夜回り体験記  続き | フラチなスピリチュアル三昧のブログ

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今日は予定を変更して、もう一日だけ夜回などりについて書かせて頂きます。


ある日事務所に突然一本の電話が掛かってきました。


それはブティックを経営している女性オーナーからのもので、自分のお店の近くに橋があって、少し前から誰かがその橋の下に居るようで凄く気になっていたところ、ある知り合いがそういった救済活動をしている団体を知っていた為に連絡をくださったということでした。


そのときたまたま自分が居合わせていたので、早速現場へと向かいました。


通報の橋と思しき所へ着き、橋の縁から中を覗き込みましたが人の気配は無く、もう帰ろうかと思いつつも大声で呼びかけると50前位の男の人がゆっくりと出てきました。


いろいろお話を聞くと4年ほど前からそこで暮らしてみえるそうで、橋の幅の真ん中に居ればどちらから見てもちょうど死角になり、故に殆ど誰にも見つかることが無かったようなのです。


しかしその橋の岸側はコンクリートできれいに固められており、川縁の通路も7,80センチしか無さそうで、橋桁も低いためよくぞまあこんなところに4年も住んでみえたと思いました。


少しでも寝返りを打とうものなら川に落ちてしまうし、川面も近くて冬は過酷な寒さが容易に想像でき、なによりも増水すれば非常に危険でよく4年もご無事でみえたと思いました。


その場でただちに彼を車に乗せ、シェルターまで運びました。


彼は一週間程シェルターで過ごした後、仕事を斡旋され無事に退室して社会復帰することが出来ました。



またあるときには、市の保健所が無料診断をしてくれるというというサービスがあったので、こちらで把握している体調の悪そうな方を重点的に回りました。


所長の案内で木曽川の堤防に着くと、真っ暗な中を川べりに向かって二人でずんずんと歩いていきました。


川面の近くは2メーターはありそうな葦の様な草が生い茂り、こんなところにはたして人が居るのかという

草の間を掻き分けて進むと、男の人が突然暗闇の中にヌッと現れました。


彼の話を聞くと2,3人でそこに住んみえるそうで、何故こんな世間と隔絶されたところで住んでみえるのかとその時は思いましたが、これには実は重い理由があるのです。



名古屋の公園の夜回りにも、沢山のホームレスの方達がみえます。


その方達のなかで自分が特に印象に残っているのは、何匹もの猫を飼ってみえる人が何人かいらっしゃることです。


猫は決して飼い主を選ぶということがありません。


彼らは無償の愛で以って飼い主をただひたすら信じ、全身全霊の全てを委ねてくれます。


飼い主の方もその自らの境遇にもめげず、猫ちゃんたちを心の底から思いやり、愛し、慈しみ、守ろうとしています。


その様子、深い絆を見ているだけでもう胸がいっぱいになり、目頭が熱くなってしまいます。


その関係が壊れる事無く、平穏な暮らしを少しでも長く続けることができますよう、ご加護を祈らずにはいられません。



先ほども少しお話しましたがホームレスの方達の問題で本当に深刻なのは、彼等を襲ったり火をつけたりする人が居るということです。


人と隔絶した所に見える方はそういった恐ろしい経験をしているのです。


動物と人の魂は、本ならば比べるべくも無いものです。


しかし畜生にも劣るという言葉が有る通り、本来であればステージが高く、より大きな学びを目指さねばならないはずの人間であるのに、まるで悪魔のような行いをしている人を思うと、悲しく哀れでなりません。


これは滅多にないことでは決してなく、残念ながらしばしば起こっているというのが現実なのです。


魂には制約があると言えども自由意志があり、神は決して彼等を罰することはありません。


しかしながら彼等は自らその魂の道程に、重い十字架を背負って歩まねばならないということを、どんなにか深い傷を自ら付けてしまったのかという事をはっきりと思い知らねばなりません。


その傷の深さを知ったとき、彼等はいったいどれだけ恐れおののくことでしょうか。