松代城(信濃国・長野県長野市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今週は、日本100名城の1つ(26番)にも選ばれている、現在の長野県長野市にあった城、松代(まつしろ)城です。

松代と書くと、1966年(昭和41年)に長野県長野市と合併した旧埴科(はにしな)郡松代(まつしろ)町と、2005年(平成17年)に新潟県十日町市と合併した旧東頸城(ひがしくびき)郡松代(まつだい)町の2つあります。
新潟県の松代(まつだい)城ではなく、今回は長野県の松代(まつしろ)城をご紹介します。

のっけから説明が長いですが、今回は写真も非常に多くなります。ご了承くださいm(__)m

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松代城跡は、海津城跡公園として整備されていて、旧松代駅(松代駅バス停)から徒歩5~6分のところにあります。
海津(かいづ)城というのは松代城の前の名称ですね。
海津城といった方が分かるという人の方が多いのかもしれません。

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旧松代駅。
2012年(平成24年)4月に廃止されるまで、長野電鉄屋代線が乗り入れていました。
現在、旧松代駅はバスの待合室として利用されていて、松代駅バス停へは長電バスによる代替バスで須坂駅または屋代駅から、アルピコ川中島バスで長野駅から行くことができます。

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旧松代駅を松代城跡方向から。
ホームの一部やレールなどが撤去されていて、残された駅舎には哀愁が漂っていますね。

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二の丸南門跡。
ここが海津城跡公園への入口となっています。

1560年(永禄3年)頃、武田信玄が上杉謙信との川中島の戦いの際に築いた海津城が松代城の始まりとされています。

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太鼓門前橋(復元)。
橋の先に橋詰門と太鼓門が見えます。

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太鼓門(復元)。
門の中に太鼓が置かれ、城内に時を知らせていたのでしょうね。
2004年(平成16年)に、櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されました。

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本丸。
本丸内には本丸御殿が建っていましたが、1717年(享保2年)の火災で焼失してしまいました。

1561年(永禄4年)の第4次川中島の戦い(八幡原の戦い)では、武田信玄が海津城から出陣したとされています。

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海津城址之碑。

武田氏滅亡後、織田氏家臣の森長可が入りますが、本能寺の変で織田信長が討たれると上杉景勝が海津城を奪います。

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戌亥櫓台(天守台)。
ここに天守が築かれたのかどうかは分かりませんが、南側の2か所の櫓台に比べると格段に大きいですので、いつでも天守が築けるようにしていたのかもしれません。

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木の階段が設置してあり、戌亥櫓台の上に登ることができます。

1598年(慶長3年)に豊臣秀吉の命によって上杉景勝が会津へ転封となると、豊臣秀吉の蔵入地となります。

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戌亥櫓台からの景色。
遠くの山がよく見えます。

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北不明門の櫓門(復元)。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、森忠政が入城し、二の丸や三の丸などを整備し、本格的な近世城郭へと改修、待城と名を改めました。

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北不明門の高麗門(復元)。

1603年(慶長8年)に森忠政が美作国津山へ移封となると、徳川家康の6男・松平忠輝が下総国佐倉より入封し、松城と名を改めます。

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井戸。

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丑寅櫓台。
松代城の櫓台では最大の規模ですので、初めはここが天守台なのかと思ったのですが、北東は鬼門に当たるためなのか、推定復元絵図にも櫓は描かれていません。
きっと何もなかった、ということなのでしょう。

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二の丸御殿跡。
二の丸の東側にはかつては二の丸御殿が建っていましたが、こちらも1717年(享保2年)の火災により焼失しています。

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東不明門跡と東不明門前橋(復元)。

忠輝は1610年(慶長15年)に越後国高田藩主となりますが、松代も引き続き領有したため、家老の花井吉成が城代となります。

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二の丸石場門(復元)。

1622年(元和8年)に真田信之が信濃国上田から入封すると、以後は真田氏が代々この地を治め、明治を迎えます。

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辰巳櫓台。
水堀に反射した石垣が美しいです。

なお、松代城という名称になったのは1711年(正徳元年)で、幕命によって名を改めています。

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管理棟(トイレ付)。
二の丸の西側にあります。
ここに100名城スタンプが置いてあります。

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埋門。
土塁にトンネルができているのかと思いましたが・・・w
上に塀でもあれば、雰囲気が出そうです。

1873年(明治6年)の廃城令で松代城も廃城となり、ほとんどの建物は失われました。

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真田邸(新御殿)の入口。
1864年(元治元年)に松代藩9代藩主・真田幸教によって花の丸に建てられた御殿です。
花の丸には、もともと1770年(明和7年)に建てられた花の丸御殿があったのですが、1853年(嘉永6年)に放火により焼失しています。
花の丸御殿には藩主やその家族が生活し、藩政もここで執りおこなわれていました。

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真田邸(新御殿)。
真田幸教は、この御殿を新御殿と呼ぶようにと口達したとされています。
明治以降は真田家の私邸となっていましたが、1966年(昭和41年)に松代町(現・長野市)に譲渡されました。
松代城跡と新御殿を合わせた「松代城跡附(つけたり)新御殿跡」として国の史跡に指定されています。

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真田宝物館。
1969年(昭和44年)に長野県松代高校移転後の校舎を改造して開館した博物館で、松代藩主の真田氏にまつわる歴史的資料が多数展示されています。
400円で真田宝物館と真田邸、旧文武学校を合わせて見学することができます。
詳しくは↓↓の公式HPで。
http://www.sanadahoumotsukan.com/

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真田公園。
1968年(昭和43年)に長野県松代高校が移転した跡地を公園化したものです。

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旧文武学校。
1855年(安政2年)に開校した松代藩の藩校です。
文学や武術などの教育がおこなわれていました。

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旧松代藩鐘楼。
この鐘楼は、1626年(寛永元年)に城下に時間を知らせるために設置され、火災を経て1801年(享和元年)に再建された鐘楼です。
鐘楼内の鐘は、第二次大戦で供出されたため、1991年(平成3年)に設置されたものです。

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日本電信発祥之地の碑。
旧松代藩鐘楼のある場所は、1849年(嘉永2年)に佐久間象山が電信実験を成功させた場所ともされています。

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象山(ぞうざん)神社。
松代藩藩士で幕末期を代表する思想家・佐久間象山(しょうざん、ぞうざん)を祀った神社です。
公式HPは↓↓
http://zouzan.net/ZouMain.html

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佐久間象山像。
佐久間象山は幕末期に朱子学や西洋兵学を学び、公武合体論と開国論を唱えますが、暗殺されてしまいます。

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高義亭。
もともとは松代藩の家老・望月主水の下屋敷にあった建物で、吉田松陰の渡航事件に連座して国元蟄居も命じられたときに、客間として用いていたものです。
1978年(昭和53年)に現在地である象山神社の境内に移築されました。

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象山神社社殿。
1938年(昭和13年)に建てられ、国の登録有形文化財となっています。

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佐久間象山生誕之地の碑。

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佐久間象山の屋敷跡。
真ん中に井戸跡が見えます。

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象山(ぞうざん)記念館。
1965年(昭和40年)に開館した、佐久間象山に関する史料などを展示しています。
詳しくは↓↓
http://www.city.nagano.nagano.jp/site/kyouiku/5156.html

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象山地下壕入口。
第二次大戦の末期、本土決戦の拠点として皇居や大本営、政府各省等を松代に移転する計画が極秘裏に進められていました。
日本人や朝鮮人などの労働者(強制連行も含む)が昼夜を問わず突貫工事をおこない、全工程の75%まで進んだところで敗戦により工事は中止されました。

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松代大本営 朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑。
この碑は地下壕掘削の中心的役割を果たし、工事の際に亡くなった朝鮮人労働者の追悼と、日本と朝鮮の友好親善や平和を願って造られたものです。

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受付横にあるヘルメットを借りて、ここから入ります。
現在見学できるのは、象山地下壕の総延長約5.9kmの内、519mです。

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入るとこんな感じになっています。
証明は薄暗く、地下壕内にはコウモリがたくさんいますので、不気味な感じがします。
しかも、晩夏に行ったにもかかわらず、寒いwww
冬に行ったら逆に暖かかったりするのでしょうか・・・。

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トロッコ枕木の跡。
岩盤を発破して出てくる石屑は、トロッコに乗せて壕の外に運搬されました。


最後に、松代の文化財について、↓↓のHPが大変参考になりますので、ご紹介します。
http://www.grn.janis.or.jp/~ma-vol/index.html

では、長くなりましたが、この辺で。


御城学。