あなたの現実と未来が最善に急加速される、運気上昇トレーナーの佐藤達三です。






大人と子ども。


地域と大人と子ども。


社会と大人と子ども。


どれも全く同じしくみで作られています。



大人側から小さい子どもに対して
習慣的に発せられる言葉に、


「恥ずかしいね」


がありました。


この言葉が習慣的に発せられると、その子どもは今後何年~何十年と、話すことが苦手になる可能性があります。


なぜなら、


「恥ずかしいね」

という言葉を何回も大人側からかけられ、「答えなくても良いよ~」という学習を与えてしまうと?


その子どもは大人から何かを聞かれたら、こう思うようになります。


(大人から何かを聞かれて答えることは恥ずかしいことなんだ)

(ならば大人から何かを聞かれたら、恥ずかしいように振舞わなければいけないんだ)

(つまり、大人から何かを聞かれたら、自分からしゃべってはいけないんだ)



つまり、大人が子どもに恥ずかしいように振舞いなさい!
と教育をしているということになります。


これは子どもの無意識レベルに擦り込まれていくので、大人になっても話すのが苦手な人は、この荷物が無意識に擦り込まれていることが多くあります。


ではなぜ、大人は習慣でそう言ってしまうのでしょうか?


実はここにもしっかりとした仕組みが存在しています。



それは、

大人の側の「心の荷物」が原因です。



良く考えてみてください。


自分が見ている光景は、常に自分の感覚、感情のフィルターによって色付けしています。


つまり、大人側にコミュニケーションに関わる心の荷物があると、そのフィルターをもとに、その場を早く終わらせてしまいたくなるのです。



それは例えば、

・無言の時間が苦手だったり
・大人自身が初対面の人と話すことが苦手だったり
・せっかち(自己中心的)だったり
・過去の習慣という荷物だったり


大人の数だけ、荷物は異なります。



こうした大人が持っている荷物のフィルターによって、本来、制限のない子どもに対して、無意識に大人が言葉のレッテルを張ると?



子どもは張られたレッテルを「そういうものなんだ」と思い込み、自分の一部として無意識で、レッテルの通りに振舞うようになります。


それは結構強力なアファーメーションですよね。


なぜなら子どもは心が基本的に白紙なので、周りの情報をどんどんと吸収するように出来ているからですね。


だから子どもの成長は著しいわけです。



反対に大人は、様々な感覚感情のフィルターがあるので、その感覚感情のフィルターを挟んで現実を見ますから、どうしても現実を歪めて解釈してしまいます。


すると本来必要とする学びや気づきが、得られにくい状態とも言えるでしょう。



さて、ここで大切な問題です。


この問題は、自分の親に対して、いまだに不快感が多い方への解決の答えになります。



白紙の子どもと、フィルターが多い大人。



フィルターが多い大人が、白紙の子どもを育てると、どうなるでしょうか?



どうなると思いますか?



今までお話してきたように、白紙だった子どもは、大人のフィルターを世界感として取り込み、大人のフィルターを真似ます。



そうですよね?



子どもにとって大人は、生き方の模範となる先生ですから。


言葉も、食べ方も、歩き方も、大人が教えてくれなければ、子どもは何も学べません。



つまり子どもは、関わって来た大人の鏡であるということですね?



その中で、大人本位の理不尽なフィルターは子どもにとって、そう振舞ってはいますが、無意識にとても窮屈にも感じているものです。



特にその大人からのフィルターが、子どものためになっていない場合。


それが親からであれば親に対して、子どもが成長するにつれて不快感が増し。


それ以外の大人からの場合は、社会に対しての不快感に変わっていきます。



なぜなら子どもは成長すると、知識や経験が増えて物の分別が客観的につけられるようになるからですね。



「今まで言われてきたことは、どうもおかしいのではないか?」

「良く考えてみると、どうもおかしいのではないか?」



親に限らず、社会に限らず、お金に限らず、異性に限らず。


大人から子どもに与えられた様々なフィルター。


そのフィルターから生まれる窮屈な不快感は、その子どもの未来に必ず不快な現実を目の前に現し、その不快感を、そのフィルターを子ども自身が手放すまで続きます。



例えば、

父親への不快感は、同じタイプの男性を引き寄せ、

母親への不快感は、同じタイプの女性を引き寄せ、

お金への不快感は、お金を遠ざけ、

その子自身に与えられた不快なフィルターが多ければ多いほど、自信の無さがズーンと横たわることになります。



なぜなら、その不快なフィルターたちは、本来その子どもたちには一切存在していないものなのですから、すべてが重い、荷物となってのしかかるのです。



その結果、どうなると思いますか?



目標がない。

生きる意味が見つからない。

なにかモヤモヤしてしょうがない。


「吹っ切れたい!」



え?吹っ切れたい?


吹っ切れたいのは、本来の自分ではなく、抑圧されたフィルターが多いからそう思うのですね?



そもそも抑圧されていなければ、
常に吹っ切れているわけです。



さて、


目標がない。

生きる意味が見つからない。

なにかモヤモヤしてしょうがない。


これは今の社会問題ではありませんか?



私が思うに、ほとんどの場合、大人は子どもに対して、次の世代に対して、さらに幸せになってほしいと思っているはず。


誰も、

目標がなく育ってほしいとか、
生きる意味を見失ってほしいとか、

モヤモヤしているのが人生だ!


とか思って接しているわけではないと思うのです。



大人は誰もそんなつもりで、接しているわけではないはずなのに。






常に最高で最善の日々を。


いつもお読みいただきありがとうございます。



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