興国寺城(駿河国・静岡県沼津市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

クリスマス特別編成、ということで更新してみましたw
今回は後北条氏の始まりの城ともいうべき、現在の静岡県沼津市にあった興国寺(こうこくじ)城です。
かつて興国寺というお寺があったから興国寺城なのかな、と勝手に思っていますが、実際のところはどうなんでしょうね。
最初の変換候補に「広告事情」って出たんですが、広告のどんな事情なのかとwww

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興国寺城跡は、沼津駅または原駅からバスに乗り、東根古屋バス停で下車後、徒歩3分ほどのところにあります。

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原駅。
JR東海の東海道本線が乗り入れています。
木造の蔵みたいな外観の駅舎です。

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国指定史跡 興国寺城跡整備計画図。
東根古屋バス停で降りて興国寺城跡の方を向くと、この立て看板(?)が目に入ります。
発掘調査が進められている最中で、今後、史跡公園として整備されていくようです。
興国寺城跡については↓↓
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/takara/kobetu/rekishi/100_koukokuji.htm

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堀跡。
堀跡の一部が沼のようになっていて、小さな祠があります。

1487年(長享元年)に伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)が、今川氏の相続争いをまとめた功績でこの城を与えられます。
すると北条早雲は、伊豆国を治めていた堀越公方の子・足利茶々丸を滅ぼして伊豆国領主となり、韮山城へと移って戦国大名になります。

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興国寺城跡への入口。
2ヵ所あるんですが、バス停から向かって左側の入口です。

その後、駿河、甲斐、伊豆の境界に位置する興国寺城は、今川氏、武田氏、後北条氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、そのため目まぐるしく城主が変わりました。

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初代城主 北條早雲碑(右)と興国寺城主 天野康景碑(左)。
やはり最初と最後の城主は特別ということなのでしょうか?

1571年(元亀2年)に甲相同盟が成立すると興国寺城は武田氏の城となりますが、1582年(天正10年)に武田氏が滅亡すると、徳川家康の支配下となります。

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穂見神社。
本丸跡に建てられています。

1590年(天正18年)に徳川家康が関東に移封されると、興国寺城には豊臣秀吉の家臣・中村一氏が支配しました。

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天守台石垣。
だいぶ草生していますが、野面積みの石垣が戦国っぽさを感じさせます。

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本丸土塁。

関ヶ原の戦い後の1601年(慶長6年)には、徳川家康の家臣・天野康景が城主となります。

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天守台の上。
礎石のような石がちらほら。

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天守台からの景色はこんな感じ。
原地区の街並みがよく見えます。

1607年(慶長12年)に、天野康景の部下が天領の農民を殺害したことで領地を没収され、興国寺城も廃城となりました。

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空堀跡。
とても深く大きな空堀で、その迫力にただただ圧倒されます。

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北曲輪。
空堀を挟んだ北側にある曲輪です。

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東海道新幹線。
北曲輪に隣接(・・・というか分断?)していて、頻繁に列車が行き来しています。
城跡を見学していると、たびたび「ゴーッ」と音を立てて新幹線が通過していきますので、静かに思いを馳せるということはできませんww

最後に、興国寺城について沼津市のHPのリンクを↓↓に貼って終わりたいと思います。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/siro/kouk.htm

では。


御城学。