えっ?「A団地」って何処?? | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

えっ?「A団地」って何処??

東大宮1507015590
東武バスウエスト・朝日バス「A団地入口」停留所

「東大12(原市団地循環)」と、その派生「東大11(尾山台団地循環)」
および
東武バスが不採算で切り捨てた「東大16(上尾駅―原市団地北口・尾山台団地センター―東大宮駅)」の系統を上尾市役所が赤字補填(運賃収入の不足分に対し市税を使い補助)することで東武バスグループの朝日バスにより維持させている“上尾市運行バス”が発着する。
(さいたま市見沼区東大宮4丁目にて本ブログ管理者撮影)


右側車窓/東武バスウエスト【東大12】

JR宇都宮線の東大宮駅(西口)から
駅勢圏内に2箇所ある公団(UR)の団地を結んでいます。
団地内の街路を反時計回りに周回して東大宮駅へ戻る「循環」路線の運行形態を採っています。
*車窓動画/「東大12」原市団地循環 現在・東大宮A団地入口MAP
グーグルマップ「東大宮駅西口現況」

しかしながら、
最新の地図ではバス停付近に
名称の由来となったと思われる「A団地」という表記は存在しない。
(グーグルマップに本ブログ管理者加筆)昭和50年東大宮駅
昭和50年の東大宮駅付近
□外部リンクより空中写真引用
しかしながら、ネット上で興味深い話を拾った。
東大宮駅の開業(昭和39年)と同時期に、
旧「国鉄」によって(主に国鉄関係者向けに)
1戸建て用の土地を駅前周辺で数十区画まとめて分譲する団地
(いわゆる「国鉄団地」)が開発されたらしい。
□外部リンク参照(他人が書いたブログ記事)
□外部リンク参照(2chまちBBS♪東大宮周辺について語ろう22)昭和42東大宮周辺
昭和42年の東大宮駅周辺

□外部リンクより空中写真引用
昭和42年といえば、尾山台や原市(埼玉県上尾市)の公団住宅(現・UR賃貸住宅)が開発された直後の時期だが、
まだ建物が疎らな東大宮駅の西口に目を移すと、
西口Y型3差路交差点(現在のコミュニティセンターと消防分署がある辺り)の裏手の路地に、1戸建て住宅がある程度の集団で(「1団地」状に)建て込んでいる場所がある。
ちょうど、現在の東武バスグループ「A団地入口」バス停の直ぐ西側なので、恐らくはこの場所が「国鉄A団地」と呼ばれて当時の国鉄共済組合によって国鉄職員を優先した宅地分譲が行われたのだろう。
□外部リンク参照(国会審議議事録)
右側車窓/東武バスウエスト【東大12】原市団地北口→東大宮駅 
折り返し地点である公団(UR)原市団地を東西に分断する県道3号「主要地方道さいたま栗橋線(旧・大宮栗橋線)」に出るところがネックとなり、途中経路である(原市と同じ“公団”系の)尾山台団地における上り便の慢性遅延を生じさせる一因?...ということが、この動画から読み取ることができます。。。
主要県道への出口交差点にセンサー感応式信号機を付けていただけるように要請すれば良いかと私は思うのですが、、、

また、 「団地」と名のつくバス停がやたら多いのがこの路線の特徴(笑)
東大宮駅から原市団地内まで現金運賃190円(ICカード186円)です♪
鉄道補完型(鉄道の支線的役割を果たす)バス路線としては、このくらいの時間距離および運賃区間が"標準"形態かな?・・・これより短いと徒歩や自転車優位になるので割安感と高頻度感を利用者に与える方策として100円循環ミニバス化が望ましく、逆に長いと渋滞遅延が酷くなり利用者減を食い止める為にBRTとかゾーンバス化等へのシステム改善が必要になるものと思われます。。。
*車窓動画/「東大12」原市団地循環 東大宮1507015608
「A団地」現況
さいたま市見沼区東大宮4丁目にて本ブログ管理者撮影昭和39東大宮駅東口

昭和39年の東大宮駅東口
□外部リンクより空中写真引用
「A」団地と言うからには、「B」や「C」も存在?

ありました。。。
「B」=現在の、さいたま市見沼区東大宮6丁目の一部
「C」=現在の、さいたま市見沼区東大宮7丁目の一部
既に造成から50年近く経過しているので、
場所によっては道路両端の側溝部分が劣化して住民が歩くのに危険な常態になっている区画内街路も存在しているのだとか、、、
大雨が降ると浸水被害が出る事もあるらしいです。
□外部リンク参照(さいたま市定例市議会議事録)

ちなみに、
「C団地」については“ひばりヶ丘”という副名称(愛称)が現在でも残り、
昭文社の1:10000都市地図「街の達人」最新版にも記載があります。東大宮1507015587

 

「A団地」現況幸いにも本記事主題である「A団地」の場合は既に道路舗装をやり直して綺麗になっている区画が多かったのですが、
それにしても、確かに現代の1戸建て住宅分譲地として見るには、ちょっと道路が狭く細いような気がして、この部分だけ見ると確かに「古い住宅街」っていう感じがしますね。
但し、
個々の家々は建て直しやリフォーム等で綺麗に修繕している家が目立ちます。
この辺りの区画も初期の造成から既に50年近く経過しているのですね。
さいたま市見沼区東大宮4丁目にて本ブログ管理者撮影)昭和39年東大宮駅西口

 

昭和39年の東大宮駅西口
□外部リンクより空中写真引用
この頃は未だ尾山台や原市の公団住宅街へ向かう道はありません。
(2つの大型団地は昭和41年竣工です)
芝川と見沼代用水の間に存在した農地には、
現在JR東日本の大宮車両センター(東大宮支所)があります。東大宮1507015594
県道を挟んで南西側に隣接する市営住宅
ちなみに、既に昭和39年の空中写真には、
現在の主要地方道「第2産業道路」(県道5号さいたま菖蒲線)を挟んで、
「A団地」の南西端に隣接する住宅の塊が見えますが、
これは当時の大宮市が運営した公営住宅。
昭和54年に建て替えられて
さいたま市営「砂住宅」として現在に引き継がれています。
□外部リンク参照(さいたま市役所HP)
(さいたま市見沼区東大宮2丁目49-8/本ブログ管理者撮影)

その他の
「A」団地の西側に加筆文字を入れた家々の塊(団地・集落)については

また別の機会に記事化して見たいと思います。
■本ブログ内関連記事参照