望郷 | あれこれかってにゆうたろ

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何の変哲も無い日常で思うこと、感じた事、旅の事など独り言を好き勝手に書き綴る。

サンアントニオ日米協会(JASSA)が出来たのは1980年代の初めだ。
ということはかれこれ30年と言うことになる。
JASSAの活動をしているとかつて第一線で活躍した方々の話を聞いたりする機会も多くて
そんな方々の話を聞いていると日本の伝統文化を本当に良く理解し、それを多くの人に興味を持ってもらって広めようとしてきたことが分かる。
そしてこれからもそんな日本の伝統文化を大切にして色んな場面で説明したりレクチャーしている。

今日も活動の一環でご一緒させて頂くことがあったのだが、私よりも遙かに日本の伝統文化を大切にしていることが感じられる。そして本来の日本人の美徳とかを大事にしていて自然にそんな振る舞いができるのだ。

終戦後アメリカ人の軍人さんに嫁いだ日本女性の一歩引いて旦那に献身的な姿に心惹かれたアメリカ人は多いという。まさにそんな時代の日本の女性たちが今までは活躍していて今でもその功績は大きく語り継がれている。それはここサンアントニオでも例外ではない。
正月にはおせちを作り着物を着て御祝いする。
節分には豆まきをし、こどもの日には鯉のぼりを上げ、祭りには金魚すくいをし
そんな風習をアメリカに40年以上も住んでいながら大切に思っている。
まさに望郷の想いだろう。

またこういった方々が今年で25周年となるサンアントニオ市と熊本市の姉妹都市提携に大活躍したのだ。調印提携した後にJALのチャーター便で熊本市から270名の人たちがサンアントニオを訪れた。これは最初でおそらく最後のジャンボジェット機がサンアントニオ空港から離発着したと言う歴史的なことだ。凄いことである。
日本から材料を運び大工も呼び寄せて、ボタニカルガーデンに熊本園も設立したり。
サンアントニオへの日本文化を広めるために多くの功績をしてきた方々である。

伝統を大切にすると言うのは時に歴史の浅いアメリカでは人々に根付いている。
新しいものばかりではなく古いものを守って行こうということも大切なだと多くの軍人さんに嫁いだ日本人妻の方々の今の姿を見ていると切に感じる。