総本家 小鯛雀鮨 鮨萬
2月4日ブログ「恵方巻き 2011 」で、
今年独立した先輩の、事務所開きの小宴に、(開宴前に)参加し、
大阪の超老舗「小鯛雀鮨(こだいすずめずし) すし萬」(*2)の、恵方巻き!などなど。
をご馳走になりました。
リーガロイヤルホテル(大阪) レストラン&バーのご案内 小鯛雀鮨 すし萬
で食べることができますが、大阪市西区靱(うつぼ)本町にある、
本店(*)では販売のみのようです。今ではデパートでも買えるようですね。
*「総本家 小鯛雀鮨 鮨萬」ホームページTOP Welcomepage
承応2年(1653)
河内屋長兵衛が福島村にて雀鮨をつくり、売り始めたのを最初とし、
その頃浪速七郎左衛門町の魚の棚でも魚屋業を営み、その副業として雀鮨を売っていました。
天明元年(1781)
初代萬助の時、小鯛雀鮨専門店を創業。当時京都仙洞御所のご用命で小鯛雀鮨を献上し、
以来禁裏御用御鮨師を世襲しています。
(「総本家 小鯛雀鮨 鮨萬」ホームページTOP>「鮨萬の歴史」より)
350年以上の歴史です。
次元が違います。先ほど、「超老舗」なんて軽い表現で説明してしまい、すみませんでした。
また、1781年といったら、2月1日ブログ「銀二貫 ~序章②~ 」で紹介したとおり、
1777.12.19
天満火 :堂島蜆橋北東詰、小茶屋の二階より出火…淀川岸まで焼抜け…
1783.12.23
内平野町出火:内平野町二丁目米屋平右衛門家尻より出火…凡1500戸焼失
1791.10.10
伏見屋四郎兵衛町出火:南堀江伏見屋四郎兵衛町…町数87町、家数2010軒、13380軒余
度重なる大火で町民は疲弊し、商売どころではない世の中での開業。
想像を絶する苦労があっただろうに、よく今日まで維持・発展させてきたものだ。
本当に尊敬してしまいます。
本店に行きたいのですが、(お値段がするので今日は買わないため)お店の外観だけ写真を撮っても、
冷やかしに来たと思われ、大事なお塩を巻かれて追い払われると思い…。
本店に代わり、
本店跡
に行きました。事務所から歩いて10分程度のところにあります。
鮨萬の本店もかつては横堀川に面して、目の前が魚の水揚げ場所でしたが、今は高速道路になっています。
高麗橋筋からこの横堀川に架かっていた橋は、どうしたわけか斜めに筋をまたいで架かっていたので
「すじちがいばし」
「筋違橋(すじかいばし)」と呼ばれ、ひらがな古語で
「すしかひはし」と表記されておりました。
まさに「すしを買うところにある橋」であったわけですが、現在では欄干の一部のみ残っております。
(「総本家 小鯛雀鮨 鮨萬」ホームページTOPより)
確かに、高速道路がある。
左手に橋の欄干(親柱)、右手に石碑のようなものみえる。
確かに、今でも、わざわざ道路が斜めに走っている。
碑がありました。左側の親柱は本物のようです。
碑文は、下記のホームページの説明と同じでした。
大阪市市政 筋違橋(すじかいばし) 、大阪市ホームページ
親柱の1つは本店にも飾られているようです。
残念ながらコインパーキングや放置自転車でゴチャゴチャしていて、一見分かりづらいものの、
筋違いの道路を見つけたら、そこが、一応
「大阪のすし」発祥の地、聖地
です。
ぜひ、「筋違橋」→「すしかひはし」→「すしを買うところにある橋」を通ってから、本店に行って、「小鯛雀鮨」を買ってみては。
すしの聖地を巡って、「大阪のすし」が食べたくなりました。
【関連ブログ】
2月6日ブログ「大阪の「すし」 」