湯川豊 小山鉄郎 『村上春樹を読む午後』 を読む | 禄のブログ

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先日も書いたように、正月から湯川豊 小山鉄郎 『村上春樹を読む午後』 (2014年)を読みだした。


     



村上春樹の作品は、初期の頃には「アメリカ的で、ポップな軽い小説」と思われてきたし、

“村上春樹の初期作品がアメリカ文学の直接的な影響下に書かれたというのが定説になっているが、・・・”と本書冒頭にあるように、今でもそう考えられているらしい。



村上春樹はあるインタビューで、「僕の教養体験はほとんど19世紀のヨーロッパ小説なんです。ドストエフスキーから、スタンダールから、バルザックから」と、コメントしているという。


湯川さんは、“第二作の『1973年のピンボール』で、「僕」が「殆ど誰とも友だちになんかなれない」といった後で、「それが僕の1970年代におけるライフスタイルであった。 ドストエフスキーが予言し、僕が固めた」という一節がある。 考えてみると、こういう文章はうわべだけの飾りとしてはなかなか 出てこない。  ・・・。  『ねじまき鳥クロニクル』を読んで、僕はドストエフスキーとの近縁性を強く感じたのですが・・・”と言っているし、


小山さんは、“『海辺のカフカ』は父親殺しの話です。 『カラマーゾフの兄弟』 も父殺しの話ですね。ドストエフスキーへの意識もあったんでしょうか。” と指摘している。


まあ、この話は次の湯川さんの言葉で終わりにしよう。


“文学の専門分野の人が、きちんと ― と言うよりはごくふつうに読み、楽しみ、享受していない のではないか・・・”


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さて、本書ではすべての長編小説が話題になっている。 それを列挙しても仕方ないのだが・・・


○ 風の歌を聴け (1979年)

○ 1973年のピンボール (1980年)

○ 羊をめぐる冒険 (1982年)

○ 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (1985年)

○ ノルウェイの森 (1987年)

○ ダンス・ダンス・ダンス (1988年)

○ 国境の南、太陽の西 (1992年)

○ ねじまき鳥クロニクル (1994、1995年)

○ スプートニクの恋人 (1999年)

○ 海辺のカフカ (2002年)

○ アフターダーク (2004年)

○ 1Q84 (2009、2010年)

○ 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (2013年)



さてさて、村上春樹の切り口は色々あるが、

先日の能楽鑑賞会のブログの中で、「異界(霊界)といえば・・・・村上春樹の小説に至るまで・・・」と書いたので、

そこらへんに注目してみた。


でるわでるわ・・・「霊的なもの」、「霊魂の深い闇」、「霊との距離が非常に近い」、「この世のものではない」、「生死の境を自由にくぐりぬける」、「向こう側の世界」、「地下2階の闇」、「現実と非現実」、「この世と異界」、「神話の世界」、「井戸の底」、「壁ぬけ」 なんて言葉が次から次と・・・


興味本位に拾い出してみたが、上記小説の殆どがこのような事象と何らかの形でかかわっていた。

村上春樹さんは、どのような意図で何を表現しようとしているのか?


湯川さんは、“村上春樹さんは日本的な霊魂の世界のもっている非近代的な物語性を追求することで、新しい文学を創造しようとしているのではないでしょうか。 日本の霊的な世界に、閉鎖的でない開かれた普遍性があって、新しい世界の価値創造に寄与できるという確信があるのだと思います。” と言っているが、正直よく分からない。


小山さんは、“1989年(ベルリンの壁が崩壊した年)に起きたことは、世紀を超えて、今もまだ未解決な問題として、我々の前にある。 「人を支えていた論理と体制が無効となり、自分を覆う壁を失った人々が独りで吹きさらしの中に立たざるを得なくなった時代」に、地下二階の「魂」の世界に降りて行って生み出される物語。 世界に共通する基盤となる神話を意識した物語。 見知らぬ異界と関係性を開く広い言葉の物語。 ・・・。 これが村上春樹の小説だが、それらは、いままさに世界の多くの読者が求めている物語なのではないだろうか。” という。


そうかも知れないなぁ??