猪苗代城(陸奥国・福島県耶麻郡) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、猪苗代湖で有名な福島県耶麻(やま)郡猪苗代(いなわしろ)町にあった城、猪苗代城です。
一部会津若松城の記事と少しカブりますので、こちらもご覧ください。

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猪苗代城跡は、現在は亀ヶ城址公園となっていて、猪苗代駅から徒歩で約15分くらいです。

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猪苗代駅。
JR東日本の磐越西線が乗り入れています。
自動改札機や簡易Suica改札機などはありません。駅員さんに切符を渡しましょう。

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亀ヶ城址公園入口。
周辺の空き地に車を止めることができます。

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大手枡形虎口。
ここには冠木門があったようです。

相模の御家人で蘆名氏の祖である佐原義連は、奥州征伐の軍功から源頼朝より会津四群を与えられ、義連の孫・経連が1191年(建久2年)に磐梯山の麓に猪苗代城を築き、猪苗代氏を名乗ったとされています。
以後、猪苗代氏が代々この城の城主となります。

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大手枡形虎口の石垣。
野面積みの石垣が勇ましい雰囲気を醸し出しています。

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三本杉井戸と鐘撞堂。
写真では見切れていますが、井戸の横に3本の杉の木があります。

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二ノ郭門跡。

1589年(天正17年)、城主の猪苗代盛国は宗家である蘆名氏を裏切って伊達政宗を猪苗代城へ迎え入れ、城の西側にある摺上原(すりあげはら)で蘆名氏と戦い(摺上原の戦い)、蘆名氏を滅亡へ追い込みます。

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二ノ郭跡。

1590年(天正18年)、伊達政宗が小田原攻めへの遅参や惣無事令違反によって会津を没収されると(奥州仕置)、猪苗代氏もこの地を離れます。

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野口英世胸像・・・というより首像。
野口英世といえば、梅毒や黄熱病の研究で世界的に有名な医学者で、現在の千円札の肖像に採用されていますね。
それにしても・・・、生首を晒されているようにしか見えませんが・・・ww

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ここから本丸へ入ります。

江戸時代になると、猪苗代城は会津若松城の支城となり、会津若松城が鶴ヶ城と呼ばれたのに対して、猪苗代城は亀ヶ城と呼ばれるようになります。
鶴と亀、う~ん、分かりやすいww

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本丸跡。
今では真っ平らな広場になっています。犬の散歩などに最適?

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四ツ門跡。

1615年(慶長20年)の一国一城令発布後も例外として猪苗代城は存続が許され、城代が置かれました。
戊辰戦争の際に焼失し、猪苗代城はその歴史に幕を下ろします。

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南帯曲輪。

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南帯曲輪から見た景色。
のどかな田園風景ですね。

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ここも二の郭。
右に本丸、左に土塁がみられます。

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北帯曲輪。
ここには角櫓がありました。

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井戸門跡。
ここから野口英世像のある二ノ郭に戻りました。

亀ヶ城址公園については、↓↓をご覧ください。
http://www.town.inawashiro.fukushima.jp/cb/hpc/Article-148-2004.html

では、この辺で。


御城学。