拾遺愚想 - 越境する妄想団 delirants sans frontiere -3ページ目

ジャッキー・チェン「神話」

 ジャッキー・チェン「神話」を見る。超豪華歴史絵巻かと思っていると、たちまちカンフー映画になり、突然SFに! ジャッキー・チェンの趣味が横溢するので、げらげら笑っていると、反重力も浮遊効果の隕石も何も解決されぬままに、終わってしまったらしい。というのも、炬燵の中で寝てしまったのだ!
 ツイッターで書いていたら短い文しか書けなくなったよ。

今夜のルーミー

 何か訳の分かったものに突進するのがミステリーや宗教で、何か訳の分からないものに突進するのがSFなのだ。
 昨日の「世界まちあるき」は、トルコのコンヤだった。その昔ルーミーが神秘家導師に出会って開眼したところ。有名な旋回踊りが行われている。ルーミーに憧れてトルコに行って云々の小説はいくつもあって、それなりに美しい。
 ディッシュの「アジアの岸辺」は、ギリシャとトルコの狭間で生まれた。何か訳の分からないものに浸されながら、コルトレーンやラヴクラフトと同じように、身を引いたのだったか? とするとSFではないのか。

韓国歴史ドラマ

 BSデジタルを見るようになって、韓国歴史物、「朱蒙」「善徳女王」を見ている。途中からでよく解らないので、「三国史記」を引っ張りだしてきた。ほうほう、朱蒙のあの息子が次の王になるのか。他の王子が逃れて百済を立てるのだろうか。善徳女王はどうして女で王になれるのか。日本の女王とどう関係するのか。奈良時代の新羅と日本の関係は。などなど楽しい夢想が、久しぶり。

「反音楽史」続

 「反音楽史」読了。シューマンが作り出した独逸クラシック音楽という虚像は、ディキシーランドジャズの発生によって崩壊した,というのが結論だった。
 ただバッハやモーツアルトの楽譜を保存してくれたのは功績だろう。一方で、イタリアオペラの楽譜は多くが散逸してしまったのだろう。

反音楽史

 「反哲学史」の後は「反音楽史」石井宏だ。
 ドイツ人がドイツ音楽を称揚するために「音楽史」を作ったという。まだ半分しか読んでないが、今のところはそれを証明するための「本当の」音楽史の記述だ。
 結局は世の中の常識的な通念は一応は疑ってかかり、自分で検証しなければならないということだ。やっかいなことだけど。
 一番やっかいなのは、日本の古代史だ。書紀や古事記に書かれていることが正しいことだと皆が考えて、それにそって種々の文献を解釈し、注釈し、翻訳しているので、いちいち原漢文を読まないとホントのことが分からない。そして原文を読めば、あっと驚きの新世界が広がるのだ。Sense of Wonder !!

パソコンが起動しない

 パソコンが起動しない。電源のエラーという。
 午後に開腹して、電源だけを起動。電圧をチェック。12V のところ 11.5V しか出ていないが、他に問題はなさそう。元に戻して、再度起動する。おお、立ちあがったよ!
 今朝は何故か電圧が低かったのか?

豊前王朝論

 大芝英雄の「豊前王朝論」は古田武彦によって一蹴されていたが、神武の東征したところが奈良ではないかも知れないという発想は貴重である。
 古事記の大坂山をめぐる記述は豊前の大坂山を想起させる。豊前に廃寺が多いことも疑問を抱かせる。状況証拠ともいえない気配だけれど。

Janine Jansenってどう読むの?

 中野善夫さんに Janine Jansen を教えてもらって聴いてみた。ビバルディの「四季」が面白い。四季の中に詰まっているものを何としても引き出してやろうというように感じられた。近年の古楽派のは聴いてないので、心許ない感想だ。
 そういえば、庄司紗矢香がベートーヴェンの協奏曲を弾いたときに、自作のカデンツァを弾いていた。何とも形容のしづらい凄い、幼くも強情な稚拙さだった。でもそれが彼女の革命宣言なのだと思って感激した。カデンツァはみんなオリジナルを弾くようになってくれると楽しいぞ。さて Janine はどうしているだろう?

木田元おじさんが面白い

 本屋で木田元の『反哲学入門』を見かけた。「哲学」は特殊ヨーロッパの病である、と喝破されていた!
 慌てて買い込み、そそくさと読んだ。あまりに面白い。反哲学といいながら、小さな西洋哲学史になっている。しかし余りに面白すぎる。そこで斯界の人、志賀ちゃんに訊いてみた。
 特に反哲学と言いだしてから読みやすく面白くなった。『ハイデガー「存在と時間」の構築』は絶品だという。
 自伝的な本を何冊か読んでみた。同じことが同じ文章で何度も書かれている。まるで豊田有恒だ。木田の頭の中には「講談・木田元一代記」が仕込んであって、その時々で、多少の話題を変えながら口演しているのだろう。語学勉強法もしっかり伝道していて、高校生に読ませたい本もある。
 時間がない。続きはまた来週。
 

私たちの望むものは

 100円ショップに入ったとたん、「私たちの望むものは....」と、ハスキーな女声が聞こえてきた。歌とは呼べないほどのかすれ声だ。
 帰って YouTube で調べると、阿部芙蓉美という歌手だった。他にも「いっそセレナーデ」や「SEXY」などをカバーしていた。どれももしかすると本家より勝れている。自作スピーカーのシーダー16で聴くと、ハスキーさが艶っぽくなってくる。
 こんな声を歌と認めたフォーライフ・レコードは偉いな、と思っているうちに、長く聴かなかったフランソワーズ・アルディを思い出した。初期の歌は軟弱なバック演奏が現在では聴くに堪えなかった。1971年の「La Question」はブラジルのギタリストを迎えて素晴らしい。