夜回り体験記 | フラチなスピリチュアル三昧のブログ

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(昨日は全く時間が無く何とか書きなぐってそのままブログにあげました。三分の一程加筆修正しましたのでお時間のある方はどうか併せてお読み下さい。)


ホームレスの方はたいていの場合、生活に必要な最低限の物を揃えて、特定のある範囲の場所でひっそりと暮らしてみえる人が多いです。


名古屋の街中などでは、場所的な制約があるために特にその傾向があります。


しかしN相談所のあるIMY市の場合は、名古屋の衛星都市的な一地方都市という雰囲気があり、北に一級河川である木曽川が岐阜県との境界線として流れ、郊外には田畑が広がる比較的ゆったりとした所なのです。


あるときに相談所で保護したホームレスの方は、市の東部に広がった田園地帯のなかの農具小屋で、五年もの間ひっそりと暮らしていたそうです。


彼の話で驚いたのは、栄養が偏ると健康に悪いからとそのあたりに居るカエルや雀を捕まえて、藁で焼いて動物性たんぱく質源として補給していたというはなしです。


事務所で職人芸のような雀の捕り方の話を聞いていると、本当に此処は日本なのだろうかという錯覚に陥ってしまいます。


話を聞いていて彼の姿が、ジャングルで潜伏生活をしていたあの元日本兵の横井庄一さんや小野田少尉とダブって仕方がありませんでした。



前回の話の続きで高速道路の下を重点的に回ったときも、実にいろんな方がみえました。


ある人は高速下のトンネルのなかに、まるで阿蘇山のようにいろんな物をうず高く積み上げ、中心をカルデラのようにくぼませてそこを寝床にしていたようで、まるで縄文時代の竪穴式住居のようでした。


トンネルといっても端から端まで登りと下りの幅がある訳ですから、その中は結構広く、下手な分譲住宅などは面積的にすっぽりと入ってしまうのではと思えるような広さなのです。


何人もの方達が長い高速道路の下で暮らしてみえる中で、2,3の方達は驚いたことにトンネルのなかに何処からか廃材を集めてきて家を造ってしまっているのです。


あるお家には犬小屋が造っててあって、番犬がちゃんとお利口に見張りをしていました。


よく見ると玄関のドアもしっかりと有り、何とその横には表札までかかっていました。


その様子はまるでペット可のワンルームマンションのようです、しかも礼金、敷金、仲介手数料一切無しで、家賃は驚きの0円!


その次に回ったお家は、その家に輪をかけて更に凄い家でした。


そこはトンネルの手前から奥まで相当に長く建てられた家で、端から見ていくと寝室と思しき部屋や、リビング、ダイニング、納屋のようなものまで幾つもの部屋に分かれていて、やはり入り口の玄関ドアのような扉があり、しめ縄まで飾ってあるという凝りようでした。


そのとき一緒に回ったMちゃんは、街中の住宅地域のマンションで暮らしているのですが、自分があまりの広さに驚き、しきりにため息をついていると、  ボソッと一言、


「僕のマンションよりもずっと広いかもしれん」


と真顔で言ったのを横で聞いて、いやぁ、これは流石に負けるだろう、洒落にならんなと少し複雑な気持ちになったのでした。


しかしその人のような場合は本当に稀有なケースで、殆どのホームレスの方達は今の時期は暑くて虫に刺されまくり、冬の極寒の間は凍死の危険と隣り合わせの厳しい環境に晒されるという生活を余儀無くされています。


確かにごく一部の方は、人と関わりたくないとか、何の制約も無い境遇を得る為に、自ら進んでその生き方を受け入れているという人もいない訳でもありません、しかし多くのホームレスの方達は不本意ながらその過酷な人生の境遇に甘んじてみえるのです。


マザーの神の愛の宣教者会が運営している、死者の為の家には及ぶべくもありませんけれども、ホームレスの方達が少しでも人としての尊厳を持って最後の時を迎えられる様に、私達ボランティアは集い、それぞれの方の制約の許す範囲で活動を行っているのです。


もしも道端でお腹を空かせた方がみえましたら、コンビニでたった一つのパンでよいのです、どうかその方に差し上げて下さい。


助け合いと共生、今のこの混沌としたエゴのぶつかり合った社会から、個々の意識や地球意識を上げる為には、これを実践することに勝るものはありません。


この話はまたの機会に書きます。


(名古屋の炊き出しボランティアのオアシス日記というホームページがリニューアルしましたので、関連した記事を載せるための先鋒の役割を頼まれたのです。そちらも機会がありましたら是非お読み下さい。)