砂澤ビッキを感じた今日の昼・・・ | ブーティの裏

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フォトグラファーをする傍ら、Funnyな神さまの導きにより2014年から「狛江で1番入りづらいバー、ゴータバー」という飲食店を経営させて頂いております。2023年法人化し㈱ゴータバー設立。学歴が小学生程度しか無いため誤字脱字多めのニンゲンのエッセイ。

夏の暑い休日、車に乗り込み僕は街へと向かった。


なるべく安めのパーキングを見つけ車を止め徒歩で繁華街へと・・・

友人に会ったり買い物をしたり久しぶりに街を堪能。

7時間くらい絶った頃だろうか・・

疲れを感じた僕は自宅近くのレンタルビデオ屋にて

流行りの洋画を借りようと決意。


そのまま地下鉄、東豊線に乗り自宅近くのビデオ屋に到着。

目当てのビデオもゲットし、徒歩で帰宅。


数時間後の夜中、友人に会うため車で行こうと車庫へ向かった。


あれ・・?車がない・・・・!?


街に車を忘れてきた暑い夏の夜の出来事でした(笑)・・・(マジ話っす)


          @ラッドブラザースにて ・早朝のテキーラ・




さて本題。

皆様は砂澤ビッキーを存じであろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E6%BE%A4%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AD

存じでない方は↑をクリック!

・携帯から観覧の方の為に少々ビッキーについて・・

砂澤ビッキ(すなざわ びっき, Sunazawa Bikky, 1931年 3月6日 - 1989年 1月25日 )は日本の彫刻家 。木彫を専門とする。北海道 旭川市 出身。

土産物の木彫から出発し、大胆にして繊細、原始的にしてモダンな独自の作風を確立した。北海道の先住民であるアイヌ の血を引き、その作品にもアイヌ文化 の伝統が息づいているが、砂澤自身は「アイヌの芸術家」という枠にはめられることを嫌ったと云われる。

初期には阿寒湖 畔と鎌倉 、その後札幌 を制作の拠点としたが、1978年 からは旭川と同じ上川支庁 の北部、音威子府村 筬島(おさしま)の小学校跡にアトリエを構え、亡くなるまでの十余年、精力的に木彫作品の制作を行なった。その作品は国際的にも評価が高い。


ここ最近、仕事で とあるご老人の女性と3日ほど話す機会があった。

その女性は80歳を目前としているのにもかかわらず(ミクシー)を知っている事に驚いた。

要は、老体にもかかわらず時代の流れに敏感な方である。


その女性の横で3日ほど仕事をしていた私だが色々な話をした。

私みたいな人間は多分3分少々で人間性を見抜くようなこの女性。

 なぜか、アイヌ民族の話になりその話の中で出てきたのが砂澤ビッキーだ。


なんと、その女性は砂澤ビッキにプロポーズされた女性であった。

僕が砂澤さんはどのような方だったの?そう聞くと・・


ビッキーは樹海にそびえ立つ大木の様な方だったと・・・

時には自然のように優しく・・

時には自然の様にもろく・・

大きな体にパンケーキのようなぶ厚い手。

派手な振る舞い

そして、どこか孤独そうだったと・・・


ある日の夕方、ビッキとその女性と何人かの男性で酒盛りをしていたそうな・・

新たに友人が加わり別な方が(昔なので)ぬるいビールを差し出したそうな・・

するとビッキはそのコップの中のビールを二階の窓から外へと捨て、

冷たいビールを新たに注ぎ直し彼に差し出したそうな。

そんな気遣いができるビッキ。1960年頃のお話だそうな(推定)


その女性は(おばぁちゃんは)当時、居酒屋みたいな処で働いていて、

ビッキはよくそこに通っていたらしい。

偶然にも女性とビッキは同じマンションだったらしく・・・・


最後に・・


女性 「ビッキーはねぇ・・そうだねぇ・・あんたの顔をさらに大きくしたような顔だよ」


ん・・? 遠まわしに僕の顔でかいって言ってる??(笑)


女性 「いい男だったよぉぉ」


てれますなぁ・・(汗)


もっと突っ込んだ話はできなかったが、故・砂澤ビッキを五感で感じた1日でした。

ご老人の話というものは、ぼくにとってものすごく面白いもので・・

心洗われると・・そう感じる


貴方のおばあちゃんがもし健在ならば今年のお盆にでも

昔話を聞いてみてはいかがでしょう?

きっと素晴らしい体験になるとおもいますよ。


おばぁちやん 「ごうちゃんに遺影写真でも撮ってもらおうかしら・・」


私 「おばぁちゃん・・・生前に遺影写真撮ると長生きするんだよ(笑)」


僕はこんな出会いがあって本当に幸せものである。