兵庫県の丹波篠山と篠山城 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

既報の通り、私はこの6月の12日から13日まで、丹波篠山に帰省していました。中学の同級会が同地で催されたので、その催しに参加のための久しぶりの帰省でした。その同級会には男女合せて45名の参加でした。旧交を温め楽しい時を過ごしました。その同級会の後、神戸に2泊しました。


写真も沢山撮りましたので、順次紹介したく思っています。


丹波篠山は、JR大阪から急行で一時間ほどのところに有ります。篠山口駅で降ります。そこから神姫バス30分で篠山の中心の町に着きます。


真空管のアナログ世界に魅せられて-篠山

    篠山城の石垣


東京のお洒落の街、「青山」の地名は、この篠山城主であった青山氏の藩屋敷が在ったことから青山と呼ばれるように成っています。篠山城は代々譜代の大名が務め明治まで続きました。明治最後の城主は青山忠誠公です。石高は当初5万石でしたが幕末のころ加増されて6万石に成りました。

山陰方面から阪神・大阪に出るには、この篠山の地を通らなければなりません。そこに関所的性格のお城を作る必要を思った家康は、1609年(慶長14年)に、戦国武将の藤堂高虎に命じ、縄張りをさせました。この城は戦略的な重要な意味を持っていました。それは大阪城を枕に、豊臣家が大阪夏の陣で滅びる6年前のことでした。


真空管のアナログ世界に魅せられて-篠山6
 篠山城祉からお濠を望む


篠山城祉からお濠を望みますと、そのお堀の前に、白い壁の建物が見えます。この建物は篠山市の市庁です。1999年に町村合併で篠山市が誕生。県立高校の跡地に市庁が建設されました。


真空管のアナログ世界に魅せられて-篠山4
 篠山市の中心、本篠山の風景


篠山市は、兵庫県東部の市で京都と境をなす盆地です。産業は農業を中心に、丹波の黒豆とか丹波栗を全国的に売り出しています。人工は5万人ほどです。


現在、篠山城は石垣が残されているほか、最近再建された大書院が有ります。そこは、博物館に成っています。天主閣などは戦後すぐの混乱期に、不審火で燃えてしまいました。


真空管のアナログ世界に魅せられて-篠山1
 篠山城の石垣から八上城を望む


この篠山城の石垣上から、東の方向に八上城を遠望出来ます。この八上城は山城で、標高400メートルほどの高城山の頂上に在ります。


明智光秀が信長の丹波攻略の命を受け、丹波攻略の最初に取り掛かったのがこの八上城でした。この八上城の城主、波多野秀治は、元三好氏の家来でしたが、この八上城を奪い、城主と成った土地の豪族でした。流石の光秀もこの山城には攻めあぐんでいました。そこで窮余の一策で、自らの母を人質に出し、波多野秀治を城から下ろしましたが、光秀の思惑とは違って秀治の信長が投降を許さず、秀治の首を刎ねてしまいました。


この信長の酷い所業を見た秀治の武将たちは、人質に出されていた光秀の母を松の木に縛り付けて、槍で処刑してしまいました。今もその老松が八上城の頂上に残っています。ハイキングにとてもいい場所です。


今後も、私の故郷である丹波篠山に付いて、折に触れ紹介を致したく思っています。


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