blood・・Ⅱ | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

何故か・・は、わかりませんが・・小学生の時の雑誌の付録に

付いていた、謎々本の一問題が・・忘れられないのです。

昨日も、畑君との会話に中で・・話をしました。問題はこうです

江戸時代に強盗が発生しました・・豪雨の夜に・・廊下には泥の

足跡が残っていました・・容疑者は4名・・女中・商人・虚無僧・

浪人・・・十手持ちが・・犯人と断定したの侍でした・・・なぜか・・

廊下に残ていた足跡が・・左足の方が大きかったのです。

侍は左の腰に帯刀しているので、左足の方が荷重が大きくなる

為、左足が少し大きくなるという・・クイズの答えでしたが・・

其の事を、忘れていないのですww実際、私の足も・・畑君の

足も左足の方が・・1センチ程大きいのですが・・これは、思い起こせば

中学生の頃には気が付いていました。遺伝でしょうか??

以前誰かが・・投稿していた読み物の中に・・明治政府の依頼

で、日本人の体格を欧米人並にするために・・ドイツ人だかの

医者が招かれたそうです・・最初の来日の時に、其の医者は

馬で14時間3?4?回乗り継いで、目的地に到着しました。

しかし、2度目の来日の時には人力車を雇って16時間で、目的地

に到着したそうです・・その時の人夫の数は????一人です。

驚いたのは、医者でした・・凄い体力だと思ったそうです・・

欧米人など比べものにならないと・・・。食べている物を聞くと

味噌汁に漬物に・・ご飯に・・と、純粋な日本食でした。

そこで、医者は2人の人夫を雇い一人には、欧米食を一人には

日本食を食させ・・同じ距離を毎日走らせたそうです。どうなったか・・・

欧米食を食べた人夫は・・3日で音を上げ・・元の食事に戻させて

欲しいと願い出たのだそうです。日本食に日本人の体は、

しっかりと、守られていた時代です。炭水化物をエネルギーと

する人種と・・肉をエネルギーにする人種・・欧米人は青森

当たりの緯度の地域に住んでいるため、熱エネルギーを常に

必要とする食生活が求められ・・・四季折々に、趣のある食を

主とする日本人は・・主食の米からエネルギーを得ていたのでしょうか・・。

とにかく、江戸時代以前の日本人の体力・気力は世界有数

だったはずです。誰しもが、当たり前のように超人的な体力を

有する事をしていたし、それを手に入れる手段も自然に持ち得て

いたのでしょう。現代、欧米化された、食事になれてしまった私達は

欧米人と同じ様な体力の付け方をしなければなりませんし・・

其の事は、関節等に・・大きな負担を掛けている可能性も

あるのではないか?とも・・感じています。筋力的なピークは

必ず来ますが・・達人と言われた、武道家先生達は・・筋力に

頼らない力の出し方を・・見出す事に成功しているのです。

しかし、そういう先生方も・・必ず力と言うものを認識していたはずです。

力が出せない・・自分の力の限界を知らない・・のでは、その後

が観えてこないと、私は思って居ます。力任せ・・多いに有りき

なのだと、思って居ます・・が、そこから、どうすれば・・力を

使わないでも相手を制する事ができるか・・と言う事を見出したい

と、思うようになる事が、自然の流れで・・なければなりません。

力の出し方を、しっかりと身に付けている事は、その先に早く

行きつく可能性が、あると思っています。ですから・・修行の道のり

は、長くなくてはいけません。誰しもができるような事が・・

当たり前にできる・・という事では、何の答えも出てこないかもしれません。

それが、「気付き」と言う事です・・私の意識の中での「気付き」

は・・単発的なものではない・・・そうではないと、思って居ます。

やって来た、積み重ね・・経験が気づかせてくれたのであれば

その延長線上に・・・連続した気付きがあるはずなのです。

新陰流で言えば「習い・稽古・工夫」と三摩の位という教えが

ありますが・・教えられた通りに稽古を繰り返す事で・・道から

外れない工夫を繰り返す事が・・・大切なのだと思います。

簡単に手に入る、力はありません。力を遣い・・力を出す事さえ

忘れてしまいそうな日本人が多いのに、その上の力を出せる

はずがないと思って居ます。剣は、そういう事を顕著におしえて

くれています。握り方、腕の伸ばし方・・膝の入れ方・・体の使い方

が、しっかりと出来ていなければ・・求められる斬りはできない

のです。独自の物は・・・無い・・・・のかもしれません。新陰流に

守破離の教えはないのです、「習い・稽古・工夫」を円の上に

三つの点として顕して、教えとしています。クルクルと回りながら

何かをお見つけ出す・・その円が大きく変化するのか・・小さく

委縮するのか・・。私はww左足の方が大きいので・・侍の血が

流れているのでしょうか??(万人に当てはまるとは思いません)

しかし、侍気質・・何度でも一からやり直して・・確認する・・という

事が、好きな様です。死なない為、法則は・・教えられた事を

必ずできる様にする・・だった・はずです。その基本基礎がなくては

・・・・儚い事になってしまうのです。慢心せず・・基本基礎を大切

にできる事こそが・・武道であると思って居ます。

「初心忘れるべからず。」

この言葉に、尽きると・・強く思えるのは・・・・・・・・・