ロアノーク島集団失踪事件
アメリカ合衆国ノースカロライナ州アウターバンクス。
ここに、浅瀬と暗礁に囲まれた1つの島があります。
それが、ロアノーク島。
この大航海時代にイギリスの植民地として注目された小さな孤島で、
未だ解明されていない不思議な事件が起きました。
それが、一般に言われている『ロアノーク島集団失踪事件』です。
1587年5月8日。
イギリス測量士ジョン・ホワイト率いる一団150人が、
植民のためにロアノーク島に向けて出港しました。
しかしこの島は海岸線が船の出入港に適しておらず、
またインディアンとの争いも激しかったため、
ホワイトと数名のみが救援を求めるためにイギリスに一時帰国します。
しかし当時スイスとの戦争に追われていたイギリスは、
その後この一団の救援になかなか手を付けることができず、
救援は1590年まで先延ばしとなっていました。
なぜならイギリスは最強と呼ばれたスペイン艦隊を相手にしなければならなかったため、
長距離の船旅に耐えうる船が無かったのです。
一応艦戦に適しない船で救出のための出航をしてはいましたが、
季節が冬だったり、海賊行為を行い返り討ちに遭うなどして、
ロアノーク島へたどり着くことはできませんでした。
そしてようやく同年5月8日。遂にホワイトが救援隊とロアノーク島に到着します。
しかし島のウォルター・ラレイ村に残っていたはずの117人の住人は、
まるで神隠しにでも遭ったように姿を消していたのでした。
その後、住民を発見するための調査が行われましたが、住民消失の手掛かりは全く掴めません。
島にある砦の柱に「CROATOAN」と、近くの木に「CRO」と刻まれていましたが、
その言葉が何を意味するのか、真相は未だ明らかにはなっていないそうです。
またホワイトはロアノーク島からイギリスに戻る時、
何か一大事が起きた場合に、近くの木にマルタ十字を彫るよう指示していました。
しかしこの時約束の十字架が彫られていなかったため、
ホワイトは何か事件が起きたのでは無く、
事情により別の地域に移動したのではと考えていたそうです。
CROATOANに関しては、いくつか説があります。
周辺の原住民であるクロアヌン族を指しているという説もあるし、
ノースカロライナ州北東部沿岸にある海峡を指しているという説もあります。
ホワイトは住人がクロアトアン島に移動したことを意味していると解釈したようで、
彼がこの後クロアトアン島の確認を行えないままにイギリスに帰還したため、
結構これが正解なのかも知れません。
ちなみに1998年。東カロライナ大学はロアノーク事件を考古学的に調査するため、
『クロアトアン・プロジェクト』と呼ばれる発掘調査を開始しました。
調査チームは古代クロアトアン族首都があった地点で、
16世紀の10カラットの金製印章指輪、銃の火打ち石、16世紀の銅貨2枚を発見しています。
指輪は検証の結果、1585年から1586年にロアノーク島の植民地に住んでいた
マスター・ケンドールの所有物だった可能性が高いと結論づけたそうです。
※新たなホームページ作成の計画が持ち上がったので、
今回の記事は再録させていただきました☆
また「ノーフォーク兵消失事件」も再録の予定です♪
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それが、ロアノーク島。
この大航海時代にイギリスの植民地として注目された小さな孤島で、
未だ解明されていない不思議な事件が起きました。
それが、一般に言われている『ロアノーク島集団失踪事件』です。
1587年5月8日。
イギリス測量士ジョン・ホワイト率いる一団150人が、
植民のためにロアノーク島に向けて出港しました。
しかしこの島は海岸線が船の出入港に適しておらず、
またインディアンとの争いも激しかったため、
ホワイトと数名のみが救援を求めるためにイギリスに一時帰国します。
しかし当時スイスとの戦争に追われていたイギリスは、
その後この一団の救援になかなか手を付けることができず、
救援は1590年まで先延ばしとなっていました。
なぜならイギリスは最強と呼ばれたスペイン艦隊を相手にしなければならなかったため、
長距離の船旅に耐えうる船が無かったのです。
一応艦戦に適しない船で救出のための出航をしてはいましたが、
季節が冬だったり、海賊行為を行い返り討ちに遭うなどして、
ロアノーク島へたどり着くことはできませんでした。
そしてようやく同年5月8日。遂にホワイトが救援隊とロアノーク島に到着します。
しかし島のウォルター・ラレイ村に残っていたはずの117人の住人は、
まるで神隠しにでも遭ったように姿を消していたのでした。
その後、住民を発見するための調査が行われましたが、住民消失の手掛かりは全く掴めません。
島にある砦の柱に「CROATOAN」と、近くの木に「CRO」と刻まれていましたが、
その言葉が何を意味するのか、真相は未だ明らかにはなっていないそうです。
またホワイトはロアノーク島からイギリスに戻る時、
何か一大事が起きた場合に、近くの木にマルタ十字を彫るよう指示していました。
しかしこの時約束の十字架が彫られていなかったため、
ホワイトは何か事件が起きたのでは無く、
事情により別の地域に移動したのではと考えていたそうです。
CROATOANに関しては、いくつか説があります。
周辺の原住民であるクロアヌン族を指しているという説もあるし、
ノースカロライナ州北東部沿岸にある海峡を指しているという説もあります。
ホワイトは住人がクロアトアン島に移動したことを意味していると解釈したようで、
彼がこの後クロアトアン島の確認を行えないままにイギリスに帰還したため、
結構これが正解なのかも知れません。
ちなみに1998年。東カロライナ大学はロアノーク事件を考古学的に調査するため、
『クロアトアン・プロジェクト』と呼ばれる発掘調査を開始しました。
調査チームは古代クロアトアン族首都があった地点で、
16世紀の10カラットの金製印章指輪、銃の火打ち石、16世紀の銅貨2枚を発見しています。
指輪は検証の結果、1585年から1586年にロアノーク島の植民地に住んでいた
マスター・ケンドールの所有物だった可能性が高いと結論づけたそうです。
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