『音楽と感情の森に住まう』 | small planet

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日々の散文。
もしくは 独り言。

ふと気が付くと「ここ」にいて、自分が歩いてきた年月の記憶が薄れていることに気が付き落胆する。
おかしなことに「両親」の面影が薄れ、遠い昔の大切な「記憶」の数々が色あせていることへ不安が募る。

私はどうしてしまったのだろう・・・。
家族のいた風景や、大切な情景が心の片隅からまるで「散歩」にでも出かけているかのように帰宅しない。
子供のように泣きたくなるのだ。「時代」を恋しがり、今ある「現実」を信じられなくなる。
誰に助けを求めるべきかすらにも迷う。 今存在している「自分」すら薄れてしまいそうになる・・。

そんな思いを「彼女」は語る。 彼女は「認知症」だ。

ユーモラスで感情豊かな彼女の中に在る、「哀しみ」。

彼らは時として、私たちが驚く表現をする。
眠らない・食べない・怒り・幻覚・・・・。
それらは全て、彼らの中にある「事実」であり、流暢な言葉の代わりに使われる「方法」だ。
私達は、理解ができないときにそれらのなけなしの「表現」すらも「軌道修正」しようとする。
答えは簡単だ、彼らの「理屈」が自分たちが信じている理屈と異なるからだ。
そんな風に、すぐに気が付けずに私達は流されてしまう。
自分たちの持つ『エゴ』に。
そして失敗をする。

もちろん彼らはそんなことに屈せず必死に「表現」を続行しようとする。

私達は悩む。自分の理屈に見合わないからだ。
そして、妄信的に「こうでなくてはならない」と彼らの日々を仮設する。



アラヤタツローというシンガーソングライターが彼女のために曲を書いた。

彼は出会ってすぐに、認知症と共に生きる一人のお婆ちゃんに『きおく」という曲をプレゼントした。
彼女の誕生日のプレゼントとして。新しい想い出を贈るために・・
彼は言った。『次々と言葉が浮かんできた・・』と。
たぶん、彼は想像したのだろう。彼女の想いに寄り添い「心」を使ったのであろう。

彼らは様々なカテゴリーを捨てて「心」を通し、繋がりあったのである。

私達は「専門職」などと呼ばれ、ケアの神髄を毎日叩き込まれる。
その中にはもちろん「心の目」を使うように教えられる。
それなのになぜいつも同じように躓いてしまうのだろう??
心を見落としてしまうのだろう。「眠らない事」に苦悩するのだろう、なぜ「眠ってほしい」と願うのだろう・・。
私達は、難しいことを考えてしまうのかもしれない・・。
「病気」というものを意識しきしながら。

学ぶことはと尊いことであり、それはいつしか「財産」になる。
然し「感じる事」はそれ以上の価値をもたらすことがある。

私たちが長い年月をかけて彼女と築いてきたものに、彼はほんの一瞬で言葉にメロディーまで乗せた。
それは、彼がいつでも心を柔軟に使いこなしているから出来る事なのであろう。
もとい、彼の生業が「歌う事」であるからなのかもしれないが・・・。

私は、この曲に願うのだ。

聴く者たちが何らかの「感情」を産み出すことを。
そして目の前に佇む誰かの想いに目を向け、想像し、共感し、何かしらの感情を紡ぎ合う関係性を築いてくれることを。

私は時として感じている。
「テキスト」は、ほんのお手本にしかならず其れが全てではないし、事実はもっと複雑で「答え」などないのだと。

彼が、あっという間に曲を仕上げる事が出来たのは、誰の真似でも何かをお手本にしたわけでもなく、
只々、「彼女」の心を想像することに徹したからなのだろう。

はじめて曲を耳にした彼女は言った。満面の笑みをみせて
『生きるって、このお兄ちゃんのような人の事だと思う。優しい言葉。それが嬉しい。』

私はその姿を見て感じた。
『専門職』などと言われる自分たちなどちっぽけであり、必要なのは『専門性』である前に『人』として感じる心なのだと。

どんな専門性をもってしても『知識』だけでは、『音楽』を通して感じる感覚や、感動を覚えた時に生じる感情のさざなみは作り出せない。
だからこそ、この曲を多くの人に聞いてもらえたらと感じる。
彼らは、「生産しなくなった存在」なんかではないし、「わからなくなった人」ではない。
自分なりの方法で表現し、彼に曲を書かせてしまうだけの「感性」を維持してる。

彼は、時々このお婆ちゃんに会いに来てくれるようになった。
彼は、ギターケースを引っ提げてやってくる。
食卓を囲み、大きな声で歌を歌う。
隅のソファーで眠っているお婆ちゃんは飛び起きてやってくる。
『うまいねぇ。前にも来た子でしょ?』なんて感想をいい、
重度の難聴で聴こえが悪く、言葉が上手に発せられないお爺ちゃんが手をたたきリズムにのりながら言う。
『いいね!すごいね、楽しいね。』
そしてモデルとなったお婆ちゃんが言う。
『この人が私の歌を作ってくれたんだよ。』

認知症の人にとって『静かな環境が良い』。
この思想は完全無視である。
結果生まれたのは『笑顔』だ。決して『不穏』ではない。

なぜなら、彼は心をこめて歌うからだ。

私達がすべきことはいったいどんなことであろうか??

たぶんそれは、『心』を使って『想い』に耳を傾ける事なのかもしれない・・・。





アラヤタツロー
『きおく』
4月15日
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