心に新しい風を呼び込み、「変わる」。古の叡智の結集は武道の中に・・位高く、心豊かに!!

  • 26 May
    • 感動覚めやらず・・(憂国の士)

      武道というカテゴリーの枠を外す・・・・そうした、試みの一つに異種交流という事が、あると思います。 合気道の歴史は・・60年?しかし、世界に合気道は行きわたり、 その素晴らしさは、万民の知るところであります。   植芝守平先生の、内弟子であられた五月女貢先生は、「合気道を世界に広めよ」というご指示でアメリカにわたられたそうです。 そして、毎年世界各国から指導者が集まる(250名)の合気エキスポという指導者講習会の指導を2005年から4年間宇城先生が行われました。   その時、五月女先生と初めて出会われ・・その後、宇城先生の人間味あふれる人柄、その指導方法・・そして、植芝先生にしかできなかった事が、宇城先生に出来た事などから・・意気統合し語り合い・・忘れられて行く侍魂を感じたと・・先日の、道塾の始まる前の合気エキスポをまとめた動画を拝見する中で、五月女先生が語られておられました。   その動画を拝見するにあたり・・涙腺が緩む事しばしば・・そして、今も・・思いだしながら・・涙腺が緩んでいます。 感動と言う事は・・歳と共に無くなって行くモノですが・・私は、どうも違う様です・・いまだ、感動を忘れる事なく活きる事が出いて居ます。   今を、熱く生きる。   そして、五月女先生が宇城先生の事を、「憂国の士」と称えておられました。 まさに、私もそう思う処が、大きくそのお心を学ぶ事が、忘れ去られて行く日本の文化にクサビを打ちこむ事に、少しでも役立つ事が出来れば・・と、いつも思っております。   「裏切らない」「恩を忘れない」これこそが、武士の心であります。 だまし討ち・・仲間の振り・・利権主義・・すべて、己の為・・まったく 国のトップがそうであれば・・全てが、同じ様な感性で動いていく。 裏切りに決して、良い結末はうまれません。 そんな・・・内容を交えながら・・結局、淘汰されて行くのは・・・・ と言う結末に至る・・お話まで・・これは、地球規模での・・・ 宇宙の意志ともいえる・・感性での捉え方になるのです。   気とは、次元の違う世界感を、自得して行くという事でもあり・・ 内面の「位」をあげて行くという感性でもあります。   これは、宇城先生の世界感が・・現代の今の日本・世界を憂う心からのご指導ですが・・それが、自分の身の回りでの出来事に、マッチして行くのは・・10年前の大阪道塾でも・・今回の名古屋道塾でも同じであると・・非常に不思議な感覚で、昨日の道塾を終えております。   さて・・エキスポの動画は道塾が始まる30分前から・・始まりましたが・・30分間・・正座で拝見しておりました。 残り・・5分ほどで・・足が少ししびれだしたと・・思ったのですが・・ 足裏が・・痙攣(ぴくぴく→ぐいーん)してしまい、・・すぐに正座を崩しそうになったのですが・・ あまりにも、動画の内容に引きこまれたせいかい・・正座を崩す事は・・自分の中で許されなかったのです。   そして、痙攣は強くなる・・と・・気持ちを入れる(気)で・・納める事ができました。 すると・・またまた・・不思議・・先生の話の内容は、正座の仕方から・・それが、また達人技だったのですww これは・・知って居なければ、学ぶ機会がなければ一生気付く事のない・・侍の心得の一つだと思います。   正座の話は・・大阪道塾の時も・・お聞きして居ました。 居合の試合の前は・・いつも正座で試合前の時間を待ち・・しびれた足で・・試合に臨んだそうです・・私は、その話をお聞きて・・何故、正座が良いのかと言う事を意識せず・・宇城先生ありきで 当館開館時から・・毎日、30分以上・・読経・祝詞を正座で行って居た時期が・・数年ありましたが・・・   膝を悪くしたり・・読経や祝詞に頼る・・その心を嫌い・・最近では、めっきりと・・・正座の機会が減ってしまっていました。 が・・今回の道塾の導入で・・正座の極意30年を・・拝見して・・・ これは、また正座!! と・・思った次第です。   そして、本日は居合(赤松太朗兼光)の稽古? その正座から・・さらに、抜くところまで・・を・・何度も・・(約30分) すると・・自分の隙が観えました・・m(__)m これは、私の様なレベルでも分かる程の違いがあります。   そして、さらに30分読経・祝詞を・・その正座で・・・しびれは多少ありますが、過去のしびれのレベルではなく・・ほぼ、まったくしびれて居ない・・足の感覚だけが戻るのに10秒ほどかかりましたが・・しびれは左足のこうのみで1分程でした。   これは・・まだまだ・・奥深い世界が広がっています。 侍文化の素晴らしさ・・。 昔の人は当たり前・・ 今は、忘れ去られて行く道の寂しさ・・。 憂国の士のみが・・知りうる・・心・・そう言うモノがあるのです。                                                                

      NEW!

      テーマ:
  • 24 May
    • 誰も?信じない・・・

      (昨年8月道塾名古屋にて)   (本日、道塾名古屋にて購入、サインを頂きました(^^♪) 2017年5月24日(水)本日、愛知県名古屋市千種区にて、2回目の道塾参加でした。 10年以上前に、大阪道塾に3年間通い・・名古屋での初の開催に参加・・ご縁を頂ける事に感謝の他ありません。 そして、やはり・・毎回のご訓辞は・・かなり心身の奥深くを浄化してくれます。 宇城先生も言っておられましたが・・ 道塾での経験を他人にはなしても、対外は信じない・・ それは、 「気」の概念は、非常に難しく道塾で経験して居る事を、他人に話しても・・たぶん、受け入れる事の出来ない事実ばかりです。   道塾に通って居る方々でも、数年・・あるいは宇城先生のご著書での勉強が、同時にできて居なければ、他人に説明する事は難しいと思います。   しかし、実際にその場に居た方々は・・その事実を体験し・・その事に付いての深い教示を頂き・・そして、納得して行くのだと思います。   何かを・・自分の知識の範囲内で説明できないからと・・   その事実を葬り去るのか・・それとも、それに向かって、何がどうなのかと・・切磋琢磨してみるのか。 それには、時間を惜しまない心が必要です。   とうぜん、体験したり・・目の当たりにすると当時に・・その事の、深さを知るのでは・・まったく、理解度や浸透性が違ってきます。   なんでも勉強して、その事を理論として、自分の理解の範囲内で話しをする・・実証は後回し・・それも、一つの方法ですが・・ 武道と言う事は・・そう言うモノではなく、表面上の経験し、経験 出来た事を形にして居る・・目に見える事実だけを、追うのでは無い・・あらなる奥行、深さを勉強する事です。。   「やる」「出来る」まずは・・「自分」・・そして、その深さを周りの人が共有できる「同調」「調和」「融合」 それこそが、本来の武道の素晴らしい在り方で有るという事・・これも、道塾での教えであり・・私の感じて居る気付きなのです。 創造智と言う事が、観えてこなければなりません。   武道の本来あるべき実証は、 現代の化学の実証法とは逆の方法で、まず実証ありき(宇城理論)なのです。   特に、道塾ではそうです。 「実証ありき」・・そして、その後に・・その理の深さが観えて来る、教授を請ける。     理論が先・・事実を説明するための、後付けの取って付けた物がある様な・・型は、意味を、なさないのではないでしょうか。   と・・言う事で、本日も多くの気付きと60兆個の細胞への良い刺激活性化の気を十分に頂きて来る事が出来たと、思います。   またまた・・今後の進歩進化が楽しみに成ってきました(^^♪                            

      1
      テーマ:
  • 21 May
    • 心があれば(^^♪

          この動画を観ても・・何?と・・・思う人もいれば・・凄い!と思う人もいるでしょうし・・インチキ?と思われる方も、居ると思います。 とうぜん、インチキではありあせん。 しかし、心が固まって居る人には、技を掛けても無駄なのです(^^♪   なぜなら・・学ぼうとしないからです。 学びに来て居るはずなのに・・学ぼうとしない心では決して自分の物にはなりません。 学びに来て居るのに・・反発する心を持って臨んでも、その力の働きや・・伝達を感じる事はできません。   かからないぞ!と・・いう意識と・・・一触を通して学ぼうという意識では ・・100-0の差があるのです・・いえいえ・・0ならまだ良いでしょう・・マイナスと言う事になってしまいます。   稽古で意気を合わすという事は、そういう事であります。お互いが良い影響を与え合う・・信頼関係があってこそ・・その稽古は活かされるのです。   動画のYUさんは・・当館に通いだして7年目になるでしょうか・・・ やはり、筋力と言う観念の方が先にたってしまいます。 しかし、その観念を解きほぐして行く事が、私の指導になるのです。 そして、この動画の中でも・・そう言う体の働きを使って私を投げると・・言う事ができています。   とうぜん、私は・・投げられるべくして投げられて居ます。 そこに、違和感を感じたり・・力の方向性がちがったり・・力みを感じたりしていれば、投げられる事はありあせん。   力の通り方が素直に・・私の体の中を通り抜けて行けば・・その感性を大切にしてもらう事を優先するのです。 変な力みの中で、力比べをしたところで・・到底、わかる物ではないのです。 素直な力が出せるのなら・・その力が、まだまだ不足であるとしても、投げられる・・それこそが、一触の意味でもあります。   昨日は、MUさんとSZ君に、組んでもらい・・・この動画とは違う技を写してもらいました。お互いの稽古になる様に・・素直な気持ちで・・・すると・・何度か・技が掛かり相手を崩すに至るわけです。   本日、良い道場訓を拝見する事が、出来・・勉強になりましたm(__)m   ※ 手加減と慣れ相をはきちがえない。←は、とても大切だと思います。   慣れ相の稽古は、決して身に付きません。ライトコンタクトでも・・真剣身を持って稽古すれば、十分良い稽古ができます。   さて・・型の分解でも、相手の突きが真剣でなければ、技はかかりにくいのです・・相手が突いてやろう・・当ててやろうと思った方が、真剣身が入り技もかかる。 そういう事を繰り返しながら、型の中に居るという事を常に意識しておくという事は、忘れてはいけません。   そうすれば・・楷書は行書になります。 型は楷書です・・しかし、行書の方が先に出来て居るのです。 行書の技を・・わかりやすくするために創られたのが型という楷書です。そこに、全ての基本・基準が凝縮されています。 その凝縮された物を、どう抽出していくのか・・それは、個人の感性で良いと思います。   私の、技は・・見本に過ぎない・・自分が型から学んだモノを自分の表現で顕せるようになれば、それ以上の事はないのです。 宇城先生もご著書の中でその様な事を書いておられます。 型の分解は・・楷書から・・自由な動き・・草書に至る・・自分を創り上げるプロセスにすぎません。   今日のIM君との稽古は・・PM4時過ぎから・・6時頃まで(^^♪ そして・・7時前まで・・話しをしていました。 そして、IM君にも・・昨日のお二方にも・・一昨日のYUさんにも 今、このブログに書いて居る事を・・実践を通して話させてもらいました。 そうやって心をとぎほぐして行く・・一触のとっても大切な稽古場面です。   床に手を置いて・・その手を上から抑えてもらう・・その手を上げてみせる・・これは、私が、よく行う肚の力の実証ですが・・・ 肚の力が、満ちていなかったり・・筋力を主に使っていたりすると、繋がりを忘れてしまう事もあり・・上がって居た手が、上がらなくなったりする事があります。   これは、手の筋力に頼らない・・感性が必要ですが・・・   心を変える事・・あるいは・・心に良い影響を及ぼす思いを抱くだけで・・上げ方を忘れた人、または・・まだ肚が練れていない人でも、手を上げる事が出来るようになります。   先回の稽古で、その事を知ったIM君が・・知り合いの方に・・心からのアプローチで、検証されたそうですが・・10回の内3回、上げる事が出来たそうです。素晴らしい結果だと思います。   一回でも、上げられれば・・その根本を追求して行けるわけです。 他の道場生も・・たぶん、同じ様に検証して居る事でしょう・・そうやって自分の可能性を広げ・武道の深さを楽しんで欲しいと心から願っています(^^♪                                                          

      3
      テーマ:
    • 本日の稽古

      本日は、4時半からの稽古にMUさんが・・・ 刀禅一線にて打拳練行を力の交換で左右往復・その後、 二線行にて、独り往復の後・・定置で二線での力の交換・・ 一線では、MUさんの進化進歩を感じる事ができた。     サンチンの型を観る・・ 淀みの無い型の力は・・呼吸力を油圧のポンプの油圧とみたて、その力を途切れる事なく、そして部分だけではない全身に通して行く事が、必定。 途切れない力を・・「一」で表現する事が、大切だが・・・ 簡単な様で・・なかなか、その意識を上手く表現できない・・処が、妙。   呼吸・身体の一致が、刀身一致・心身一如という・・そして、剣禅一如・・も・・山岡鉄舟は、剣の道を究める為に、厳しい修行を己に課した・・。   「剣禅一致」は、山岡鉄舟の無刀流の行きついた感性だという。   それは、もともとは新陰流の感性でもある・・。 「刀身一致」「心身一如」「剣体一致」   塚原卜伝の極意の太刀は「一之太刀」(一つの太刀)   一と言う事が、とても重要だという事が・・なんだか、感じられませんか? 予備動作のある動きは、決して「一」にはならないのです。 その動きを消してくれるのが、型です。 型は、「無」と「有」の違いについて、教えてくれています。   6時からは・・SZ君が合流・・7時半過ぎまで・・型(サンチン・ナイファンチ)と型を使うという事に於いての、大切な所。 さらに、型の分解。 「入る」と言う事の大切さ・・などなど・・・。   良い稽古が、できました(^^♪                                      

      テーマ:
  • 20 May
    • 技の概念が・・・

        世界は広い・・そして、いろいろな方々が、日々の切磋琢磨を怠らない・・。 武道ということにおいては、本来なんの垣根もなく・・ 弓道の人も、馬術の人も・・剣術も体術も・・秀でた人が、いてしかり・・昔は、今ほど情報が多岐にわたっていなかったので、地域性が非常に大きかったのですが・・・ 今は、いろいろな情報が・・インターネットを通じて誰にでも手に入れることのできる時代です。   私も、自分の可能性を追い求めている人間の一人として・・いろいろな人がいるということを、しっかりと認識し、そしてその方々も日夜の努力があってっこそ・・という、広い認識の上で、自分を鼓舞し切磋琢磨の糧にしていこうという気持ちが、大きいのです。   最近は、もう・・・技の概念があまり必要でなくなってきてしまった自分をつまらなくも・・おもっています・・が、指導をする場合には、 やはり、ちゃんとしたプロセスを身体で感じながら・・ 一触という経験を、大切に思う・・素直で謙虚な心持ちでの、稽古に対する己を磨きあげて欲しいとは・・思っています。   先日も・・京都の合気道の先生の動画を拝見しておりましたが、素晴らしい胆力を、お持ちだな・・と、恐縮させられました。 世には・・達人がうようよ?いるのでしょうか???? 時代遅れにならぬよう・・今まで、培って来た物は決して消えたりしません…その継続の方法を・・しっかりと見極めて、自分の大切な財産・宝をもっと磨いてほしいと、考えます。   武道の心こそは・・もののふの心・・そして、日本人の心なのです(^^♪            

      1
      テーマ:
  • 17 May
    • 本日の稽古

      は、制剛流抜刀を・・9本・・1回ずつ動画を撮って・・一回ずつ観察・・向之刀・引き身・除け身の3本を3回ずつ撮影し3回を見比べる。   それから・・久しぶりに読経(不動明王秘密陀羅尼経)と祝詞・・。   抜刀の終わり掛けの頃に、柳生会幹事・・Sさんからメールを頂く・・・   先月、TKさんが当館に稽古に来た折に・・連休明けの稽古復帰を促してくださったが・・私は、6月の合宿に出てみますと・・返事。   先週あたりに、合宿の案内を頂き・・その段階では参加意向だったが、一応、幹事に連絡、了承を得てからと思って居たので・・ 月曜日にも・・TKさんの会社でも・・その話題もあり・・お二人に促される処もあった・・。 それで、本日・・幹事のSさんにメールを・・・したが・・・返事が無いww   忘れた頃に・・連絡を頂いた・・出席はOKで、合宿幹事に連絡を入れておいて下さるとの事・・。 一〇日の土曜日の稽古のみの参加の意向でお願いしてあります。   抜刀の稽古は、姿勢を確認する稽古でもあります。 40代の初め頃に、制剛流を抜き始めた頃・・少し、型を覚えた頃だったか・・その時に・・・居合の型の厳しさを痛感しました。 その頃は、膝当てをせずに、稽古をしていましたが・・私に稽古を付けて下さったのは、恩師の一人SZさんです。   言われる通りの姿勢が、厳しい・・・。 膝での立ち・座り・・片膝立ち・・・背筋を・・ほんの数秒保つのが厳しい・・。 と・・空手でやって来た事が・・なんだった?と・痛感させられた時でした。 誠道塾では・・型でも組手試合でも・・何度も優勝していましたが・・ それでも、その体の使い方では・・甘い・・と、思わされた事は間違いありません。 そこに、まず・・自分の空手の型への良い影響が・・剣術・居合をやる事で気付きました。   それから・・1・2年程経って・・そこそこ形が出来て来たころに・・今度は、Bさんから・・型の最中に姿勢の手直しを・・これまた、一段と厳しい姿勢を強いられるのです。 またまた、そこで・・自分の甘さを痛感しました・・が、非常に良い気付きであった事も、間違いありません。   そうやって、つかえて居ない筋肉が沢山ある事に気付くのです。 それが、武道の厳しさであり優しさであるのです。 制剛流の型は、動きが多い事と・・足と肚の繋がり、更に刀への繋がりを非常に鍛錬させられます。 40代の初め頃思った事は・・・まだ、体の動く内に居合に出会えて良かった・・と、言う事と・・体の動く内に、多くの時間を居合の稽古に費やそうと思った事でした。   真剣を扱う事は・・日常に無い事です。 しかし、常の稽古を日常にして居れば・・その上の心持ち、感性で 刀を扱い操らなければならないのです。 鞘の抜き指しだけでも・・かなりの気配りが必要になります。   先週の土曜日の稽古時も・・ IM君に・・日本刀を扱える様な男に成れと・・   昔は、武道に刀はつきもので・・武士の魂と言われた時代もあります。しかし、現代は・・持って居る・・扱える人の方が稀です。 真剣が・・持てる人を待って居る・・と言う表現の方があって居る様な気がします。 正しい認識で、真剣を扱ってあげれば・・時代からの贈り物、預かり物は・・きっと喜んで暮れるはずです。   そんな・・漢に憧れませんか?(^^♪                                        

      1
      テーマ:
    • 宮本武蔵名言・格言

      我、神仏を尊びて、 神仏を頼らず。 私見・・(正に、常に心に留めておかなければならない、心持ちであります。神前に礼!と稽古の初めに声を掛け、深々と頭をさげる。これから、稽古を始めます。どうぞ、日頃の稽古の成果をご覧ください。と・・いう心持ちです。なんでも、人のせいにしない・・己の中にあるモノのせいなのです。)   心、常に、 道を離れず。 (武道は、日常です。いつでもその心を忘れない様、そして、どのような事からも武が学べる、そういう柔軟な姿勢が大切だと思います。)   身を浅く思ひ、 世を深く思ふ。 (武道を志し、高みを目指す心を常とし、我ことよりも世を思う心を養うという事だと思います。)   一理に達すれば 万法に通ず。 (この心が、最近の私の心境です。どのような学びも、すべては同じ理に立ち返る、学ぶという姿勢には謙虚な心を持つ事がとても肝要です。その心持ちが、気付きへの一歩であると思います。分からない事は、関係ないという狭義な学びの心を解き放ち、全ての仁義礼智信を学びの親として、心を磨く事が私達に課せられた、課題であります。器を大きくして行く努力は、一、武道家にとどまる事にならない、習いになるはずです。)   何れの道にも、 別れを悲しまず。 (来る者こばまず、去る者おわず。別れは常であり、無常である。)   我、事において 後悔せず。 (責任は、すでに己の中)   身を捨てても 名利は捨てず。 (矛盾になびくな・・己を大切に!!)   一生の間、 欲心を思わず。 (これは、なかなかむずかしい・・)   空を道とし、 道を空とみる。 (求める者には、果てしなく可能性が広がり、その広がりの彼方にかならず希望がある 武道の道もしかし・・己の小ささに気付く事が大切・・空を観よ!という一言の中に・・・)   千日の稽古をもって 鍛となし、 万日の稽古をもって 錬となす。 (3年で・・やっと門の前に立てたかな?30年でやっと門をくぐれたか?一つの事に・一生懸命に取り組んでも10年やって、やっとその事について話しが出来る位でしょう?分かった?などと言う事には・・ほど遠い・・。努力し鍛錬し・・稽古したからこそ分かる事ばかり・・努力なしに語れる事は、一つもないのです。)  

      1
      テーマ:
    • message

      この2・3日は、宇城先生の著書に目を通して勉強しておりました。 それに伴い・・昨日は、当館で刀禅や剣術の稽古をしてくださっている、TKさんの会社へ一宮へ・・MT女史さんには、いつもお気づかい頂いており・・お二方には御世話になって居る感が強いですm(__)mいつも、ありがとうございます。   TKさんは、環境に問いかける・・環境を変化させる事で、身体あるは機械を通して・・の、目に観える世界を、 目に映らない世界から変化させる事で、人体や機械に及ぼす目に映らない環境を好転させる・・会社を経営されている。 その実績は20年以上、 ある意味「オカルト」←本人曰く(オカルトとは科学で実証されにくい、今だされて居ない事を言う)   目に観えない・・と言うのは・・私達の周り必ずある力・・磁場とか空気とか電気とか磁力とか・・・いわゆる善くない波導など・・。 を減らす・・事を主に・・それに影響を及ぼす道具・機器などを開発販売されています。   音響であれば・・ある物をスピーカーに貼る事で・・・音の質がかわる。それは・・身体にも良い影響を及ぼしている。 これは、弓道の弓の製造者さんにも、卸しておられる様で・・非常に好評で、かなりの受注があるそうです。   あるいは、北海道の農家さんは・・畑の四隅に・・ある物を置く・・・すると、農作物の収穫量が2割UPする・・毎年、2割・・凄いですね。   その他は・・自動車の修理工場・・この工場は・・美濃加茂のあたりにある、自動車産業界では有名な方が経営して居る会社ですが・・そこには、タイヤの空気圧に関する物を納入して居る・・その物を使ったポンプで空気を入れる事で、車に対する・・・ある現象が起きる。 ポンプの部品を提供されているのですが、そのポンプをその会社ではリースする商売をしているそうです。   自動車部品工場の事故件数を減らすお手伝い等にも、実績がある。   私も・・色々とパワーのある磁器のリングを頂いたりして居ます。 パッと見は・・それほど?普通の・・と言う物ですが、いわゆる知的財産価値が高い物であり、TKさんが実績を残して来て居る事は事実であるのです。   さて、先日の季刊誌「道」の中に出て来た・・波導や電磁波の話をすると・・月曜日に会社に来て・一緒に食事でも・・と、お誘い頂き昨日は、色々とお話を聞く事ができました・・。 そして、私のインスピレーションに働き掛けて来るモノを感じて居ます。   それは、宇城先生の最近の著書である「気と重力」の3回目を読み終わった今・・・・感じて居る事ですが・・。   空間・時空・場・・・・力・・・。   その中に・・時空に存在するmessage・・・が・・あるのではないか・・という事です。   先日来・・インディアンの事に興味を持ちました・・それは、口伝・・口伝えという習わしを、重要視する事も・・その中の一つであります・・ 共通する音楽性・・歌や詩の中にその思いがあり、それは音楽として語り継がれる・・「戦いの詩」・・とか・・・は、勇壮な太鼓の音と共に・・昔から変わらぬダンスが受け継がれているのだろう。   時空には・・その太鼓の音が・・何時までも、いつまでも・・なり響いているのだろう・・・聞こえなくても・・。 そして・・「音」と言うセンテンスが浮かび上がって来た。 これは、世界最古のメッセージであるわけです・・ 全ての事象に、音はある・・ インディアンの口伝に、こんな言葉がある 「貴方が、生まれた時あなたは泣いて居た、そして、周りの人は笑っていた。貴方が、死んだ時・・周りの人は泣いているだろう・・そして貴方は、笑って居る。」   この口伝の中には・・音が沢山あふれています。   太鼓の音に合わせて・・踊る人・・その太鼓の音を引き立たせる、詩・・・天に届けと・・響き渡る声は・・かん高くそして清んで居る。 その高い澄んだ音に・・意味があると・・TKさんから聞いた話で気が付いた。(武道的な事ではないw)   地球が、出来たばかりの頃・・水が・・出来たばかりの頃・・世界には生物はいなかった・・。 しかし、音はあった・・水の音、風の音、石の音・・全ては・・音で表現されていたのだろう。   その音が・・messageなのだと・・・この数日の勉強でさっき気付き・・思った。   聞き取れないし・・実感もない・・これから先も・・変わらないだろう・・武道の進化に関係あるのか?   しかし、最古のmessageが音だという事は、わかった。   新陰流にこんな教えがある「まなる、かわく、はなるる」←は、音の表現。 音を聞けば、全てが分かる。   こんな事を意識して稽古をしているだろうか?   今日は、1時間ほど・・UFCのマクレガー選手の練習風景や試合風景の動画を観ていたが・響き渡るその音が・・今だ、印象に残っている。 動きに依って・・リズムに特徴がある。そこに・・音がある・・変化は超スローから・・   五感を研ぎ澄ます、練習だった・・全身で感じる様な感性を練っていた・・音を感じて動いて居る様な印象だった。   この感性を、磨いて行くのも・・・一興・・・・ 耳掃除を頻繁に??ww                                                                                      

      テーマ:
  • 15 May
    • 守破離(心技体)・・Ⅱ

      全てが・・「守」の中に包括されて居る。 この「守」と言うセンテンスは、やはり「道塾」での気付きの一つであります。 昨日も、「守」を身体に通す事で、通常では出来ない事が、出来る様になる・・と、言う事を実証してもらいました。   どんな事でも、「守」の中にコソ・・大切な物があります。 もし達人が・・型を考案したとするなら・・その型の教えを守り・・型を変えない事で、達人が行った型を同じ事が修行できます。   その型が・・100年前の型でも・・450年前の型でも、600年前の型でも・・・時代、時間を超越したメッセージを直接受け取る為には、その型が・・考案された時と同じ型で有る事が、必ずです。   型は・・究極であるが上に・・色々な観えないモノが内在して居ます。その内在して居るモノが・・語りかけて来る。それこそは、観えないモノを観・・聞こえない声に耳を傾ける・・と言う事でありますが・・・   型は無形でありながら・・実はカタチをもっている・・その自然な形を変えてしまう事は、その型の意味を・・無意味にしてしまう・・可能性があるという事に気付く事は、大切な事です。   仕事でも・・マニュアルというモノがあるのに・・自分なりの方法を考えて・・それを実践してしまえば・・失敗しても言い訳が付かない場合があり・・また、横着が理由であれば・・決して良い結果にはならないと考える事ができます。   職人の世界感も・・腕の良い・悪いがあると思いますが・・スピードを重視するが上に・・横着を考えれば・・腕が物をいう世界においては、通用しなくなってしまうのではないでしょうか。   よくたとえて話すのは・・セメントの水の量や砂の量の配分をたとえ話にします・・・その時の、気候、あるいは天候、・・地域性においても・・その配分量は違ってくるはずです。 それを、しゃくし定規に袋に書いてあるからと・・その配分量で混合すれば・・ちゃんと固まらないという事にもなりまねません。   そこは、長年の職人としての経験智というモノが働くわけですが・・「基準」・・・袋に書いてある物を熟知した上での良い意味での変化であるのだと思います。 型をしっかり学ぶ事で・・それを分解組手や、応用組手、自由組手に活かして行くのだと思います。   また・・心の問題も・・大切です・・いい加減な気持ちや・・気の乗らない状況で・・もし・・造った物があるとすれば、その物を人は心よく手に持ち・・眺め感動するでしょうか・・。 自分が、一生懸命造った物を否定されたら肚が立つはずですが、実際に、そうなった時・・己を反省する・・・何か、落ち度がなかったか・・と、思い返す事ができれば・・その作品は限りなく成功品に近いはずです。   稽古も・・同じであり、常に真剣にその一瞬を大切に・・その一回を大切に出来る心を養う事が、とても重要です。 10回の突きに精根を込める事ができれば、その突きは必ず活きた突きにかわるはずです。しかし、基本稽古だからと・・ただカタチだけの突きを出して居る様では、その突きもその突きを出した心も身体は写し込んで行き・・無駄以上の弊害が、己に帰ってくるのです。   心の持ち方と言う事は、活きた稽古が出来るのかそうでないのかと言う事に、つながって行きます。   私が新陰流を始めた頃に・・・木刀や引き肌竹刀で・・肩慣らし程度の素振りを2・3度・・軽く・・しているだけで・・Bさんから怒られた物です。 それも、結構真剣に怒られました・・。 その教えは、今だに大切な私の稽古に対する指針であるのです。   ここに・・「真剣身」と言う感性が、あるのは当然です。 指導する側が、一生懸命に指導しているのに、ふざけた?あるいは、心の無い稽古をして居たら・・それに気が付かない様な指導でもいけませんし・・それを、見逃す様な指導でも・・・・   集中できないという事は、色々な問題があると思いますが、そこにコミュニケーションがあるべきでもあります・・自分の、辛い厳しい状況を言わないのであれば(弱音を吐かないのであれば) その覚悟を、貫き通す姿勢を見せて暮れる事を・・私は、求めてしまいます。   主体性と言う事が、芽生えて暮れる事がとても大切なのです。   「守る」 家庭・家族を守る。親・子を守る。 己(心身)を守る。国を守る。意志を守る。伝統を守る。 文化伝承を守る。 そこに、「欲」が・・あれば、決して守る事はできません。 自分のやって居る事を、いくら正論化しても・・公を意識する気持ちがなければ、「欲」が顕れてくるのです。   私も・・いつも・・欲にやられていますwww   しかし、それでも・・何かが働き掛けて暮れているから・・ 武道の奥行や、深さを知る経験を積む事ができています。 欲に勝る・・心とは・・謙虚であり・・素直であり・・そして、調和しようと言う心であり・・・ その事で、受ける事の恩恵に感謝する事であり。 教えを守る事であるのです。   これが・・個人の意見や、考えを尊重する様なら・・観えない事の方が多いでしょう。 しかし、武道と言う歴史の中で培われて来た、公の思考であり、綺麗ごとの様であり・・それが、本質であるからこそ、腑に落ちる 落とす事が出来るのです。 稽古ありき・・その事につきます・・そして、実証ありき・・ 実証できる様に稽古を繰り返す、謙虚で素直な心こそが、心理です。   その心理を、見極め・・自分の心とし・・そしてその心を持ち続ける事こそが・・「守」であるのです。 守→破→離と進むのであれば・・まずは、守が出来て居なければならず・・ 守ありきの、破であり・・・守と破ありきの離でなければならないのです。   心は・・最初から・・その事を意識して稽古に取り組める人は、少ないでしょう。 そこに、師の教えが重要であると考えます。 師の心を通して、学ぶという姿勢を持た無ければなりません。難しい事だからこそ・・時間を掛けて心体にしみこませる必要があるのです。 心を学ぶという事は、非常に難しく時間のかかる事だと思います。   しかし、「剣禅一致」などの言葉が有る様に・・すでに一致して居るの出は無い・・まったく無縁と思える物を、極意として結ぶ事のできる・・それであるからこそ「道」心の教えであるのです。   武道の道は、心の教え・・それは、禅の世界感に通じるモノがあるのでしょう・・・観てみたいものです。                                                                              

      2
      テーマ:
  • 14 May
    • 守破離

      と・・心技体は・・とても重要な絡みを持って居ると・・思います。 守破離・・兵法とするなら大兵法の感性・・ 心技体・・小兵法の感性。   そして、心技体ありきの守破離であり・・小兵法の先には、大なる思想があると・・言う事です。 昨年8月に、宇城先生が名古屋で道塾体験を、行った折に久しぶりに宇城先生にお会いしました。 覚えて居て下さって居るかも、わかりませんが・・ww 帰りがけに・・たまたま・・偶然、帰られる処に遭遇し・・写真をお願いしました・・心よくOKと・・握手をして頂きました。   その後、名古屋で道塾開催が決まり・・案内が来たのですが、私は空手指導者であります・・この8月の時も、受講可能かどうか・・半信半疑で申し込んだのですが・・OK   3月からの、道塾もOKを頂き・・今月、2度目の名古屋道塾が行われます。 10年前、私は道塾で大きな学びを得る事が、出来たと思って感謝し続けてきました。その教えがあったからこそ・・真理に導かれる・・考え方が、出来たのではないでしょうか。   詰まる処・・ブログを読んでくださる皆さまが・・何とも思わない様な事、・・武道と、どうつながるのか?と言う疑問をいだく所・・・ 関係ないと、思いがちな所・・それが「心」であるのです。   教えと言う事は・・技術的な事だけでは・・「道」と言う事にはならず・・道の研策をすれば「術」に変わる・・「術」を研策すれば・・「気」が興る・・。 新陰流の教えの中にも・・「神妙剣の座」「西江水」などと言う・・・禅の世界感・・「心の世界」を教えの中に盛り込んでいる・・。 そして、上泉伊勢之守が、、石舟斎に残した課題は「無刀取り」で有った・・相手を殺する事なく、勝ちを得る事が「究極の勝ち」 究極の武術の技として、開発され・・伝えられた・・それこそは・・ 「心」の産物であると言う他ありません。   こういうことを読んでも「ピン!」とこない方も、大勢おられる事でしょうが・・・その重要なセンテンスとして、「調和・融合」と言う事を 私は、多くこのブログの中に、書き込んできているのです。 気と言う事は・・正に「心」の発する処であり・・ 身体の向かう所は・・気に依って導かれ・・気は心の在り方に従う・・。と・・・その様な事が、宇城先生の著書に顕されて居ました。   今日は・・午前10時~と、午後4時半から・・・   実体験の空手稽古や刀禅より・・心の在り方の事を・・多く勉強してもらいました。 午前は、名古屋港管理組合から子会社の次長になった・・当道場の最古参(同級生)のSZ君に・・・ 午後からは、IM君とSZに・・   インディアンが・・いまだ、自分達の先祖を誇りに思い、その土地を「守り」抜くために、戦い続けている・・。 その心理は・・受け継がれて行くモノの大切さを、自分達が生活をして行く上で切り離す事の出来ない・・重要な教えとして実践して居る事です。   これは・・ある意味「型」なのです。 この型を守りぬく事が力になり、その型の真理を読み取る事になり・・そして、自分を育てて暮れる糧になる。   それが、更に自信となり・・進化への力となるのです。 間違って居たり、出来なかったりすれば・・また型に戻る事で確認し、修正する。 型が変化したり変わったり変えたりする事は、エゴであり・・・絶対に、してはならない事であるという事です。   その教えを守りぬけば・・心は正しい方向に向き・・その心は正しい姿勢を教えて暮れます。 そして、身体は気に満たされ・・自信は、パワーを与えて暮れるのです。   それを、今日は3名の方に・・床にピタリと付けた手を・・私が上から抑えて上げてもらう事を、実体験してもらいました・・一人は、中学生です。 そういう事を、私も他の人にしてもらえる様になったようです。 教えの大切さ・・事理一致の実証を実感しております。   3名とも、感動的な感性で、自分の中の気を意識できたの出は無いでしょうか。 ここには・・この数日間、勉強した・・ネイティブアメリカンの人達の心が、その在り方が・・私に、その重要性を心から再認識させてくれた・・と、言う事が、大きく働いて居ると感じて居ます。 目には、観えませんが私の心の在り方が、少し前進したのではないでしょうか・・。   まさに、心と言う事は、心のある正しい姿勢・・その現象から学ぶものなのです。 当道場で、修行して下さって居る方々が、私が出来た事を・・その心の在り方が重要であるという感性の元に・・さらに再現し・・普遍的な力を手に入れてくださる事を、心より願っております。                                    

      2
      テーマ:
  • 12 May
    • 誇り高き人々(ネイティブアメリカンに学ぶ)

      一昨日・・・あたりから・・「音」という事が気に成り・・ そして、色々な繋がりを感じながら・・ネイティブアメリカンの事に着いて、学びだしました。   意とか気とか・・武道的な感性に・・繋がりを感じながら・・音に付いて・・感性をたかめようとして居る・・自分が居ます。 インディアンと言えば、アメリカの先住民族であり・・先祖は、私達日本人(縄文人)に繋がりがあると言われて居ます。   インカ・・南米の先住民も・・インディアンも・・エスキモーと呼ばれる人達も・・日本人も・・アボリジニ・・も、皆同じ顔だちであるという事 また・・ハワイアン・・も・・なぜか、文化に繋がりを感じて居ます。   そして、過去に・・私達の先祖との繋がりを感じながらも・・さほど、きにしていなかった存在が、何故か急に・・私の意識の中でクローズUPされてきている事を、実感しております。   さて・・こういう事は、導入部分であり・・そこには・・何の広がりもなく、ただ単に興味を持ち・・興味を惹かれたという事につきるのですが・・。 調べてみれば・・まず、アメリカに侵略された過去・・があり・・ インダストリーの開発が、その土地を蝕んで行く過程があり・・ 原爆の最初の被害者は・・日本と言われてはいる物の・・実は、土地を奪われ・・その土地で母なる大地で・原爆実験をされたネイティブの人達が・・実は、最初の被害者なのかもしれません。   彼らの生活は、自然を父とみなし・・大地を母とみなす・・・川は、水は・・石は・・鹿は・・植物は・・友であり共有者であり・・全てが繋がりのある管理者だったりもします。 同じ土地に住み・・同じ水を飲み・・同じ自然からの恵みを大切に思う。   山にも・・木にも・・その存在すべてに意味があるのです。 これは、私達の文化が・・元はそうであった様に・・自然と一体化する事が、パワーの源である事を彼らは・・今もその教えに守られ、その教えを忠実に再現し・・・その教えの中で、秩序を守りぬきながら・・生活をしているのでしょう。   伊勢神宮が2000年の歴史を持ち・・天皇陛下は・・その血を2000年も受け継いでこの国の象徴として文化伝承の頂点におられます。 「日本人の心は、武士(もののふ)の心」 その魂は、日本刀に宿る。 刀鍛冶は、職人でありながら官位を頂いていた。 欧米化で・生活は豊かになったが、その心は豊かさを失った。   それは、今の日本人に日本人であると言う「誇り」が無くなりかけて居るからでしょう。 調和・融合というセンテンスが、武道的「気」の世界感の中には、絶対的に必要な感性ですが、自然をどう受け入れ・・その自然に迎合するでもなく、支配するでもなく・・その最適な方法を・・自分達が「誇り高く活きる」為の手段として居る・・ネイティブアメリカンの人達は・・何々族と言う括りを超えた・・元なる思想の元に・・過去を大切に生き抜く事を、心から求めて居るのです。   その心理は・・「調和」であり・・・そこに発生する感性は、観えないモノを観る・・聞こえないモノを聞こうとする・・生きて居るモノすべてから・・関わりの在る物すべてから学ぼうとする。   謙虚で素直という・・素晴らしい心が・・子供の頃からの教育として・・全ての人に行きわたって居る様にかんじられました。 動画を観ました・・自分達の土地を守る為に・・今も彼らは、司法や大企業と堂々とわたり合って居ます。 アメリカの凄い所は、少数意見でも・・ネイティブを守る意志があるという事です。 訴訟では・・ネイティブが勝利する。   しかし、今も・・自分達の川や土地を守りぬく為の戦いをしています。 私達は、骨抜きです。 恥も外聞もなく、尻尾を振ってアメリカの言いなりになっています。 誇り高く活きる事は・・むずかしいのでしょうか? しかし、沖縄の人達は、基地に対し誇りを捨てようとはしません。   忘れて行けないのは・・尻尾を振る様な、人間にはなれない・・という事です。 そして・・その礎は、先祖に対する気持ちです。 その土地を守る為に・・流して来た血への敬意を・・忘れてしまっている。 私達は、骨抜きにされている。   先の大戦で、私達の肉親も多く戦場で・・戦ったはずです。 誰を憎み・・誰をどうする・・という事なく・・お国に為にと・・ それは・・・母の住む国・・母国を守ると言う心だったはずです。   産んで居ただいた・・育てて頂いた・・・その国に対する心は・・ 産んでいただいた事に関しても・・育てていただいた事に関しても・・今の私達の持って居るモノとは、比べる事はできないでしょう。   そういう心の劣化を、再認識する思いで・・動画を観ていました。   その文化と言う物に対し・・もっと、真摯な気持ちを持つべきであるのです。武道文化こそは・・日本の誇りを守りぬいて来た心でなければなりません。 争う事ではなく・・どう・・調和融合を誇り高く・・引きよせるのか・・。   それは、姿勢であり・・心であり・・そういう心を持っている、自分達の誇りを忘れてはいけないという事だとおもいます。                                          

      3
      テーマ:
  • 11 May
    • 何故に・・・稽古?

      本日も稽古・・独りで型稽古・・。 型稽古をしながら・・独りで出来る稽古が、ある事に感謝する自分が居ます。 刀禅は、型稽古でもあり・・肚創りの稽古でもあります。 型で練った肚が・・技を活かすという事で・・肚を創る事は、とても大切です。   肚の意味や・・それを無視した型なら・・技の稽古・・しかし、肚の入った技の稽古と・・そうでない技の稽古は、分解組手にしても格段に差が、あります。 真剣に・・と言う事は・・常に求められる事です。   本日は 三学円之太刀 使太刀・打太刀×2回 左太刀にても同じく×2回ずつ   それから・・八そうからの斬り通しを鏡を観ながら・・・・数本。 九箇の十太刀(使太刀)の切りを・・数回・・確認。   サンチン×2回 ナイファンチ×3回 パッサイ×3回   にて・・10時~11時5分まで・・・。   さて・・私は・・何を求めて稽古に勤しんでいるのでしょう? まず・・自己満足の世界で有る事は、間違いないのですが・・それが、価値の在る物なのかどうなのか・・と言う事は、大きな問題です。 自分だけの為に、自己満足を誇示するにしては・・どうにも、納まらない・・。   やはり、何か・・使命のような物が働いて居るのでしょうか?   隙が、あれば武道に関する本等に目を通し・・夜な夜な稽古をする(;'∀')   それが・・楽しく無いわけではない・・楽しいという気持ちは、今は無いので・・書いて居る様な疑問を感じて居るのですが・・。 しかして・・稽古に参加して・・学ぼうとして下さる方々が居るという事は、その方たちに・・伝えるべくキャパを更に増やそうと欲張って居るかの様で・・。   新陰流からは・・3か月おきに稽古日程が送られて来ます。 6月の第2週の土日は、全国柳生会の合宿があり・・アメリカ・香港からも毎年稽古に参加される方々が、みえます   昨年は・・群馬上泉の郷で行われましたが・・私は、不参加・・。   今年は、名古屋で行われますが・・私・・参加しようか・・と、考えて居ます。 昨日、当館にも、刀禅の稽古にみえるTKさんから・・電話を頂き合宿の案内をしていただきましたm(__)m   本日は・・FAXにて案内が届き・・さらに、会から案内メールも届いております。   と・・TKさんは・・入門された頃から・・私の指導が一番多く・・ 痛い思いもされながらも・・私から学ぼうとしてくださり・・さらに公私共に御世話なっておりますm(__)m   その他、4・5年目の方々数名にも・・色々と種を蒔いて来ており・・ fbの友達であるYB君からの、年賀状には「今年は、頑張って・・○○○が出来る様になりたいので、ご指導よろしくお願いします。」と・・書かれてありました。 3・4年前の合宿では・・私に顔面を切られておられました(*_*;   しかし・・4・5年の方々数名は・・私の復帰を切望ww??しておられるのか・・TKさんから話を聞いては・・「えっ!??」っと・・・なるそうで・・ しかし・・私は・・何方にも・・わりと厳しいんですが・・・・。   そういう方々が・・また・・延びておられる事を、楽しみにしておりますm(__)m(^^♪ たぶん・・・1日のみの参加と言う形で・・お願いしようかと思っております・・お許しがでれば・・の話ですが・・・w 何せ・・異端児なのでww   独り稽古に駆り立てられる・・ 己の為であり・・そうでなし・・ 世は縁起にて端なし 円は、興りなく繋がりなり。 人の為は、己の為・・・ すべて其処に縁起あり。                                                                                        

      1
      テーマ:
  • 10 May
    • 本日の稽古

      本日は・・独り稽古30分で終了しました。 三学之太刀 使太刀・・左太刀にて1回 その後、通常の使太刀・打太刀を1回づつ   九箇之太刀 使太刀・打太刀一回づつ   空手型 十三を5回   と言う事で・・した(^^♪   空手型は、サンチン・ナイファンチに終始する事が、非常に大切だと思います。 サンチン・ナイファンチは・・似たる処在りて・・全く違う型であり・・ しかし、その体の使い方二つが、非常に武道的な身体能力の開発に、あるいは健康法としても・・役に立つという事が、わかりました。 昨日のOkさんから電話を頂き・・180~90有った血圧が下がったそうです。それから、腰痛も改善されたそうです。   私も、不思議と腰痛などになった事が無いのは・・日頃から・・腹筋と背筋のバランスが崩れない様に、考えて居る事と・・ 型の姿勢が、教えて暮れる体内バランスの感性が・・腰痛とは無縁の身体にしてくれている様に、考えます。   また、刀の型も・・常に肚を意識するので・・全身の働きで斬るという事であれば・・それがまた・・体内意識を充実させてくれます。 上手く斬れないという事は・・意識が薄れて居るわけですから・体が覚えてくれており・・そこを、どう修正するか・・と、言う事になります。   これは、突きや蹴りの感性も同じですね。   目の前に・・柄の握り方・・手の内という事に付いての考察が・・あり・・2・3度目を通しましたが・・・龍の口を創った親指と人差し指の付け根をくっつけて・・刀を直角に扱えと書いていますが・・・ これは、長い間他流で稽古して来た老剣士に対する、考察だと考えれます。   それが・・丸で・・10代の少年の様な使い方をして居ると・・書いてあるのですが・・・。   龍ノ口が・・何故・・大切なのか・・ですが・・それは・・かなり大切なので、大切な教えとしてチャンと使えなければなりませんが・・   此の老剣士は・・刀が、ぐらぐらで・・必要以上に手首が伸びてしまい・・あるいは、八そうからの切おろしでは・・左の手首が有らぬ方向を向いて居た・・   そのために・・刀をしっかり握る事を強いたわけでしょうが・・それでも・・親指と人差し指の・・龍ノ口を閉じてクソ握りにする事を、勧めていません。   切っ先が伸びれば・・相手に当たる・・斬れる・・そして、あたれば必ず、この2本の指の付け根が真直ぐに柄の上部を抑えるカタチを取っていなければなりません。 当たらないのに・・ここを付けても・・何の意味もない・・間がチジミ・・先を取られるだけです。   意識しすぎて・・肩が凝り・・手が下がるのがおちなのです。   て・・な事で・・この解釈を・・上手な人の手の内を解説して居る物と思っているのは・・・・(*_*; 行ったり来たり・・・・・しても・・ 結局、伸びる太刀筋・・・斬れる刃筋には、かなわない(^^♪                                                        

      1
      テーマ:
  • 08 May
    • 進歩進化を求めれば・・

      アグレッシブと言う言葉があります。 「動きまわる」「行動し続ける」 それに・・共なう言葉として・・「get」「move」「dream」「adventure」 等の語句が思い浮かぶのは・・ やはり、自分の人生感を、支配して来た感性。   過去の行動等が・・影響して居ると、思うのです。   私は、商売人の子供です・・・父母は、今だ現役で自分の持ち場を守って居ます。 そして、私達兄弟は・・その犠牲にもなってきました。 父母から・・何か・・学んだモノがあるか??商売の厳しさは・・いいきかされました。親が言う事は・・非現実的に思えたし・・おしつけにも思えたし・・いつも、矛盾を感じ・・その矛盾をどう払拭するか・・そんな事と、葛藤して居た様に思います。   何から学んだのか・・私は、本を読む事で・・その本の中の冒険や、正義感や・・夢の有る話が・・自分を形成して来た要素であると・・信じて居ます。 夢を追うという事は・・現実を見つめれない事でしょうか?逃げでしょうか?そうではないと、思います。 夢を追い求め、手に入れる事が出来た人は、少ないかもしれません・・しかし、その人達の事は、必然的に耳に入る・・そういう時代です。   肚を身につけ、その能力を活かす事は、決して夢のはなしではなく、また限られた人のみが手に出来る能力でもないのです。 気は、その人の人と成りに準じ・・・心の在り方や・・身の熟し方・・ 物事に臨む姿勢、思考と密接に絡み合って居ます。   悪い心や、間違った心を持てば・・気は決して良い働きを顕わして繰れないでしょう。「調和・融合」をどう手に入れ意識できるのか・・「無」とはすべてにおいて究極なのですね。 「欲」とは・・全てにおいてマイナスなわけです。   情報、良い情報も悪い情報も・・そういうことを悪用する人もいますが・・耳に入りやすい事を上手く遣う人・・。 私の様に、バカ正直に物事を捉え、話をする事は・・結局、うやむやな事が少ない・・嘘が無いから、面白くないwwのでしょうか? 嘘が上手く言える人は、どんなふうにでも、夢を膨らませる事が出来るから・・善人を巻き込んでも、何とも思わないのかもしれませんww   知らない人、わかってない人に・・わかってない人が話ても、何の疑いも持たれない・・そういう事なのでしょうかww ですから・・わかって居る人など居ないと・・平気で言えたりする・・それが、嘘で有る事も知らないで・・罪が無いのです。     と・・言う事で・・・当館で修行を始めた方々が・・定着してきていますが・・その方々が、口をそろえておっしゃるのは、ここまで教えて暮れる道場はない・・と言う事です。当館で、空手を始めた方はそんな事は、知らないのですww   昨日のIM君も・・帰る間際に・・そう言っていました・・。 プロキックボクサーと言う事を、踏んだ事のある人物が・・・そう言う経験智を持って居る人が、古伝の型や肚の力に、非常に魅力を持っています。 更に、MUさんは・・やはり武道歴25年以上・・他流伝統派の先生クラスの方も、納得して下さっています。(私の肚に憧れているようですw) 今日、稽古にみえたOKさん(当館に来られる様になって1年弱)も・・武道歴は40年?武道オタクと言って良いほどの、経験を積んできておられますが、週一回の定期的な稽古を開始して・・7か月 すでに、肚の力の入り口に立ち始め・・・今日は・・床に付けた手や足を(私が片手で抑える) 力では、上がらないのに・・肚を遣い、呼吸を合わせる事で・・そのコツを教える事で・・上げる事が出来て居ます。   実証・・稽古の結果をどう表現するかと言う事の・・一つの表現方法であるのです。   MUさんもIM君も・・「肚」が創りたいという事を、常に意識し・・そして、言葉に表します。 それこそは、現実味のある話であり、決して夢物語ではないのです。 誰にでも、「気」と言う力を表現する事は、可能であります・・それは、肚が出来て居なくても・・生活レベルにおいては・・すでに、気が付いて居ない処で・・実践されて居る事なのです。   その気を・・自覚でき・・さらに、コントロールできる様にするのが、武道・武術であるのです。 OKさんには・・こんなお言葉をいただきましたm(__)m 「57歳にして、夢が持てる事がうれしい、自分は決して才能が有るタイプではないけれど、半年でここまで来れた。型と言う事は、誰にでも夢を与えて暮れる。こんな素晴らしい事があるんだね。」   また・・稽古中には「ここで、習った型を練りだしたら、ほとんどストレスが無くなった様な気がする。それで・・体調も凄く良い様な気がする。」 このお言葉こそは・・正に、教えがいの他の何物でもなく・・ありがたいと、感謝するばかりです。       本日は、季刊誌「道」を拝読しました。 見出しトップの増川いづみ先生と宇城憲治先生の対談には・・ 現代科学で・・すでに答えが出て居るのに・・その存在を認めようとしない・・そういう事を、払拭する為にも・・もっと、大きな目で・・広い心で物事、事象を捉えるベキだという事を・・再認識させられる内容が、多く書かれていました。   私の様に、気の存在を実感し・・・気の存在を日本人にとってとても重要な感性と思って居る人間にとっては、非常に面白い興味深い内容です。 ミシガン州立大学の博士号を取得しておられる増田先生が・・MIT(マサチューセッツ工科大学)を出られた科学者が・・ 宇宙と人間をテーマに水と音響(波導・周波数・共鳴和音)によるヒーリング効果を科学的な見地で実証実験して、その答えを色々な分野に波及する思考としてお持ちになっておられる。   宇城先生の気の効力を・・ご自身が研究した木の生体の見地から、説明されておられます。 その内容が、また夢がある様な本当のお話で・・面白いのです。   樹木は・・朝が非常に忙しそうです・・それは、一日のエネルギーの交換作業をする時間帯に当たるのだそうで・・光合成を始める前が・・・・・このお話は・・たとえば・・私のfbの友達であるチロリさんクラブ脱皮・麗しきネタ人生・精神的貴族生活は、鉱石と話ができる。ww   武道(太極拳の達人であり・気を操る能力を持ち・・・さらに言えば龍に守られて居る)←の様な事書くと、おかしい???   増田先生は・・堂々と・・この本の中で・・子供の頃の不思議体験を話ておられます。 そうか・・私は・・やっぱり・・居るんだ・・!! と・・その不思議体験に・・心が躍りましたww チロリさんは龍・・増田先生は・・・・・・・・・や・・・・・・・・・   そんな方だからこそ・・宇城先生もそうですが・・・ 超科学者であり超多局面を色々な目で捉え、物を観れる方々であるからこそ・・ その存在を、科学として実証されようとしておられます。 宇宙と人間は一体である・・恒星の97パーセントの成分が人体にある・・ 華は・・宇宙の周波数が創りだした形・・・   しかし・・気の話が木の話にくっつき・・宇城先生が無重力の世界を・・・木も無重力の世界を・・・うーん・・深くて面白い・・ 話。   それから・・体内微生物ソマチッドの話も・・少しですが・・非常に興味をそそられました。http://oneness555.com/about-somatid                                                                

      3
      テーマ:
  • 07 May
    • 本日の稽古は・・

      剣術主体になりました。 木刀での右路・左路での一線行を・・力の交換をしながらの歩法にて・・ 当館の縦を2往復づつ・・それから、変換行での太刀筋を意識しながらのわりと・・素早い動きの中で極めを創って行く感性を練る稽古。   その後は・・・袋竹刀での稽古に変更・・。 ガッシを何度も何度も繰り返すことで・・力の段階的な出し方で・・ その違いを体感してもらいました。 当然、切は抜いて切りますが・・IM君の切はなかなか鋭く、私の頭をとらえてきます。 その切のレベルで・・今度は・肚を入れる・・と、重さが竹刀に浸透してくるようです。重さの違いが、実感できたそうです。   そうして・・同じ強さ・スピードの切りでも・・質が違うものになるという事が、剣術でも分かります。しかし・・これは、切はじめてからの実証稽古であり・・まずは、上段からの切おろしの中で・・その感性を充実させてもらうことです。 しかし・・過去数度・・切おろしの稽古はしていますが・・IM君の切のレベルが上がっているのを感じることができるのは・・稽古を積んでいるからでしょう(^^♪   そうして・・基本となる形をまず作り上げながら・・それを、どう肚に繋げて行くかを、時間をかけて工夫してください。   その後、切り下しの・・肚の素晴らしさを分かっていただくために・・ 私が、左下段車の構え(三学一本目)に構えて・・その前に、自分の間で上段に構えて立ってもらいます。 私は、頭を差し出した形であり・・IM君は、いつでも切り下せる形をとってもらい・・頭上に思いっきりの切を・・・・と・・いうとwwIM君さすがに肚の習得を目指すだけあり(これは、当道場の生徒には、いつでも遠慮なくといっているので・・遠慮する人はいません・・がw)   それで、当てられれば・・私の工夫が強いられるだけで・・すから、そこが、わかることが私の稽古になるのです。   それを3度ほどやってもらったでしょうか・・IM君は振り下ろしてくるだけ・・私は、取り上げて切り下すをやるのみ・・。 と・・3度とも、IM君の竹刀は途中でストップして・・くにゃ・・っとまがり止まります…そして、私の竹刀がIM君の頭上、数センチのところで止まっているわけです。 これは、肚だけの力ではなく・・その先の力が加わり…決して勝てそうにないシュチエーションでも、十分以上の勝ちを得ているという事が、実証できました。   休憩の後に・・さらに・・話しは難しい使い方の話になり・・ザンテイセンテツをモデルに・・・これも、上段の構えをとってもらい、切れる間に立ってもらいました。 そこから・・私の切れる処に向かって竹刀を振り下ろしてもらったのですが・・10度ほどやってもらったでしょうか・・私の手には・・良くても、かする程度です。 私も、切り下してくる彼の切を外す拍子は完璧に近くとれているのですが・・彼の手をとらえる事はむずかしく・・それでも、私の竹刀は上太刀にあり・・ピタリとIM君の喉元に付けられている・・。   これも・・目で追っていたり・・しては、間に合いません。ある意味、感・・と言ってしまえばそれまでですが・・単なる感ですますには・・10度やっても・・2・3度かすった程度ということにはならないのでは?というのが・・私の判断であり・・IM君も納得する処でした。   そう・・です・・観の目の働きがあるからこそ、切られる場所は、決められているが・・かなり相手が、有利な状況でも多少思い通りには、なりませんが・・しっかりと、上が取れているという結果が・・実証できました。   その後、今度は・・私が切を・・・なかなか良い(さすが元プロキック選手)感性で竹刀を扱っているので・・驚きもしています(^^♪   そして・・あっと・・いう間に・・2時間が過ぎていましたw その後・・お茶・・そのあとでまた・・今度は、ソフト剣での自由な切りあい稽古を・・30分ほどノンストップで・・私は、超短い小刀のソフト剣・・彼には定寸を・・交代で・・彼には中刀・・そして、私が定寸・・また、私が小刀で・・・という稽古は・なかなか・・おやじの息も上がってくる・・良い稽古でした(^^♪   この稽古では・・どちらかといえば・・反応をそして当てる・・切るという感性を・・自由な組手稽古も必要です。 久しぶりではありましたが・・・IM君も、うまく下から私の手をすくうように切り上げてくる・・そういう刀法を・・どこかで身に着けているようです(^^♪                                  

      1
      テーマ:
    • 雷刀って凄く・・かっこよくない?

        この動画は、IM君との検証で、行った手刀の斬降ろしです。 この斬り降ろし・・・私の中では、新陰流の雷刀の切りを意識しています。 型の中で、練って来た体の使い方を使っています。   すでに、肚は自然に入って居る物でありますから、この斬り降ろしの姿勢や、内面にある身体への意識が、竹刀を持ってもそのまま顕されています。 先日の・・人の手の上の物を取る・・と、いう意識・・それが、実証された時と・・ さらに・・中心を取るという意識での実証を行って・・それが、相手の内面から開かせる事ができるとすると・・。   上段(雷刀)からの斬降ろしが・・普通に斬り降ろす事でも・・しっかりと、相手の手元、あるいは頭に切迫して行く事が予想されます。 過去を振り返ると・・結局、無意識にしてそういう体の働き(姿勢・内面)を稽古してきており、それが・・型稽古という実践の中で、相手を捉える事になったと言えます。   尾張柳生初代の兵庫助は、「音無しの刀」と言われた達人で・・・江戸柳生が御止流であったのに対し、尾張柳生の姿勢は、誰からの挑戦も受けるという、姿勢であり・・その中で・・兵庫助の刀は、相手の刀と触れ合う事なく勝負を決して居た・・と、聞き及びます。 まさしく、型稽古の中での勝負は・・相手の斬りだす刀に対しての その刹那の瞬間的な物を捉えて行く事で・・一刀の内に勝負を決する稽古であるわけですから・・そう言う感性が、身に付いていれば・・まして、石舟斎にうり二つと言われた、兵庫助であったわけですから・・まさしく、至上の太刀を身に着けていたという事です。   で・・は、新陰流の達人達は・・稽古を積む事で得る事の出来る・・達人的な感性を身に着けていた・・はずですが・・・その事を理解できていなかったのか??と言えば・・・まったくもっての・・理解の上での口伝書であると私は、実感しております。   稽古を始めたばかりのころ・・「肚を使え」「肚から動け」「全身の働きで斬れ」と指導を受けた事が・・すでに、その始まりであり、その言葉が、なければ・・私の意識が、そう云う次元に働きがあるという事に気が付くまでにどれほどの時間が掛かった事か・・・ まさに・・理解は後・「実証ありき」の「事理一致」の世界感が、型稽古の中には存在しているのです。   この斬降ろしの動画も・・結局、私がBさんから言われ続けた雷刀の構えの中で、斬り降ろしているのです・・私は、Bさんから・・どうして・・そうするのか・・という、説明を聞いた事はありません。 が・・その答えをチャンと持っています。 所が・・「嵩に嵩を掛ける」と言う教えは・・位と言う事の本質的な意味においての更に、高い・・意識という事であるはずなのに・・ おかしな事になっていませんか?   この雷刀(上段の構え)にこそ新陰流の本質的な・・意識がすべて入って居る・・それが、わかれば「無形の位」が分かるのです。 と・・言う事で・・世の武芸者は「表芸」とか「裏芸」などと言う表現で、自分のやって居る事を表現するようですが・・。 表裏一体である・・さらには「肚は背中の面」「四方正面」という教えがあれば・・私が演じる事に、表も裏もありません(^^♪   しかし・・体術もそこそこですが・・・剣術も同じ位か・・それ以上に、そこそこです。 これも、型稽古ありきなのです・・心技体・・・技が同等なら(同じレベルの技が出せるのであれば、体力に遜色はないはずです。) 肚の勝負です。   肚が、同等なら・・技が上の人が、勝ちます。 そして、心・技が同等であれば・・体力が司る処が、大きくなります。 逆のまた真なり・・。 体力勝負で・・同等なら・・技が勝った方が勝・・。 しかし・・その上の勝負(勝ち負けにこだわる事ではない)位勝ちする事が・・「戦わずして勝つ」という・・言葉で顕される事もあるのです。 それこそが「嵩に嵩を掛ける」という教えであるはずです。   構えを高くする?wwwこれでは・・雷刀ではなく・・他流の切り・他流の構えであるから・・・・・   教えの中に居るという事の有難さ・・型があるという事に、感謝・・ 出来なければ・・もう一度、教えに則した型を練る。 そして、隙を確認する・・。それこそが、型を活かす・・活きた型の使い方ですね。 私は、新陰流の型の実践で、それを強く実感する事が出来た事に感謝しています。m(__)m                                    

      1
      テーマ:
  • 05 May
    • 位を創る

      本日も・・稽古でした(^^♪ 7時から・・・S君とIM君・・で・・サンチンの型・・・ 私と一緒に2度・・その後、2人で2・3度・・みせてもらいます。 と・・その型を見て・・気が付いた事を・・指導します。 型は・・一つ一つの動作がつながって一つの型になりますが・・ 動きの中に・・ムラを作らないということが、とても重要です。   しいて言えば・・今の自分のレベルの型に、出来栄えが良いとか悪いとか・・そう言うものが、あっては・・よくないのです。 今のレベルの型・・・動画で確認すれば、少し手の動きが小さいとか・・高さが足りないとか・・と・・いうことに・・気付く事ができれば・・基準がしっかりとしている・・という事であると思います。   動画などは・・たまに撮って見るのは良いでしょう・・その動画が、自分の意識レベルと一緒である事が望まれます。 先日、パッサイを初めて動画撮りして・・自分で確認してみました・・なかなか、よどみなく動けて居ると思えました・・が、実は気に入らないところも数か所あります。   もっと、上手な人が観れば・・まだまだ・・と、言われるとは思いますが・・しかし、自分の今の自覚できるレベルとしては・・そこそこ 良い動きができていると・・思えたので・・その感性に従順に・・また、型を練っていきたいと思います。   と・・上がる↑方向があっても・・下がる↓方向があってはいけません・・手の動きとか・・小さな細かなところは・・修正が、すぐにできますが・・ぱっとやって・・軸がぶれていたり・・動きに硬さや、よどみがあったり・・では、まだまだ練れていないということになると、思うので・・そこでさらに、自分の思うような型にしていくには?   と・・切磋琢磨していくのが・・一つ一つの積み重ねになると、考えます。カタチができたから・・型ができた・・では・・その深さが・・観えておらず・・その深さが・・たりません。 位を意識する事が、とても重要です。   今日は・・そういう事を交えて説明すると・・ちょっとした事だけでしたが・・すぐに1時間が経っていました。 その後・・・ちょっとだけ休憩して・・顔面掌組手の手の使い方の基本を稽古・・・・を・・。中心をとる意識・・など・・の大切さは・・基本の稽古を通して、身体に植え付けていかなければなりません。 気づけば・・9時です・・。 一旦、終了したのですが・・それから・・また、中心の意識の大切さを・・指導・・「意」ということも・・踏まえ・・。   構えを取ってもらい・・中心を意識したときと・・そうでない時の差を実感してもらい・・2人にも、実践してもらいましたが・・・ 私とは、違うようです(^^♪   そして・・IM君から質問があり・・ハラについては、私の腹は、指導している間中・・入ったままですであるということ・・。 ・・歩くときもしゃべる時も・・入った状態で説明しますし・・稽古もつけます。・・ですから・・何の変化も見て取れないわけですから、入っているということが・・普通であるということが・・信じられないようでしたし、入っている状態で、立ったり歩いたり・・しゃべったりしている事が・・不思議なようでした。   昨日の、私の写真は、ハラが入った状態の写真ですね。 あの状態で、ずーっと指導するわけです(^^♪ さらに・・40分が・・2時間半以上の稽古と・・なりました。                                

      1
      テーマ:

プロフィール

刀禅 愛知尾張同好会(準)春日井市 空手道場 心風館 館長

性別:
男性
誕生日:
1965年6月18日
血液型:
A型
お住まいの地域:
愛知県
自己紹介:
愛知県春日井市にて、小さいながらも、武道場を営んでおります。 宜しくお願い申し上げます。 こ...

続きを見る >

読者になる

AD

カレンダー

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

旧ランキング

先生・保育士
484 位
学び・教育
924 位

ランキングトップへ

ブックマーク

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。