随分前に桃太郎伝説について書きました。
桃太郎伝説は、決しておとぎ話ではなく、伝説の元になった人物がいたのです。その人物とは、吉備津彦命です。
吉備津彦命とは、第7代孝霊天皇時代(約2300年前)の四道将軍の役職の一つだったようで、何代か存在していたようです。
その最後の吉備津彦命が温羅(うら)です。
温羅は、吉備地方を支配した鬼伝説として登場する人物とされていますが、これは熊襲によって正邪を真逆にされた改竄によるものです。
吉備地方に伝わるのは、鬼である温羅を、退治した吉備津彦が桃太郎とされているのですが、本来は吉備津彦命=温羅=桃太郎だったのです。
温羅は、当時の朝鮮半島にあった百済国の前身馬韓国の王子で、熊襲(鬼)の攻撃に苦しんでいた日本を救うためにやって来たようです。
温羅は、日本名は稚武彦命 で、四道将軍の吉備津彦命の職を継いで熊襲退治を行ったのだと推測しています。この時の事績が、後に桃太郎伝説として後世に伝わったのです。
その温羅が、熊襲との戦いの際、拠点にした場所が、実は瀬戸内海に浮かぶ百島(ももしま)なのです。
何故、百島を拠点にしたのでしょうか?
それは、熊襲の鬼が拠点にしていた場所が、同じ瀬戸内海の女木島だったからだと推測しています。女木島には鬼ヶ島伝説が残っています。
百島の「百」は百済からとった文字でもあり、また、「百」を「もも」と読むのは、かつて「桃島」と呼ばれていたからだそうで、桃太郎が由来になっているはずです。
現代では、知名度が高くない瀬戸内海の小さな島ですが、先日訪れた際、隠された歴史を垣間見ることが出来ました。
百島へは福山市の常石港からフェリーが出ています。所要時間はたった10分程、近い島です。
百島に上陸し、まず立ち寄ったのが袖乃天満宮です。
何故、この島に天満宮が鎮座しているのかといいますと、そこには驚きの伝承が残されているのです。
それは、菅原道真が、京都から太宰府に左遷(実際は違うのだが)される旅の途中、わざわざ百島に立ち寄って一袖残したという伝説です。その証として当地に天満宮が建てられたということです。
袖乃天満宮本殿
菅原道真は天神様の化身、その道真が左遷される旅の途中、わざわざ海を渡って立ち寄る程、百島は重要な場所だったとういことなのです。
また、百島にはだんご岩という岬に巨岩があり、祀られています。
だんご岩の「だんご」とは桃太郎伝説のきび団子が由来のはずです。
百島に関しては、女木島のように桃太郎伝説は残されていませんが、桃太郎伝説の中心は、百島と言っても良いのです。
また、温羅が拠点にした場所、菅原道真が立ち寄った場所であることから、百島は霊的に重要な場所でもあるのです。
百島は波動が高い島でした。他にも驚くべき場所がありました。
龍雲が舞う百島
桃太郎伝説はフィクションではありません。当時は鬼の姿だった熊襲を退治するために現れたのです。そして、見事に鬼である熊襲を退治したのです。
しかし、熊襲は倒しても倒してもゾンビのように復活するのです。だから歴史をは繰り返すのです。
現代では、鬼は人間の姿をして社会に潜んでいます。今後、さらに地球の波動が上がると、熊襲が鬼の本性を現すのかもしれませんよ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。