9月の渡韓レポ(旌善(チョンソン)・ソウル・大邱) 大邱編 2日目。
「吹きすぎる風ばかり2」
で有名なユナーさん
とぶらり大邱散策 こちらの記事↓のつづきを。※プロフィール画像の使用については、ご本人の許可をいただいております。
9/21 有名ブロガーユナーさんとぶらり大邱散策③日本式建物のリノベカフェ@博物館イヤギ
ジンコルモクへ。
1907年に日本からの莫大な借金を返済しようと起こった国債報償運動。
所有の宝石の献納運動を起こしたのは、ここジンコルモクに住んでいた7名の奥様達だったと石碑に刻まれています。
国債報償運動については、こちら↓の過去記事を。
6/16 9回目の大邱⑪ 大邱の歴史を勉強しながら初夏の散策
富裕層の方のお屋敷が並んだ路地ですが、その殆どが韓国初のナイロン生産で繊維産業を導いた財閥Kolonグループ企業の会長の邸宅とのこと。
その路地の一角にあるヤクジョン(약전)にて昼ビール。
いや、正しくは新鮮なホヤのランチ。何度食べても美味しくて間違いのない味。
サバの塩焼きやナムルなどパンチャンはどれも美味しくて、この日の食事でユナーさんが一番お気に召した様子。
過去記事
大邱 2013 9/1 ジンコルモクにある日本式家屋で身体に優しい韓定食~ヤクジョン(약전)
食後はタクシーで南山洞(ナムサンドン)にある大邱カトリック大学校 聖ユスティーノ神学校(대구카톨릭대학교 성유스티노신힉교)へ移動。
こちらで日本語を教えていらっしゃる通訳解説士の稲岡亜紀さんからキャンパスを案内してくださるというありがたい提案が。
歴代の司祭をはじめとして、大邱区教で活躍した聖職者が眠る墓地。フランス人が多いそうです。
入口の門には左に「HODIE MIHI(今日は私)」、右には「CRAS TIBI(明日はあなたに)」というラテン語の文句が書いていて、 「人間はいつ死ぬかわからない」という意味なのだそうです。
こちらは日本統治時代である1942年に朝鮮の第3代大邱教区の司教の座に就いた早坂久兵衛氏のお墓。
戦後司教を辞任して大邱に留まっている間に亡くなったそうです。
こちらの墓地では、映画「恋する神父」の撮影が行われたそうですよ。
こちらの安益舎(アニクサ)と呼ばれる建物は、元々八公山(パルコンサン)の麓にあったそうですが、ダム建設のために水没の危機にさらされここに移築。
2012年に周辺環境を整備。
最近になって毎週月曜日のみ、どなたにでも無料で伝統茶を提供してくださる場所として開放されているそうなんです。
庭には歴代司教の名前が刻まれた石碑が。
ピカピカに磨かれた梁や床。
お茶を入れてくださるご婦人たちの韓服もステキです。
緑茶とソンピョン。
二煎目にはファン茶(황차)を入れてくださいまして、まったりとくつろがせていただきました。
亜紀さんが日本語を教えている神学生たちが詳しい説明をしてくれるというので、待ち合わせ場所へ移動しました。
大学院2回生で司祭の修行中のカン・チャニョンさん(左)とイ・ジョンミョンさん(右)。
親戚たちが皆カトリック信者という環境で育ち家族からカトリックの教えを学んだので、6歳の時に自ら「神父になりたい」と言ったというチャニョンさんが、独学で学んだという流暢な日本語で説明してくれました。
1911年朝鮮教区(現ソウル教区)から大邱教区が分離された後、初代教区長に就任したドマンズ司教が教区の司祭を養成するために1914年に大邱最初の神学校として建立されたのが現在の聖ユスティーノ神学校の前身となる学校。
ソウルの明洞聖堂の建築に参加したポワネル神父が設計。
国債補償運動を起した徐相敦(ソ・ソンドン)は神学校建築のためによろこんで敷地を提供したのだそうです。
1944年、日本の専門学校令によって廃校になり京城(現ソウル)カトリック神学校に統合。
1982年になって聖ユスティーノの聖心を受け継いだ現在の神学校となりました。
全寮制で大学で4年、大学院で3年の行程を終え司祭(神父)になれるのだそうです。
当時は聖堂を中心に左右対称のコの字型の建物だったそうです。
後に左右の建物は取り壊され、現在は聖堂部分だけ残されています。
聖堂は伺った前週まで内部工事が行われていたそうですが、ちょうど工事も終わり内部を見学できるようになっていました。ラッキー!
内部の写真撮影は禁止ですが、今回は取材ということで特別に撮影許可をいただきました。
入口を入ってすぐの場所にある棚は、神父様の着替えを収納するもの。
祭壇に対して垂直に並ぶ椅子は初めて見ましたが、一般の信者ではなく修道士だけがミサを行う修道会の聖堂の特徴なのだそうです。
正面に描かれている方が聖ユスティノで、2世紀にローマの人々にイエス様の事を伝えている時に殉教したという神学校の守護聖人。
併設されている建物には、建物やカトリック関連の展示が。
ドマンズ司教のマント、十字架と杖。
迷える子羊たちを救う司教は羊飼いでもあるので杖を持っているのだそうです。
建設当時使われていたレンガ。
聖母堂(성모당)と言われるこちらのアーチ状の建物は、大邱教区の初代教区長だったドマンズ司教が1918年に建てたもの。
フランスのルルドの聖堂の大きさや岩の細部に亘るまでそっくりそのままにまねて作ったそうです。
熱心に説明してくださった学生さん、そして貴重な機会を設けてくださった亜紀さん、ありがとうございました。
カトリック大教区はとても広く、ステキな近代建物も数多くあり見応えがありますよ。
過去記事
7/20 大邱(テグ)南山洞(ナムサンドン)にあるカトリック大教区の近代建築見学
大邱カトリック大学校聖ユスティノ聖ユスティノ神学校(대구카톨릭대학교 성유스티노신학교)
住所 大邱広域市中区南山3洞219(대구광역시 중구 남산3동219)
道路名住所 大邱広域市中区明倫路12キル47(대구광역시 중구 명륜로12길 47)
電話番号 053-660-5100
ホームページ http://www.cu.ac.kr/index.htm
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