埋もれた集落のカタチを掘起す…原市新田~砂開拓を散歩する♪
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東武バスウエスト・朝日バス「原市新田」停留所
本日のお散歩は、このバス停からスタートしましょ♪
ちなみにJR宇都宮線「東大宮」駅から直線距離で北西1.3kmの地点です。
(主要地方道「第2産業道路」県道5号さいたま菖蒲線/本ブログ管理者撮影)↑
昭和24年の原市新田バス停付近
□外部リンクより空中写真引用
○囲みは、そのままズバリ「原市新田」の中の地区
○囲みは現在の白山神社を中心とした地区↑
原市新田~“白山”地区現況
2つの地区は
現在では「駅近」新興住宅街として連続した市街地になっているが、
元々の存立起源は違う集落(小字)なのではないか?っと、
古い航空写真を見て先ず思った。
■本ブログ内関連記事「尾山台周辺編」参照
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2014.5.4撮影)
*
【注】
ちなみに本ブログ管理者は生粋の当地区出身ではなく、
当該地区の北側に隣接する公団の団地(現UR賃貸住宅)へ
最近移住した者なので、
この地区の昔の姿については全くの無知であり、
あくまでも昔の地図を眺めて「思いつき」で記事化しているだけですので、
悪しからず、、、↑
埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者撮影
「白山神社」付近(2014年)
軽自動車でも離合が困難と思われる道の奥へ進むと、
神社手前の家に高級車が停まっていました。。。
写真下に映っている右側の家から「便所煙突」が確認できます。
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2014.5.4撮影)↑
「白山神社」付近現況
しかしながら、
現在でも僅かに残る“森に囲まれた?「ような」街区”を抜けると、
すぐに新興住宅街が隣接して連続した市街地を形成しています。
地区内メインとなる道路も、
建て込む新興住宅街に新規流入する住民の需要を充たす為(?)か、
右側に後付けで1m拡幅されたようなアスファルト舗装の継ぎ跡があります。
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者撮影)
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昭和39年の原市新田付近
□外部リンクより空中写真引用
現在の
国道16号「東大宮バイパス」っぽい道が西から
「嵐」=現在のラーメン花月嵐(上尾原市店)付近まで伸びてきていますが、
原市新田付近の集落構造は昭和24年と不変のようです。
(「県営砂団地」「砂開拓」については後述します)↑
国道16号東大宮バイパス「ラーメン花月嵐」付近現況
■本ブログ内関連記事参照
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2015.3.31撮影)↑
旧原市道(菖蒲街道)「船橋」現況
■本ブログ内関連記事参照
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2015.4.29撮影)↑
昭和39年の東大宮駅西口
□外部リンクより空中写真引用
『続大宮市史Ⅰ』によると、昭和22年4月30日の埼玉新聞記事の転載として、満州からの引揚者家族8戸が、現在の埼玉県さいたま市東大宮3丁目に相当する地域に入植したとの事。↑
県営砂団地に隣接する「砂開拓地」
開拓農協名:見沼(みぬま)
入植年度:昭和22年
入植戸数:8戸
営農目標面積:11.4ha (14250㎡≒1.4町/戸)
入植当時の主な作物:陸稲、小麦、さつまいも
平均標高:20m
□外部リンク参照
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
昭和36年「砂開拓地」付近
□外部リンクより空中写真引用
なるほど・・・
開拓初期は現在の県営砂団地や中規模スーパー(コモディ・イイダ)等、
周辺市街地をすべて飲み込む広大な農地だったのですね。
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グーグルマップで簡単に計測して見ると、
1区画当たり全体(平均値)380m×35m(13300㎡)、
うち宅地部分35m×45m(1575㎡)
宅地北側部分の農地240m×35m(8400㎡)の、
「細長い短冊状」という
同じ埼玉県内(三芳町)にある「三富新田(■本ブログ内関連記事参照)」を彷彿させるような区画配置形状が想像できます。
(但し、「三富」に比べ1戸辺りの面積は1/4の規模なので小さいですが)↑
「砂開拓地」現況
・雄図空しく満州から引揚げた拓士八家族は大宮市(現さいたま市)郊外に林野十五町歩を開墾
・昨年(昭和21年)十二月二十八日酷寒の真只中に裸一貫の天幕生活を開始、入植第一歩を踏み出した
・当面の食糧の自給自足を図る一方、開墾終了後は満州開拓で腕に覚えの果樹栽培、酪農経営に着手
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以上、『続大宮市史Ⅰ』より引用
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
砂開拓(入植農家宅地)に隣接する「県営砂団地」
要するに、本来は「開拓農家」だったが、
周辺の宅地化に伴い(JR宇都宮線の駅に近い=東大宮駅から直線距離ギリギリ1km圏内であることもあり)
農家を止めて(?)「地主」に転じた・・・ということですね。
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先に掲出した古い航空写真で見たとおり、
この団地のある場所は、元々は開拓農家が開墾した土地のようだ。
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
「県営砂団地」現況
既存の「中層」と新たに建て替えられた「高層」を混在させた配置構成が
この団地の特徴と言えるかな?。。。
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ちなみに「砂」という地名は現在の東大宮駅周辺の旧町名です。
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)