。


…なんて、しんみりしている暇はあまりない。

先回りしたということは、追ってくるのがいるというわけで…

この夏、俄にアツかった京王界隈。

ここにきて正直、いろいろ余計なことも付いてきてしまった感は否めないことでもあるが…

それでも、身を粉にして汗まみれになって奮闘する人々の弛まぬ努力の積み重ねが、日々日常の

鉄道輸送を支えていることは揺るがない事実であり、常に忘れずにいたいものと改めて思う。

ひとつの過ちを悪戯に責め過ぎて、正しいことに目を瞑ることはしてはならないのである。


さて、高尾線に入った7807F+7702Fのヘッドマーク編成だが…


山田で見送った。


山田駅は御陵線時代から存在する駅。

それもあるが、個人的には母方の親戚の家に遊びに行く際によく通った懐かしいところである。

乗っている車から京王線の姿を見ることは無かったが、その駅名は強く心に刻まれている。


続けて折り返しを出迎えたのは、狭間。

高尾線の中では住宅街や工場などの中にある比較的小さな駅であったが、近年では駅南口すぐに

プロバスケットボールチームの本拠地であるエスフォルタアリーナ八王子が建ち、さらに北側に

沖電気工場跡地を再開発した八王子市内最大級のショッピングモール「イーアス高尾」も完成。

ここ十年ほどで、存在感が急速に増してきている駅でもある。


かねてから記録してみたいと思っていた駅だったが、今回ようやく訪問となった。

山田駅下車あたりから天気の急変には気を揉んだが、雨はパラついた程度で済んだ。


そして、後続の特急で再び新宿方面へ。


北野で7727Fに出会ったのでペースダウンし、各停でのんびり高幡不動に戻る。

ここで8000系高尾山トレインとの並びも。


10両固定のコルゲート車体をもつ系列は、東武東上線の10000系とこの7000系のみ。

もともとの製造時期を考えると、積極的に記録に動いておいて損はないだろう。


そして、系列のラストナンバーとなる7425Fも。


2両編成の本線運用はなお捉えづらく、これもまた課題に加えておいて損はない。


競馬場線ワンマン運用も、また機を見て撮りに歩かねば。


この7422Fは、競馬場線の6000系が置き換えられたばかりの時に記録している。

その時はまだ方向幕装備だったが、現在はLED化されている。


そして、夕方にかかり高幡不動検車区構内の入換作業も再び活発に。


この時は、初期車の7704Fが行き来している姿を捕捉。


夜のラッシュ運用に向けて、着々と準備が進んでいく。


京王ライナーに使用される新5000系も、新宿へ向けて回送。

純然たる通勤路線だった中で新風を吹き込んだ新5000系は、だいぶ馴染んできたようだ。

ただ、週末運転のMt.TAKAO号はもう少しの奮起を望みたいものだが…

ブログも、まだ真夏。

7702Fを捕捉してから、出迎えて乗って先回りして…の繰り返し。

これができるのが京王電鉄の良きところ。

府中からはまたまた先行し、今度は聖蹟桜ヶ丘で迎撃。


アウトカーブの定番ポイントであるが、左側の鉄塔が微妙に編成に掛かってしまう。


あんなのあったっけ??


意外に記憶というものは当てにならないもの。

まあ、普段そんなに利用しないのだから致し方ない。

それでも、変わらず収められる分には良い。


カーブで車体を傾かせてホームに進入してくる姿は、昔から変わらない。


ここからは、また乗車しながら西に向かっていくことに。


そして、およそ4時間ぶりに高幡不動に戻ったが…


ここではスルーして、さらにさらに西に。


やがて見られなくなる、7000系の頭同士が連結する風景。

固定編成化の波は、じわじわときている。


コツコツと、さらに西へ。


そして、また北野へ。


後続の特急が到着するのを前に、上り線を走る7000系もやって来る。


前パンと9000系の異形式併結。

永く伝統として残ってきた光景も、いつまで見られるか。


そして、どこかで見たいスカート無し先頭の営業運転。

高幡不動検車区構内では見られたが、今は実現可能性は薄いだろうか?


そして、いよいよ高尾線へ…

というところで、また7000系!

見れるうちにどんどん前のめりに、手を尽くしていきたいものである。

時々、業務などの都合で武蔵野線北府中駅を通ることがある。

電車もあれば車でも近隣を通るほどだが、この駅横にある東芝府中事業所が近年やけに活発だ。


台湾向けの電気機関車が続々製造され、東芝浜川崎工場から順次輸出されているのである。


現在台湾鉄路管理局、所謂台鐡向けにE500型が製造中。

ちょうど1年前に初めて台湾に輸出され、以来月2両のペースでJR線上を甲種輸送。

また試運転は、北府中駅のホームからも眺めることができる。


こちらは9月13日金曜日の北府中駅。


ちょうど、E519号車が試運転を行っていたようだった。

遭遇時には動いてはいなかったが。


日本の電気機関車に比べると、車体長はとても長い。

全長20.77mと電車並みのマンモス機関車。

それでいて側面には窓がなく、かなり特異な外観であり…

全面の朱色塗装は、かつて武蔵野線で走っていた103・201系をも彷彿とさせる。

また電気方式は交流25,000Vである。


しばらくの間、北府中駅界隈は台湾の雰囲気を感じることができる。

その光景を改めて確認し、気にかけていたのだが…


…今日、2両の甲種輸送が施行された。

朝に通りかかった際に数人の撮影者を確認、動きがあると踏んで北府中駅に降りた。

10時前から、モーターカーによる入換作業が開始されていた。


1両ずつ移動が行われ、到着時点ではE516号車がJRとの連絡線に移動済み。

続いてE515号車が引き出されてきた。


いったん、府中本町方へ移動。


手動でポイントを転換し、


連絡線に入り、先に留置していたE516号車へ接近。


何回かタイフォンを鳴らして、E515・516号車を連結。


さらに押し込み、ホームを大きく外れたJR貨物との引き渡し地点まで移動。


そこに10:26頃、新鶴見機関区から今日の牽引機であるDD200-9号機が回送されてきた。

「折二場」への出発信号が注意を現示し、ゆっくり側線へ入っていく。


しばらくは、武蔵野線に一番近い側線に一旦入っていた。


今日は観測史上最も遅い猛暑日。

それが刻々と近づく厳しい暑さだったため、府中街道側から連結作業は眺めず。

もうちょっと涼しくなってからの宿題にしておこう。


ちなみに駅前陸橋を越えたところにはミニストップがあるので、クールダウンは十分可能。

自分もミニストップで一時休息をし、今回の記録に臨んだのだった。


…結局体力温存を図り、逡巡を重ねた結果。

日陰の多い、新小平で本列車を迎撃。

新秋津同様、北府中駅構内の配線の制約から一旦新座貨物ターミナルまで輸送。

機回しの上、改めて川崎貨物駅・東芝浜川崎工場を目指す。


西国分寺は撮影者が多く回避したが、新小平は他に3名ほど。

シャッターの切りがイマイチだったが、後追いはまあまあというところ。


…これでそのまま新座貨物ターミナルに取り込まれて終わり、とりあえずどこかで昼ご飯を…

と考えていたら、新秋津の中線で待避しているのを発見し急遽予定変更。

東所沢の3・4番ホーム新座寄りで後追い撮影。

この時、数人踏み台に上がりかけたが…

公式でも使用禁止は出ているし、注意をピシャリと飛ばしたら


ああ、やっぱダメだよな


と苦笑で降りるという。


なおこの東所沢駅では、旧知のプロの鉄道写真家・E氏とバッタリ。

最近はテレビなどメディアでの活躍も目覚ましく、再会は嬉しい弾みとなった。


…ただ今日は、昼過ぎから天気の急変により足並みが乱れることに。

直接の雨の影響は受けはしなかったが、

復路の新秋津は待避迎撃・先回りを見込んだが、混乱回避かあっさりとスルー通過。

しかも、府中本町まであっさり先に走り去ってしまった。


しかも、天気が怪しくなりピントも微妙。


いよいよ撮影機材の性能の限界も意識しつつ、


微妙な意識レベルの乱れに、心の乱れも合わさり始めた。

さらには移動中の踏切直前横断による一時抑止、寝過ごしもあり…


南武支線で、小田栄まで来たが…


んー、まぁまぁか?

微妙なイライラが違う部分で爆発するなど、後味悪い締めとなった。


記憶が正しければ、今回が初の海外向け車両の甲種輸送撮影。

まだ50両弱は製造されるから、リベンジの機会は多々出てこよう。

色々知恵を膨らませて、また次の機会をゆっくり待つこととしたい。


なお、このE500型は奇しくも今日から台湾で営業運転を開始したとの由。

日台友好、技術の絆の架け橋として、末永く活躍を祈念したい。

8月7日は午前中は高幡不動駅を基軸に、長い時間記録を重ねた。

その後上北沢に転戦したものの暑さによる疲労は深く重く、ここでしばし休養を決断。

千歳烏山駅近くの世田谷区役所烏山支所にトイレ借り方々、クールダウンに努めた。


また、更にこのタイミングでトレインカードラリー2巡目も手をつけ始めている。

このあたりは記録の間隙に手早く、というところであった。

ま、改めて収集するとはいえほとんど写真は撮っていなかったなー。

乗って移動するときはちょうど7000系に当たらず、というのもあったか。


その収集の流れで、この日は唯一となる新宿へ訪問したのは14時過ぎ。

8000系をラッピングしたグリーン電車も、登場からそろそろ9年!という長さになる。

走行機器の更新が進む同系列の中で原型を維持しており、先行きも気になるところ。


そして、1番線にヘッドマーク編成を再々迎撃。


各停運用だと、所要時間も長い。

新宿〜高尾山口間の場合だと片道1時間半を優に超える。


このあたりの優等列車との格差は昔からで、なかなか変わらないのが関東の大手私鉄。

西武や東武のように郊外で各停化する運用は、相模原線や高尾線でも一部運用が存在するものの

小田急のように拠点駅への速達需要が高いからか、明確に区分される傾向の方が未だ根強い。


もっとも、そのあたりの中間的位置づけで乗り換え回数を減らす試みをしたのが「準特急」。

現在の特急は、そのあたりの経験を基に停車駅を増やした折衷型と言える。

個人的には、分倍河原で特急にダイレクトで乗降できるようになったメリットは大きい。


そんな利便性を増した特急で、再度移動。


といっても…

笹塚で。


ここでまたまた、7702F迎撃。


そしてさらに、明大前で上り電車も。


ここでまた一回見送って…


さらに後続の特急で、桜上水で一気に追い越し!

そして向かったのは…


仙川。


かつて仕事で何回か乗り降りしている、懐かしい駅。

色々悲喜交交あるにはあるが、まぁそんなこともあったねと。

そんな若干変形2面2線の仙川の上りホームで、迎撃を仕掛けるが…


むむ、上り電車も来ていたか!


日中もなかなか過密ダイヤの京王線、なかなかうまくいかない時も出てくる。


…でも、後続の区間急行で、また追いつくw


つつじヶ丘が、一番停車時間が長い。

そのおんけいを、十二分に活用する。


そして、また府中へ戻ってきた。

これもまた、一日乗車券の恩恵。

今回の記録の進捗は、路線環境と運転形態、さらに便利な切符の存在が大きい。

これらの好条件をバックに、ますます動きに加速がついていく。

水面下の体調不良もあり、なかなかブログが
書き進まない、でもネタは溜まる一方…
結構悩ましい残暑であります。

踏ん張らんかい、自分!!

こちらは京王7000系シリーズ3回目


3回目に関わらず、高幡不動入換編はまだ続く。

今度は、先に入庫していた7701Fが入換のためにホーム横に現れた。


入庫から1時間余、炎天下の中をゆっくり出てきた。


動物園線は、専用編成の7801Fが変わらず淡々と往復している。

年代を追うごとにラッピングはグレードアップし、今やピンクベースの唯一無二の存在に。


そんなところに、7824F2両編成を連結した下り電車も到着。

こうして、7000系に遭遇できる機会はまだまだある。


こんな入換も、日常な今だからこそ撮れるもの。

そういう時間があるならば、大事に記録蓄積に注ぎたい。


1時間半近くに及んだ、高幡不動定点観測。

実は、後輩の奮闘ぶりを初めて身近に見守ることもできた滞在だった。


鉄道が、何事もなく走れる理由。

それは、簡単なことではないということ。

それを改めて実感して、この日の記録は改めてスタートを迎えた。


…そして、向かってみたのは。

今回の一連の撮影では代田橋に続く、各停のみの停車する駅の訪問となる上北沢へ。

この新宿寄りで少し待ち、7807F+7702Fの編成を出迎え。

※多摩境は、京王多摩センター〜橋本間各停の特急が停車することがある


上北沢は京王線の中間駅の中では、唯一の1面2線島式ホーム。

優等列車等の通過の折は少々恐怖感を伴うが、十分気をつけて記録を残したい。

なお、駅周辺は下北沢と違って閑静な住宅街が多い。


そして、通過線を持つ八幡山でも待避中に少し。

ここは高架駅であり、前後の高架化後も変化はない模様。


…そして、また。


今回の記録ではキーポイントになっている、千歳烏山で下車。


…しかしこの日は、駅界隈で撮影記録には回っていない。

さすがに疲れが溜まっていたのか、昼食方々休養時間を長めに取ることとなったのである。

今日の投稿ネタ

一番好きな季節といえば

昔なら、被せ気味にも



と断言してたはずなんです。

小学生の頃は毎日市民プールに泳ぎに行ってたし、水泳教室や家族旅行先でも泳ぎまくり。

高校生以降はTUBEにハマり、毎年のようにライブに行っていた。


それが、ここんとこすっかりさっぱり。


アツくなりすぎ。


数日前、仕事中に熱中症のような症状になってから、どうにも状態が上向かない。

これも歳なのかなとも思ったら、どうもそうとも言い切れなさそうで。


それでも日々、騙し騙しやってはいるが…


早く夏終われ!早く涼しくなれ!


と祈念しながら、一日一日を過ごしている。

とりあえずは、今年をもって、


好きな季節は?


と問われたら、


秋!


と答えるようにしておきます。

理由は、春は花粉症があるし、冬はとにかく寒いのが嫌いだからです。


最近のネタ





ネタは約1ヶ月半分、まだまだたくさんあるんですが…

なにせ暑さで書き進まない。

さらに、大規模な過去データのデジタル化にも遂に着手中。


そして、退路を断ってボチボチと。


栄養、しっかりつけないとね。

やはり、バランス悪いとモロに体調に跳ね返り気味で…


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8月7日、急に始まった高幡不動“定駅観測”


本来ならすぐに移動しても良かったはずなのだが、もうしばらく留まる。

それは別に、グリーン車の復刻塗装「高尾山トレイン」を待っていたわけではなく。


5000系の回送を待っていたわけでもなく。


7000系を待つのは…少しアリだったかなw


40周年ヘッドマークを付けた編成は、この日の10時以降は1編成のみの稼働であった。

こういう日だってどうしたってあるから、さまざまな事象に視野を広げる必要もある。


だから、すぐ追っていくこともこの時はしない。


1本見逃しても、まだこの先リカバリーは十分できる。

その気持ちの余裕は、常に持っておきたいところで。

そのための早めの行動仕掛けでもある。


そんな往来の隙を縫うように、保線作業員が線路を渡っていく姿が…


そしてなお、入庫とそれに係る入換作業は活発に動いている。


入換作業も忙しなく動き、営業線の往来も相変わらず。

朝ラッシュのピークを過ぎ、この高幡不動検車区内は遅いラッシュのピークになっていた。


その動きは、実に緻密。


車両基地に隣接する駅は、その読めない動きが実に飽きない。


普段なら競馬場線でしか見られない2両編成の単独走行も、こうして見られることが。


そして、さらにその隙を縫って点検作業を進める作業員。


右に左にと動きが激しい、30℃越えの真夏の空の下。

安定運行を守るために大汗をかいて奮闘する姿が、この日はいたく心に響いたのである。


地上子の点検。

時折ハンマーの乾いた叩き音が響き、ボルトを締め直していく。

このような下支えがあちらこちらであるからこそ、日常の安定輸送がある。

電車の定時運転は、こうした努力の積み重ねの賜物であることを、今一度肝に銘じておきたい。