今日の日はさようなら
最近、親しい人との別れがありました。
その人とは長い付き合いがあり、お互いの長所も欠点も分かり合える関係でした。
それまで病気らしい病気をしたことがない人で、入院、手術なんて、もちろん経験がありません。
それほど元気な人でした。
それが、ある事故で怪我をして初めての入院を経験。
退院後、家族の協力による6ケ月のリハビリ期間を経て社会復帰したのもつかの間、脳出血で倒れ、ひと月あまりの闘病生活の末、静かに旅立ちました。
病院の看護婦さんが気づかないほど、脈拍を示す波形がいつの間にか平になっていたそうです。
本人はもちろんですが、リハビリに付き合ってきた家族も無念だったと思います。
残された家族は、亡くなった直後の葬儀・告別式をやらず、家族3人だけで故人を見送ることに決めました。
もちろん、納骨の時には、菩提寺で供養のお経はあげるそうですが、亡くなった後に手際よく進められる葬儀社による段取りに遺族が忙殺され、普段は付き合いのない親族、近所の人々、会社関連の人たちへの挨拶に遺族が忙殺されるのを止めたかったので、家族だけの見送りを決めたそうです。
私も同感です。
家人が亡くなって一番悲しいのは残された遺族です。
その遺族が雑事に忙殺されて涙を流す隙も、故人を心から偲ぶ隙もないなんておかしいと常日頃から思っていました。
でも、最近そういう人が増えたようで、今の葬儀社のメニューには家族だけで見送るためのコースもあるそうです。
私などは、是非そうして欲しいと思います。
まあ、我家の場合、私を除く家族全員が献体の登録をしているので、家族葬すらないかもしれません。
私も献体登録をしたいのですが、最近希望者が増え、満60歳に満たない人は手続きができないのです。
そして、親しい人が亡くなるとき、いつも思い出す歌があります。
かつて森山良子さんが歌ってヒットした曲です。
「今日の日はさようなら」と言います。
その三番の歌詞です。
信じあう よろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
今日は、とりあえず「さようなら」だけど、きっと、またあえる日がくる。お互い信じあっていれば。だから、そのことを大切にしようね。でも、とりあえず「今日の日はさようなら」。
私には、そんなふうに聞こえてくるのです。
単純な歌詞ですが、何故かいつもこの歌を思い出してしまいます。