埋もれた集落のカタチを掘起す…原市新田~砂開拓を散歩する♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

埋もれた集落のカタチを掘起す…原市新田~砂開拓を散歩する♪

原市1507025610
東武バスウエスト・朝日バス「原市新田」停留所

本日のお散歩は、このバス停からスタートしましょ♪
ちなみにJR宇都宮線「東大宮」駅から直線距離で北西1.3kmの地点です。
(主要地方道「第2産業道路」県道5号さいたま菖蒲線/本ブログ管理者撮影)昭和24年原市集会所付近
昭和24年の原市新田バス停付近

□外部リンクより空中写真引用
囲みは、そのままズバリ「原市新田」の中の地区
囲みは現在の白山神社を中心とした地区原市南1405042312
原市新田~“白山”地区現況

2つの地区は
現在では「駅近」新興住宅街として連続した市街地になっているが、
元々の存立起源は違う集落(小字)なのではないか?っと、
古い航空写真を見て先ず思った。
■本ブログ内関連記事「尾山台周辺編」参照
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2014.5.4撮影)


【注】
ちなみに本ブログ管理者は生粋の当地区出身ではなく、
当該地区の北側に隣接する公団の団地(現UR賃貸住宅)へ
最近移住した者なので、
この地区の昔の姿については全くの無知であり、
あくまでも昔の地図を眺めて「思いつき」で記事化しているだけですので、
悪しからず、、、原市1507025611

「白山神社」付近現況
埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者撮影

原市南1405042315

「白山神社」付近(2014年)
軽自動車でも離合が困難と思われる道の奥へ進むと、
神社手前の家に高級車が停まっていました。。。
写真下に映っている右側の家から「便所煙突」が確認できます。
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2014.5.4撮影)原市1507025612
「白山神社」付近現況

しかしながら、
現在でも僅かに残る“森に囲まれた?「ような」街区”を抜けると、
すぐに新興住宅街が隣接して連続した市街地を形成しています。
地区内メインとなる道路も、
建て込む新興住宅街に新規流入する住民の需要を充たす為(?)か、
右側に後付けで1m拡幅されたようなアスファルト舗装の継ぎ跡があります。
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者撮影)

昭和39年原市舟橋付近
昭和39年の原市新田付近

□外部リンクより空中写真引用
現在の
国道16号「東大宮バイパス」っぽい道が西から
」=現在のラーメン花月嵐(上尾原市店)付近まで伸びてきていますが、
原市新田付近の集落構造は昭和24年と不変のようです。
(「県営砂団地」「砂開拓」については後述します)原市1504035013
国道16号東大宮バイパス「ラーメン花月嵐」付近現況

■本ブログ内関連記事参照
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2015.3.31撮影)原市1504295340
旧原市道(菖蒲街道)「船橋」現況

■本ブログ内関連記事参照
(埼玉県上尾市原市にて本ブログ管理者2015.4.29撮影)昭和39年東大宮駅西口
昭和39年の東大宮駅西口

□外部リンクより空中写真引用
『続大宮市史Ⅰ』によると、昭和22年4月30日の埼玉新聞記事の転載として、満州からの引揚者家族8戸が、現在の埼玉県さいたま市東大宮3丁目に相当する地域に入植したとの事。東大宮1507015600
県営砂団地に隣接する「砂開拓地」

開拓農協名:見沼(みぬま) 
入植年度:昭和22年 
入植戸数:8戸 
営農目標面積:11.4ha (14250㎡≒1.4町/戸)
入植当時の主な作物:陸稲、小麦、さつまいも 
平均標高:20m
□外部リンク参照
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)昭和36年砂開拓付近
昭和36年「砂開拓地」付近

□外部リンクより空中写真引用
なるほど・・・
開拓初期は現在の県営砂団地や中規模スーパー(コモディ・イイダ)等、
周辺市街地をすべて飲み込む広大な農地だったのですね。

グーグルマップで簡単に計測して見ると、
1区画当たり全体(平均値)380m×35m(13300㎡)、
うち宅地部分35m×45m(1575㎡)
宅地北側部分の農地240m×35m(8400㎡)の、
細長い短冊状」という
同じ埼玉県内(三芳町)にある「三富新田(■本ブログ内関連記事参照)」を彷彿させるような区画配置形状が想像できます。
(但し、「三富」に比べ1戸辺りの面積は1/4の規模なので小さいですが)東大宮1507015603
「砂開拓地」現況

・雄図空しく満州から引揚げた拓士八家族は大宮市(現さいたま市)郊外に林野十五町歩を開墾
・昨年(昭和21年)十二月二十八日酷寒の真只中に裸一貫の天幕生活を開始、入植第一歩を踏み出した
・当面の食糧の自給自足を図る一方、開墾終了後は満州開拓で腕に覚えの果樹栽培、酪農経営に着手

以上、『続大宮市史Ⅰ』より引用
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)東大宮1507015606
砂開拓(入植農家宅地)に隣接する「県営砂団地」

要するに、本来は「開拓農家」だったが、
周辺の宅地化に伴い(JR宇都宮線の駅に近い=東大宮駅から直線距離ギリギリ1km圏内であることもあり)
農家を止めて(?)「地主」に転じた・・・ということですね。

先に掲出した古い航空写真で見たとおり、
この団地のある場所は、元々は開拓農家が開墾した土地のようだ。
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)東大宮1507015607
「県営砂団地」現況

既存の「中層」と新たに建て替えられた「高層」を混在させた配置構成が
この団地の特徴と言えるかな?。。。

ちなみに「砂」という地名は現在の東大宮駅周辺の旧町名です。
(さいたま市見沼区東大宮3丁目にて本ブログ管理者撮影)