着工から21年、旧道に残っていた主要地方道の歴史…藤蔵河岸と若草大橋①*過去記事更新
今からちょうど21年前の2001(平成13)年11月15日、これに先立つこと2か月前に工事が始まった茨城県側に続き、千葉県側でも工事が着手された全長1.7kmの「若草大橋有料道路」。
茨城県道路公社が管理する有料道路(茨城・千葉県道68号「美浦栄線」バイパス)として、2006(平成18)年4月18日に開通し現在に至ります。
有料道路の主要部分は利根川を越える橋で、この道が完成する前の旧県道は千葉・茨城両県の県境で分断されており、明治29年まで使われていた渡船ルートの踏襲でした。
千葉県側の末端部分は県道指定を解除され、印旛郡栄町の町道へ既に降格されてしまっていますが、未だに茨城県側は旧道が県道(主要地方道)指定のまま残っているとの事。
※既に町道へ降格された千葉県側末端部
(千葉県印旛郡栄町北672付近…下掲地図中⑤/本ブログ管理者2022.8.7撮影)
千葉県側端末部の770m南側には、予約しないと食べられないというバス廃車体を再利用した割烹居酒屋があります。
(千葉県印旛郡栄町四ツ谷147…下掲地図中⑥/本ブログ管理者2022.8.7撮影)
廃バスの向かい側には本物のバス停留所がありますが、国道356号バイパス以南は現道扱いになるので、この店の前の道は現在でも「千葉県道68号線」指定になっていますよ。
では、再び若草大橋有料道路で県境を越え、茨城県側に入りましょう♪
(下掲地図中③/本ブログ管理者2022.8.7撮影)
尚、今回は2010年に撮影した記事と写真をベースに、2022年に撮り直した写真と文章を一部付け加えています。
12年前は折り畳み自転車を積んで、「自転車優先」スペースのある関東鉄道竜ヶ崎線のディーゼル列車でやって来て、龍ヶ崎市の中心市街地側から攻めたんですよね。
終点の竜ヶ崎駅で降りて持参の折畳自転車で市内走行。
(本ブログ管理者2010.12.8撮影)
茨城県側の県道68号線「終点」がある、地図中②の地点を目指します。
(茨城県龍ヶ崎土木事務所の管内図に本ブログ管理者加筆)
茨城千葉県道「(主要地方道)美浦栄線」の茨城県側端末部入口(分岐点)のところまで、チャリを漕いで来ました。。。
ちょうど、利根町と河内町の「町界」に位置し、Y字路交差点になっています・・・
【↓地図中①の位置…茨城県利根町加納新田にて本ブログ管理者2010.12.8撮影】
■本ブログ内関連記事/「藤蔵河岸」「若草大橋」「小堀の渡し」・・・(1)
■本ブログ内関連記事/「藤蔵河岸」「若草大橋」「小堀の渡し」・・・(2)
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茨城県道・千葉県道11号取手東線
(いばらきけんどう・ちばけんどう11ごう とりであずません)は
茨城県取手市新町(国道6号)を起点とし、
茨城県稲敷市(国道51号)を終点とする主要地方道(1982年11月1日制定)。
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茨城県道・千葉県道68号美浦栄線
(いばらきけんどう・ちばけんどう68ごう みほさかえせん)は、
茨城県稲敷郡美浦村(国道125号交点)から
千葉県印旛郡栄町(国道356号交点)までを結ぶ主要地方道。
(1994年4月1日制定、総距離26.771km)
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路線履歴を見ると、、、
↓
(11)取手東線
小巻取手線(昭34.10.14),
東竜ヶ崎線(昭54.10.26)⇆上之島竜ヶ崎線を経て昭57.11.1認定
(68)美浦栄線
竜ヶ崎栄線(昭34.10.14),河内竜ヶ崎線(昭57.11.1)等を経て平6.4.1認定
□外部リンク参照
↑
これでも、立派(?)な・・・
「主要地方道!」
で、ございます。。。
(σ・∀・)σ
地図中①-⑦間(茨城県稲敷郡河内町龍ケ崎町歩8)にて、本ブログ管理者2010.12.8撮影。
県道に指定されているのは、道祖神(地図中⑦)を右側へ行く道・・・
※本ブログ管理者2022.8.7撮影
道祖神のすぐ脇に、キロポストらしき茨城県の黄色いコンクリート製三角柱がありました。
県道68号と同様の県境分断(旧渡船場)県道にも、同様のモノがありましたので、昔の茨城県標準仕様と思われます。
但し、劣化が激しく横サイドの距離数字は既に消えてしまっていて、何キロ地点かは不明です。
なお、2022年はクロスバイクに乗って自宅から直接走ってきました。
※本ブログ管理者2022.8.7撮影
さらに10mほど利根川堤防(茨城県側終点)に向かった場所に、茨城県の新しい型の距離標も設置されていました。
これも(県境分断型路線ではありませんが)、茨城県内における別の渡船場分断県道で見たことがあります。
※本ブログ管理者2022.8.7撮影
何故か「県道」ではない側に、こんなものが・・・
木製の「終点標?」と思しき杭が設置されています。
※2022年に再訪した際には無くなっていました
(茨城県稲敷郡河内町龍ケ崎町歩…地図中⑧にて本ブログ管理者2010.12.8撮影)
ここ(地図中②・⑧)は、利根川の銚子河口から68km地点(左岸)で、かつては「藤蔵河岸」と呼ばれた舟運の拠点だったところなんだそうです。
(茨城県稲敷郡河内町龍ケ崎町歩にて本ブログ管理者2010.12.8撮影)
先述した通り、利根川堤防に向かって道祖神(地図中⑦)を右へ進んだ道が、既に旧道での位置付けではありますが、現在も現役県道(しかも、主要地方道)の「本線」です。
路肩側溝に刻まれた「茨」の文字が、茨城県が管理している道を示しています。
※本ブログ管理者2022.8.7撮影
まさに文字通り「茨の道」ですね・・・
(以前に野田守谷線の旧道末端部でも見たことがあります)
利根川堤防まで、あと105mの地点ですが、何を定点観測しているのでしょうね?
ここ(地図中②)が、県道68号線旧道の茨城県側終点となります。
藤蔵河岸
生板鍋子新田藤蔵河岸(まないた・なべこしんでん・とうぞう・がし)
↓
江戸時代、藤蔵河岸は仙台藩の飛び地であった龍ケ崎や、河内地方の天領・旗本知行地の年貢米や諸物資を江戸へ輸送・・・
幕末最盛期には毎日3、40艘の高瀬船が出入りして繁盛しました。
藤蔵の地名については、猟師、船頭、問屋、先祖などの名に由来するなど諸説あります。
藤蔵河岸には上・中・下の三河岸があったそうで、元禄時代すでに中河岸の町田五兵衛、大野庄右衛門が問屋として公認されています。
上河岸は奥山新田(現・利根町…すぐ西側に町界がある)に属し、下河岸は明治20年代に宮淵(現龍ケ崎市)出身の鴻巣亀吉により開かれたとの事です。
明治15年頃から蒸気船が就航し蒸気宿になりましたが、明治29年の鉄道(現在の常磐線)開通により河岸はその役割を閉じました。
※現在の藤蔵河岸「常夜灯」…茨城県稲敷郡河内町生板鍋子新田1821(県道68終点の西側25m地点)にて本ブログ管理者2022.8.7撮影
さらに明治40年からの利根川2期改修工事で流路が大きく変更され、大正3年(1914)集落全戸とともに常夜燈も新堤防内に移転し、昭和34年現在の位置に移されました。
さらに西側にある稲荷神社の敷地には問屋大野庄右衛門家の大野我羊の句碑が・・・
また県下有数の地主で回漕問屋大野屋に生まれ戦後日本短歌界に名を馳せた大野誠夫の歌碑が実家門前に見えました。
安食卜杭
路線全体として、県道68号線の実質的な終点地は、国道356号線(旧道)の「安食卜杭」交差点になります(千葉県印西市安食卜杭)。
※県道指定上の終点地名は「千葉県印旛郡栄町」
これ、結構な難読地名ですよね。
「あじきぼっくい」と読み、人口は約300人程の小さな地域です。
「卜」はボク、ウラナウと読みます。
当時の豊凶を占ったり、その地域の平和や豊作を祈る杭を建てて「卜杭野」と呼ばれていたようで、これが地名につながったといわれているのだそうです。
いかがでしたでしょうか?
たまには、ゆっくり歴史散歩するつもりで自転車に乗り「ゆるポタ」してみてはいかがでしょうか?
余談ですが、県道68号「美浦栄線」千葉県側の某所ですが、グーグルマップのストリートビュー(グーグルアース)を見ると、ジバニャン(猫の地縛霊)が居るのでは?・・・
※ストリートビュー2014年4月
もし、興味とお時間があったら、皆さんも調べてみてくださいね♪