今年最後の更新となる今回は、現在の千葉県松戸市にあったお城です。
千葉氏の一族または千葉氏の家老・原氏の一族とされる高城氏の居城、小金城をご紹介します。
小金城跡は現在、大谷口歴史公園として整備されており、流鉄流山線の小金城趾駅から10~15分くらい歩いたところにあります。
小金城には大谷口城という別名があります。
小金城趾駅。
流鉄流山線の駅です。
流鉄はもともとは(総武)流山電鉄の略称でしたが、2008年(平成22年)より正式名称が流鉄となっています。
流鉄について詳しくは↓↓
http://www.ryutetsu.jp/
流鉄の車両。
すごく小さな電車ですね。
大谷口馬屋敷緑地。
ここには馬屋敷があったようです。
小金城は、それまで栗ケ沢城、根木内城と本拠地を移転してきた高城胤吉によって1537年(天文6年)に築かれました。
「胤」の字を見ただけで、千葉氏の関係と分かってしまいますねww
大谷口歴史公園の碑。
ここを登っていきます。
その後、高城氏は後北条氏の他国衆となり、第一次・第二次国府台の合戦で戦功を上げます。
金杉口跡。
どんな門があったのかは分からないようで、とりあえず冠木門(・・・の門柱しか残ってませんがw)があります。
空堀(障子堀)。
堀に高さ2メートルの間仕切り(障子)が設けられていて、堀底から登ってきた敵を遮る構造になっていたため、障子堀というのだそうです。
まあ、肝心の障子堀の形がいまいちハッキリ分からないのが何とも・・・w
土塁。
小金城(大谷口城)の碑。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に、小金城も攻められ開城しました。
公園の広場といった感じです。
空堀(畝堀)。
堀の底が波打つような形に畝が設けられているため、畝堀というのだそうです。
車の速度を落とすためのバンプ(凹凸の舗装)が連なっている感じですね。
これでは、敵も足を取られて走りにくいですね。
まあ、こちらもいまいち形がハッキリと分からないのですが・・・w
達磨口跡。
その後、徳川家康の五男・武田信吉が入城しますが、1593年(文禄2年)に武田信吉が下総国佐倉へ移ると、小金城は廃城となりました。
大勝院。
根木内城の祈願寺として建てられていたものを、高城胤吉が小金城を築城する際に移転したものです。
大勝院の由緒が書かれた碑によると、小金城の土塁や堀などの遺構は大部分が残っていたものの、高度経済成長期の開発によってほとんどが失われてしまったようです。
具体的な業者名が入っていましたが、ここでは伏せておきます(○急不動産です)ww
では、この辺で。
それでは皆様、良い年をお迎えください。
御城学。