内田 樹 『もういちど村上春樹にご用心』 を読む | 禄のブログ

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正月から読みだした湯川豊 小山鉄郎 『村上春樹を読む午後』 を読み終え、 ようやく内田 樹 『もういちど村上春樹にご用心』 に取り掛かった。


     


まえがきに“僕はご存じのとおり 「評論家」 ではなく 「ファン」「崇拝者」 というポジションから村上春樹を論じています” と書いてあったので、結構くだけた話かと思ったが、

まあ、そういう話もあるのだが、いや、難しい。 問題の捉え方や視点が、僕の理解の外にある。やっぱり内田 樹とは脳の構造が違うのか?


でもまあ、いくつか・・・

○ 既視感、空想上のイメージ(1)

“・・・、そして、勝手に頭の中で空想上の「芦屋」の街を描いていた。 そして、『風の歌を聴け』を読んだ時に、「あ、これ芦屋じゃん。オレ、この街知っている」と思ったのである。 私が知っている街について著者も知っているということではなく、「私しか知らない街」(だって空想上の「芦屋」なんだから)について著者が知っていたということが重要なのだ。”

“現代中国で村上春樹は圧倒的な人気を誇っているが、それを「現代中国の若者の孤独感や喪失感と共鳴するから」というふうに説明するのは、ほんとうは本末転倒なのである。 そうではなくて、現代中国の読者たちは、村上春樹を読むことで、彼らの固有の「孤独感や喪失感」を作り出したのである。”

“「強い物語」は私たちの記憶を巧みに改変してしまう。 物語に出てくるのと「同じ体験」を私もしたことがあるという偽りの記憶を作り出す。 その力のことを「物語の力」と呼んでよいと私は思う。”


○ 既視感、空想上のイメージ(2)

“村上春樹は「初めてビーチ・ボーイズの音楽に出会った」日のことをこう回想している。

「僕は14歳で、曲は『サーフィンUSA』だった。 机の上にあった小さなソニーのトランジスタ・ラジオから流れてくるそのポップソングを初めて耳にしたとき、僕は文字どおり言葉を失ってしまった。 僕がずっと聴きたいと思っていたけれど、それがどんなかたちをしたものか、どんな感触を持ったものなのか、具体的に思い描くことができなかったとくべつのサウントを、その曲はこともなげにそこに出現させていたからだ。」 (『意味がなければスイングはない』 36頁) ”


僕が6年前に秋元順子さんの歌をTVで初めて耳にした時、「これが僕の求めていた声だ」(求めたりしたことなんかなかったのに) と感じたことを思い出した。

(1)や(2)と相通じるものがあるよねえ・・・コジツケかなア。


○既視感・・・を覚える人

“私自身の村上春樹ベスト短編は「四月のある晴れた朝に100%の女の子で出会うことについて」と「中国行きのスロウ・ボート」と「午後の最後の芝生」であるが・・・

私自身も街を歩いていて、「あ、いま、あっちから来る女の子がぼくにとっての100%の女の子だ」と電撃的確信を得たことがこれまでの人生に2、3度ある。 (・・・・・) はじめてあったのにつよい『既視感』を覚える人がときたまいる。 (・・・・・)。”


女性の顔をはじめてみた時、写真であれTVであれ、懐かしい気持ちになるときがある。それが好感をもつ前提条件であるような気がする。 

変な話だけど最近で言えば、全豪オープンで見たブシャール・・・シャラポアに負けちゃったけど。


と、いうわけで、何でも自分のことと結びつけてしまうのだが、

内田 樹さんも、結局、村上春樹をダシに使ってご自分のエッセイを書いているような気がた。

まあ、それはそれで、そんなものかも知れない。


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先日も触れたが、1月15日から村上春樹さんの期間限定ウェブサイト「村上さんのところ」 が開設されている。サイトには毎日沢山のメッセージと回答が記載されており、読むのも大変。


いささか気になるのは、“村上さんをもってしても途中で挫折した世界的名作もあるのでしょうか?”との質問に、“そういう本はたくさんあります。 『失われた時を求めて』・・・・・”と答えていたこと。

どうしてなんだろう? つまらなかったから・・・なんて言わないでほしいな!


ところで、僕もようやく二つ質問した。 ま、回答は期待してないけど・・・