ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

ソフィアの森の「人生は、エンタテインメントだ!」

音楽が好きで、映画が好きで始めたブログですが、広告会社退職後「ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ」を掲載しました。

  ビジネスの教訓は、すべて音楽業界に学んだ



1973年に大学を卒業してレコード会社に就職してから21年間、商品センター~洋楽部~邦楽販売促進部~邦楽制作宣伝部での仕事を通じて多くの出来事、そして多くのエンタテインメントな人たちに出会った。普通の人たちとはチョット違う、いや大いに違うかもしれないエンタテインメントな人たちは私を魅了し、多くの刺激や教訓を与えてくれたのだが、そのことは43歳で広告業界に移った後も私の仕事の原点として心の中に生き続けてきた。そんなエンタテインメントな人たちのこと、そしてエンタテインメントな人たちから学んだビジネスの教訓を私自身のエピソードと共に振り返ってみたい。デジタルな時代にこんなアナログな話がどれだけ興味をもたれるのか分からないが、「エンタテインメント=好き!」がすべてのマーケティング行為の源にある以上、それをクリエイトするエンタテインメントな人たち抜きにエンタテインメント・ビジネスのことを語ることはできないと思い、おぼろげな記憶を辿りながら書いてみた。ただし、フィクション、ノンフィクションが適当にまじりあっていることと、実名で登場する全ての人に事前の了解をとったわけではないことをはじめにお断りしておきたい。

一曲の音楽を聴いて、また一本の映画を見て、泣いたり、励まされたりしながら明日への活力を養う。エンタテインメントとは、まさに人を勇気づける娯楽であり、娯楽は英語でリクリエイション、すなわち再創造という意味だ。
これをビジネスにする仕事ほど幸せで、恵まれたものはない。

主な項目

1.エンタテインメントな人は、軽いノリで大事なことを決めてしまうのです
2.エンタテインメントな人は、思いこみが強いのです 
3.エンタテインメントな人は、若い時に挫折することが多いのです 
4.エンタテインメントな人は、ミーティングと称する飲み会でモチベーションを高めるのです
 5.エンタテインメントな人は、「根性」があれば何とかなる!と言われて育ったのです
 6.エンタテインメントな人は、情熱と縁を大切にするのです 
7.エンタテインメントな人は、勘違いすることが多いのです
8.エンタテインメントな人は、人の心をつかむのが上手いのです 
9.エンタテインメントな人は、癒着するために努力するのです 
10.エンタテインメントな人は、リスペクトできない上司と仕事をしたくないと腹をくくっている人が多いのです・・・・・他













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■エンタテインメントな人たち(最終回)


テイチクを辞めた私が、東元さんが代表を務める新しいレコード会社イースタンゲールに行くのではないかと業界の噂になったが、私が選んだ再就職先は社員30人足らずのビッグョットという小さな広告代理店だった。このことについては改めて書く機会があるかもしれないが、その伏線になったのは30代の半ばに聴いたCDとの出会いに遡る。アナログレコードしか知らない私が初めてCDを知ったときの驚きといったらない。「音楽だけではない、デジタルでエンタテインメントが変わる!デジタルで世の中が変わる!」心の底からそう思った。しかし、関西に常駐する当時のテイチク経営陣はCDに何の関心も示さなかったばかりか、CDを否定さえしたのだ。ショックだった。これによりテイチクのデジタルへの取り組みは他社に比べ大きく遅れてしまった。このことが長年心の奥に引っかかっていた。このままテイチクに残っていては、自分は時代に取り残されてしまうのではないかという恐怖心が大きくなり、レコード会社から幅広いエンタテインメント・ビジネスを経験できる広告業界へと私を大きく揺り動かしたのだと思う。もちろん、直接の引き金になったのは東元社長の退任である。大きな人生の決断にまたしても東元さんの存在があった。


実はこの頃、ある人材スカウト会社から電話をもらい、これも社名を言えばすぐに分かってしまう外資系の大手映画配給会社が新たに立ち上げるホームビデオ部門の日本法人責任者をやらないか?というオファーをうけた。音楽と同じくらい大好きな映画配給会社で仕事ができる!心が躍った。しかし、テイチク時代に映像ビジネスの経験がまったくなかった私は決断する勇気がなく、悩んだ末丁重に断りの電話をいれた。その時提示された年俸はいまでもハッキリ覚えているが、当時のテイチクの2倍はあった。ひょっとしたら人生最大のチャンスを逃したのかもしれない(笑)。


その後もデジタルへの興味、関心は尽きず、広告業界に移った後も既存のメディア部門を担当しながらデジタルに関わる仕事を積極的に選び、2007年にフジテレビグループの傘下として再編成された広告会社「クオラス」の初代デジタル局長に就任した。その後、役員として新雑局長やテレビ局長も務めたが、63歳で役員定年となった後も顧問として2年間デジタル・ビジネスをサポートした。「新しいものへの興味や挑戦」という気持ちは音楽業界での仕事を通じて培われたのだと思うが、エンタテインメント・ビジネスというのはそもそも世の中の空気を敏感に感じながら変化していくものなので、デジタルという変化への対応も自然にできたのだと思う。


こうして振り返るとテイチクに在籍した21年間で実に多くのエンタテインメントな人たちに出会った。嫌なことや辛いことも沢山あったはずなのに、振り返ると楽しい思い出ばかりが甦ってくる。だからだろう、早く会社に行きたくて月曜日が待ち遠しいなんて気持ちになったのは43年にわたる私の企業人キャリアの中でこの時期しかない。特にエンタテインメント精神旺盛な東元社長と共に過ごした濃密な数年間があったからこそ、今の私があると思っている。東元社長はBAIDISというロック・レーベルを成功させるという夢を掲げ、社員と共にその夢の実現に向かって走ってくれた。東元晃さんへの感謝は尽きない。「リーダーたる者は、夢を語り、その夢の実現に向かって部下と共に汗をかけ」という言葉は今でも深く心に刻まれている。


ここで一気に時代は進むが、2015618日から私はテイチク時代の仲間であり、先輩である高木さん(BAIDIS時代の宣伝課長、その後退職してビーイング系のプロモーション会社の社長に就任)と西山さん(先のテイチク社長)と一緒に小樽に住んでいる鈴木正隆さん(テイチクの元営業担当役員でわれわれの大先輩)を訪ね、鈴木さん宅で3泊しながら小樽観光を楽しんだ。小樽観光と言っても、夜は大宴会である。酒と鈴木さん手作りの美味しい料理を頂きながら、昔話に花を咲かせたが、我々が共に過ごした音楽業界での楽しい時間がまるで昨日のように甦ってきた。この短いながらも中身の濃い小旅行を通じて、私は何と素晴らしい上司や仲間に出会い、何と幸せな時間を彼らと共有することができたかをあらためて確認することができた。そして、こう確信した。「ビジネスの基本は、すべて音楽業界に学んだ」と。大学を出て、コピーライターにならず音楽業界に進んだことにより出会った多くの人たちに感謝したい。

その鈴木さんもこの小樽旅行から2年後の2017年に他界した。小樽へ行って本当に良かった!





この10年間デジタル環境の大きな変化とともに仕事をしてきたが、効率が良くなり便利な仕組みが沢山生まれた。私自身も最新テクノロジーを率先して学び、新しい製品にいち早く触れてきたが、この便利さと引き換えにわれわれはなにか大切なものを失ったのではないかという思いが強い。過去に学んだ経験や知識から得た合理性は、コンピューターをはじめとする様々なテクノロジーの進化によりあっけなく取って代わられてしまう時代だ。失ったものを取り戻すことはできないが、少なくともエンタテインメントな人たちは、時代の流れに翻弄されることなく「目の前にある生活の足しにはならないかもしれないが、人の心が豊かになるもの」の価値創造のために頑張ってほしい。「仕事も人生も夢がなければ楽しくない」は私がエンタテインメントな人たちとの出会いの中から学んだ最大の教訓だ。



時計の針が前に進むと「時間」になり、後に進むと「思い出」になると言ったのは詩人の寺山修司だが、時計の針が止まったとき、その思い出が美しいかどうかでその人の人生が分かるという。私の時計の針は、その歩みは遅いものの、まだ時を刻んでいる。