みなさまこんにちは!おげんきですか?(^▽^)

2015年も残り半年下半期!!

となりましたる今週の月曜日。

わたくし「だっこ」、生まれて初めての体験をしました!!

それは、「個人相談のプロフェッショナル」のかたに、

「自分の悩みや心の苦しみを、本当に全部話してみよう」ということ。(・v・)


本を書くことを続けていく上での、執筆や出版への悩み解決、

より広くわかりやすくつたわるためのアドバイス

いまあるメディアの、より伝えやすく、楽しく伝える活用術。


相談を請け負っていただいたのは、

10年間で、対個人2万5000人!のカウンセリング!(・▽・)

そして、計27冊70万部のベストセラー!!!!!の実績を誇る、

「モテ本!」「一秒で彼を夢中にさせる法」(^▽^)♪♪などなど、

輝く女子をさらに輝かせる恋愛エッセイのカリスマ、

藤沢あゆみ先生↓↓(^▽^)

http://ameblo.jp/motezo/


同じ、10年。出版社さんから4冊出して、

仲間たちと自主製作でライブ活動の10年間をまとめた

「LIVE!!ー生きるほうへ」(だっこプロジェクト刊)を発売。

主にこの5冊の本で、

「このままじゃ、ここで、わたし、書けなくなる。」

と初めて「書き続ける、伝え続ける」ということに

『壁』を見て、

「焦りに飲み込まれる」体験をした私と、


27冊書いて書いて書きまくり売れまくりましたるあゆみ先生(^▽^)

そしてそのきらきら輝く本たちは、世代を問わず、多くの世の女性たちに、

「あなたはすてき。

あなたはいつだってだいじょうぶ。

自分を信じて?

自信を持って?」

と、10年間一貫してポジティブメッセージを発信し続けてきました。


何冊でも何冊でも書くパワーがあふれ出てくる、本当に数十万部ー100万部という

ミリオンヒットを出し続ける方々と、

どこかで「これ以上ムリ」という壁がきて書けなくなってしまう人。

「何が違うんだろう?」


どうしても、私から見て「あんな風にずっとずっと書き続けられたらいいな」という成功を

すでに実践されている方にお会いしてみたかった。


そしてね、わたし、先生にお会いしたとたんに、

自分でも信じられないくらいの、号泣をしていました。

こんなに、人前で泣いたことないです。

何に焦っていたのか。

何が苦しかったのか。


「自分が人前に立つことで、障害のある人もない人も、みんなが、

生きるほうへ行ける社会を作りたい!ただ、障害があるからという理由で、

自分の人生を、小さく縮めて、あきらめたくない。

たった1回の人生を、輝きたい!!」

そんなふうに、親元を出て介助さんたちと生活し、音楽仲間と歌いはじめた

、、、はずだった、、、、わたし。


でも、その心の奥の奥には、ものすごく年の小さな頃からはじまっている、

障害を持っていることでの、悔しかったことや悲しかったこと、おそろしい思いをしたこと、

それに「打ち勝ちたい!」、そして

「障害者だからって同情なんかされたくないの!!」

という、ぎゅうぎゅうに肩に力の入った負けん気だけ(!)がいつもいつもありました。


あゆみ先生は、すべてすべてを「うん、うん(・v・)だっこちゃん、だいじょうぶだよ(・v・)」

「だっこちゃんは、これまでもずっとやってきて、それはすごいことだよ、

だから、ひとつも、自分を否定したり、何かがうまくいかなかったときに、なんでもかんでも

『これは自分が悪いから。』って思いこんだり、卑下することはないんだよ?

だいじょうぶなんだよ(・v・)

いままでもこれからも、だいじょうぶなんだよ?

もっと自分に、自信を持って?」

と聞いてくださり、10年分。本当に10年分泣きました。


私はずっと、「障害を持っている自分だから見えていることや感じられること」そのうちのとくに、

「悔しさや悲しみ」を、歌の歌詞に書けたことが、ミニアルバム「空の音」を作るまで、

ありませんでした。

数年来、1000人規模のコンサートや、新聞に載せていただいたりなども繰り返しある中でも、

「だっこさんは、そこさえ書ければ、もう一つ大きな伝え方ができるのに!!!」と、

複数の尊敬する音楽分野の方々から、実はまったく同じアドバイスをいただいていました。


でも、それでも書けませんでした。

それは「私は人前では絶対に笑っていたい。」

「障害者のお涙ちょうだいみたいなことってキライなの!!」


だって泣いたら、もっと虚しくなるのはわたし。もっといじめられたり、

もっと上から目線から見下げられたり、もっと苦しくなるのはわたしだから。


私が障害を持って体験した色々な、生きる上での楽しさ以外での体験は、

わたしの心の底の底を、疑い深い、人を信じない、そして最後には動けなくなって

「自分自身すら信じない」、

喜怒哀楽のどこか何か欠落したような人間するには十分で。

私はいつからか、(たぶん9さいからなんだけど(--))

自分の気持ちを覆い隠すために、そして、自分から常に一線引いて

「このくらいまでしか」人を信じないために

「ここから先は」幸せにならないために

繰り返し、傷つかないために先手を打とう、そんな風に、

絶対に泣かないために、笑っていました。


それが私にとって虚像でもいいから

「障害を持っていても、楽しく幸せに生きることができるよ」と

見てくれる『誰かに』伝えていれば、

過去の私みたいに、家で一人で、泣いている誰かの光になれる。


それは、「本来は、障害を持つ人の支援者である」という社会的立場の人から

「かわいそうにねえ。助けてあげる。」という捉え方で

見下されたり、一般の人と同じ形で働けないという理由からバカにされたり。

バリアフリーなんてことばさえない、介助制度もない、

「今」じゃない、「昔」に遭った、たくさんのこと。


わたしなら、そういう場所に今も居続ける誰かの助けになれる。


わたしがずっと笑っていれば、自分以外の光にはなれる。


そういう風に、いつもずっと笑っていました。


でも、自分でも無意識のうちに私は、

自分のことを誰よりも一番、本っ当の意味での

「かわいそうな人」に追い込んでいた。

自分を、もしかしたら未来には、今よりもなお、

幸せにしてあげられるかもしれない『可能性』を放棄し

自分をね、『車いすの歌姫』という公の時に見せている型にはめ込んでそれで満足。


人とのかかわり方にも自分にも、限界決めて、ここまで!って。自分からブロックをして、

本当には、信じていなかったんだから。

自分の苦しかった過去のこと。

過去の中で、

幾年でも泣いていた私を、そのまんま。泣かせたまんま。

自分でもほとんど気づかぬうちに、

(いや、うすうす気がついていたけど、認めたくないっていうか。)

「代償行為」で「誰かを助けたい」っていつもずっと思っていました。


でも昨年、木村弓さんとジョイントをさせていただいたコンサートを企画したとき。

ライブ活動の10年をまとめた「LIVE!!-生きるほうへー」の写真詩集を、

写真家の三好祐司さん。デザイナーの小笠原いづみさんと作ったとき。

奥野裕介殿とCD「空の音」をつくったとき・・・ ・・・。

その時間は、すべてすべてが、宝物のように輝いていて、

たくさんの人の無償の愛と、楽しさや嬉しさの中に過ぎて行きました。


ゆめコンサートでは、私、1曲、大失態を実はしてしまっていて、(本当にとんじゃったの歌詞が)

終わってから、仲間の前でも、木村弓さんや中川俊郎さんにも、号泣!!!しました。

それが去年の12月。自分の失態で、敬愛する方々の前で、大号泣。

でも、そのときに、受け取った、弓さん、中川さん、スタッフチームからの大きな大きな愛。


写真詩集作りで、三好殿やいづみさんにいただいた愛。


奥野殿は、CD作りの中で、

「だっこ、なんでもっと本当のことを書かないの?!」と想いをぶつけてくださった。

コンサートのあと、木村弓さんも、

「だっこさんには、だっこさんにしか書けないことばがきっともっとあるよ?」と、

言ってくださった。

エッセイでも、4冊目の「バリアフリーのその先へ!」は、あの中身として書ける限りの、

「いい子ちゃん」じゃない、生活の部分の本音なんかも、書けたと思う。


すべてがあって、去年の締めと今年の仕事!!という締めとスタートの総決算、

という感じでCD「空の音」を作っていて、

詩に向き合っていたらね。

自分がほんとは、黒くて、黒くて。


どのくらい、苦しかったことや悲しかったことは言わないで、

消化できてないくせに溜めに溜めて。

泣くのはすごく恥ずかしい。

弱みを見せるなんて勘弁。

甘えないのが、頼らないのが、かっこいいとか、勝手に決めて。

笑顔でいること「しか」できない人間になっていたかが、どんどん解った。


歌の1、2曲に書けましたってだけでは、全然、消化できていない悲しみが、

胸の中に幾年でもあったのもわかった。

それで、感情が日々ぐらぐら揺るがされる中での、新しい出会いがまたあったりして。


でも、それでも、私は、素直になれなかった。

「もう助けて」って、人の手を取れなかった。

「だめだ、わたし書けなくなる。」


だって、本で読者に呼びかけて書いていることと、私が私にしてきたことは、真逆じゃん?

それに気づいて、持ちきれなくて、この期に及んで

「友だちもみんなもう何かのプロだし忙しい」とか、勝手に決めて。

作家として、個人相談のプロであるあゆみ先生に会いったんだ。


でも、あえて、ごくごく身近の仲間のだれかじゃあなくって、自分よりはるかに大きな成功をすでに

成し遂げている成功者の方に会えたのは、すごく、すごく

「10年後、わたしもこんなふうに、人に勇気を与えられる人になりたい」という、

「未来への勇気」を見て、初めての、凄いすてきな体験だった。


一言でいうと、「憑き物が落ちた」みたいな気持ち(^▽^)

10年間、両肩にのった重いおばけが落ちた。


あゆみ先生、

「だっこちゃん、心のエンジンには2種類あるのよ(^^)/」とお話しをしてくださいました。

『もっとがんばらなきゃ』
『誰々みたいにならなきゃ』

『誰さんに勝たなきゃ』

『世間様に恥ずかしくないようにしなきゃ』

そういうのはね、ブラック・エンジン。

肩ひじを張って、ぎゅうぎゅうに力んで、「誰か」とか「世間」とか「評価」とか、「自分のきもちじゃないもの」を、視野に入れることでがんばっちゃうの。「負けたくない!!!」と。

「比較」がエナジイの源。


でも、心には、もうひとつエンジンがある☆

それは、白いエンジン☆

ホワイト・エンジン。

「歌を歌う時、自分は、楽しい」

「これをやるとき、自分が嬉しい。幸せ。」

「純粋に、人や社会に役立って、嬉しい。」


「自分の」嬉しさ、楽しさ、幸せを原動力にする。


「だっこちゃん、何をしているときが幸せ?

だれに会えたとき、

話してるときが幸せ?」


わたし、そのことばを聞いて、

「今、ちょっと、それが、わからなくなっちゃった、です、、、」
と言いながら、本当に本当に泣きました。

「なんでこんなに、苦しくなっちゃったんだろう?」って。


でも、苦しみの根源は、私の場合、「今」じゃなく、「過去」から来ていることで。

「本当は」言いたいことを言わずに抑え

(泣くこと、時には人とぶつかってでも気持ちを言葉に出して言うこと、

怒りや、大きな悲しみもぜんぶ含めて。

だって言わないのが一番ラクだと思い込んで、わたし、無意識に、ぜんぶの局面で、逃げたんだ。)


「本当は」いてほしい人にいてほしいと言わず

あんまりにも、長い間、

誰よりも、私が私に対して、

「だって、私は障害者だから」と、「心に常にブレーキをかけている状態」で笑うことを課していたのでした。


「もう捨てる。

今日で、10年分、全部泣いたから、今日で捨てます!

もう、がんばらない!(-▽-)

ムリとガマンは、もう、しない!!!!!!」


と、私は「自分と」、あゆみ先生に宣言。


これからは、もう一度、素直になって、そうすると、泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・ ・・・ぜんぶの感情がきっと出てくるから、きっと、それをまた「感じる」ことも、すごくこわいけど、

でも、それでも、もう、自分の「ほんとうの本音」じゃないことはしないで、

自分の「うれしい」や、「たのしい」や「幸せ」や、

「純粋の願い」、、、だれのものでもない、「人様の期待!」とかでもない、

「自分が自分をただ向かわせる」という楽しさに、心を合わせて、生きていく。


なんで、今まで、、、自分の本の内容と矛盾だ、、、 、、、。

「私の願いは、叶わない、叶わない、だって私、障害者なんだから」って、、、

すごい力で自分に呪いをかけながら、生きてきたのかな。

しかも、物凄い、エネルギーなんだよ(-▽ー)幾年も?!


ぜんぶを、素直に、逆に使えば、いろんなことが、変わったろうにね。


だけど、まだ、生きてるうちに、間に合ってよかった。


感じたことが、ありすぎて、ほんとうに、1ページでは書ききれないけど、

これからは、「白いエンジン」で行きます!!(^▽^)


次の10年、どうぞみなさま、もう私は

「頼らない・・・ ・・・」「甘えない・・・ ・・・」「自立しないと・・・ ・・・」とか言わないから

(だってどうせいつも思っても結果、だいすきな人々に頼りまくっていることは

もうわかっているし!感謝もあるし!(-▽-))

今後ますます、泣いたり笑ったり怒ったりぜんぶして、素直にいくから、

「チームだっこ」に、加わってくださーい!(^▽^)