熊襲の真実(続) | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

先週は、月曜日に関東北部で震度5強の地震、土曜日には小笠原諸島を震源とする全国を広範囲に揺るがした地震と立て続けに起こりました。

また、口永良部島の大噴火もありました。

私は、波動が上がっているので、国内では大地震は起きない、と私は3年以上前から主張していますが、ネパール大地震や箱根の噴火兆候に加えての、今回の大き目の地震に噴火。

皆さんはご心配されていることでしょうが、
大丈夫です。

今回の地震は、先日ご紹介した大陸再浮上の兆候なのです。地殻内、大陸プレート間に溜まったエネルギーが放出されているのです。小笠原諸島を震源とする地震の震源地は地下590㎞。これほど深い震源はこれまでほとんどありませんでした。まさしく、大陸再浮上の準備です。今後、数年間、じっくり見ていてください。
<新大陸隆起の兆候>


さて、本日は熊襲について、さらに分かったことをご紹介します。

昨年11月について熊襲の記事を書きました。
<熊襲の真実>

現代では、熊襲とは、かつて南九州に存在した差別された人々のことを表すように用いられていますが、本来は正当な政権下(九州王朝で活躍していた人々だったのです。
<九州王朝は存在した!>

ところが、古代、阿修羅によって侵略を受け、九州王朝は崩壊し、その人々は阿修羅の支配下となり、後に熊襲と呼ばれ差別されてきたのです。

熊襲とは、「熊を襲う」と書きますが、そのような野蛮な行動を取ったのは、むしろ九州王朝を侵略した阿修羅の方だったのです。

従いまして、私は「熊襲とは阿修羅のことである」と書いてきたのです。ここに来て、その熊襲について、さらに分かってきました。

熊襲とは、記紀に登場する呼び名であり、筑前風土記では球磨囎唹」
と書かれていることは以前の記事でご紹介しました。球磨とは、「球を磨く」ですから、球磨囎唹と呼ばれる人々は、勾玉等を作っていた技術者集団であったことが伺えます。


また、熊襲の熊は、熊本の熊と同じですよね。「熊本」とは、加藤清正が名付けたもので、それまでは同じ読みで「隈本」という漢字が使われていたようです。
<WIKI:熊本県>

隈(くま)という漢字が付く地名は、熊本県だけでなく福岡県や佐賀県にもたくさんあります。

また、鹿児島県大隅半島の隅(すみ)も、「くま」と読めます。

実は、「熊」「球磨」「隈」「隅」等、「くま」と呼べる感じが付く地名には共通性があるのです。

それは、古代朝鮮半島との関係です。

紀元前1世紀から7世紀にかけて、朝鮮半島では高句麗(こうくり)が存在しました。高句麗は現代では「こうくり」と読みますが、高句麗が存在していた頃の日本では「こま」と呼ばれていたようなのです。

当時の日本(倭国)は、九州王朝と葛城王朝の流れの大和王朝が併存していた頃です。九州王朝は、高句麗、百済、新羅、任那の朝鮮半島の国々とは6世紀頃までは友好関係にあり、仏教文化を初めとして、神代終了時に失ってしまった先史文明の日本文化を、朝鮮半島の国々から積極的に輸入していたのです。

そのため、この時期には、朝鮮半島から多くの特殊な技術を持った渡来人が、日本へ招かれ永住するようになったのです。のべ数十万人以上の渡来があったようです。有名な秦氏もその一つです。

その結果、古代九州を中心に、渡来人を中心とした町がたくさん出来ていき、その場所が高句麗から派生して「こま」と呼ばれていたようなのです。

その「こま」が、だんだん「くま」に変化し、「球磨」「隈」「隅」という漢字に当てられていったのです。

しかし、7世紀に入り、朝鮮半島の高句麗、新羅、百済は、阿修羅によって侵略され、次々に滅ぼされていきます。

この当時、阿修羅の侵略を防ぐため、朝鮮半島の国々を助けようとしたのが、天智天皇で、それが白村江の戦い(663年)なのです。しかし、倭国は敗北します。
<WIKI:白村江の戦い>

その後、日本では、阿修羅の邪魔を克服して九州王朝と大和王朝を統合します。これが壬申の乱以降の正当な大和朝廷です。

しかし、その後も阿修羅は何度も復活し、とくに九州南部では、こまの町が侵略され、技術集団の渡来人の子孫たちは、阿修羅の支配下になってしまったのです。そして、時代が下って後の時代、「こま」の人達を襲った阿修羅のことを「熊襲」と呼ぶようになっていたのです

ところが、明治以降になって、阿修羅の流れの人達は、「熊襲」を「こま」にすり替えて、再び差別しだしたのです。それが、現代社会に同和として残っているものと推測しています。

朝鮮半島からやって来て仏教、漢字、技術等を伝えた渡来人は、日本文化を復活させた功労者たちなのですが、阿修羅によって侵略され、差別されているのです。

現在の北朝鮮も似たような状況にありますよね。阿修羅政権が国を治め、一般国民は奴隷に近いような扱いを受けているのです。

歴史とは、いつも勝者の歴史であり、正当な歴史とは言えないのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。