夜中の三時前に、ちゃとら が寝ている筆者の顔にまとわりついて来て起こされた。ちゃとら にドライ・フードを与え、起きたついでにトイレに行き、戻ってくると しろねこ は居間のパソコンを置いてある木のテーブルの上に丸くなって眠っていた。眼を覚ました しろねこ にもドライ・フードを出してやる。
しろねこ は、何かして欲しいことがあるとき、その方をじっと見ているらしい、と気がついたのは しろねこ がまだ手の平よりは少し大きくなったぐらいの子猫の頃だった。しろねこ はドライ・フードが食べたかったらしく、当時階段においてあったドライ・フードの箱の前に座り、お尻をこちらに向けて前足を立てて座り、箱をじっと見つめていたのであるよ。
その後、大きくなってからのこと。夕方になってもなかなか手が空かなかったときのことだが、しろねこ が一心に柱を見上げているのに気がついたことがある。何を見ているのか、と しろねこ の視線の先をたどった筆者は思わず「そんなことってある?」と声に出してしまった。しろねこ の視線の先には、猫ブラシが柱にかけてあった。しろねこ は習慣になっている夕方のブラッシングを「早くしてよ!」と訴えていたのであるよ。
筆者は猫ブラシを取って しろねこ の前に持ってきて「これ?」と聞くまでもなく しろねこ は「ニャーーーーーーーー」と返事をしたものだった。「やっとわかってくれたの?!」とでも云うように。
猫はみんなそんな風に飼い主に対してメッセージを送っているものなのだろうか。
ちゃとら を見ていると、どうもそうではないらしい。
ちゃとら は捨て猫だった。その日突然、母ネコからも、見慣れた「おうち」からも引き離されて、田んぼや畑の広がる田舎道に放り出された。生まれてまだひと月半かふた月しか経っていないチビネコは大声で鳴きながら疲れ果て、さまよっていた。
しばらくして様子を見に来たオバサンに捕まえられ、見知らぬ家に連れてこられた。その家には白っぽい毛の長い(多分)お母さんネコよりはずっと年が上のネコがいることはいたのだが、近づくと「フー、シャー」と叱られ、取り付く島もなかった。
その家の人間たちは、いささか脱水気味で声をからし、空腹で疲れ果て、途方に暮れ、不安を抱えていた(だろう)そのチビネコを抱き、撫でて落ち着かせ、水を飲ませ、離乳食のような手作りゴハンを食べさせ、眠らせてくれた。
その後、ちゃとら は寂しくなったり不安になったり、求めてもなかなか受け入れてもらえない しろねこ の態度に絶望すると、飼い主たちの足元に行き、一心に顔を見上げるようになった。抱き上げてひざに乗せてやると ちゃとら は飼い主たちの体に登って首のあたりの襟に爪を立て、ゴロゴロ云いながら自分のあごを飼い主のあごにこすり付けてくるようになった。
最初のうちは、甘ったれているのだと思った。最初は小さな子猫だったので気の済むまでそのゴロゴロに付き合ってやることにした。ちゃとら の鼻水だかヨダレだかで、飼い主たちのあごはベトベトになるのだが。
が、そのうちに、あごをこすりつけてくるときは大抵ドライ・フードを出して欲しかったり、原発の事故の後は、外に出してもらいたいときだったりと、何かして欲しいことがあるのかもしれない、と気がついた。必ずしも甘えたくて来るわけではないようだ、と。
何かして欲しいことがあるとき、ちゃとら はまず自分の存在に気をひきつけようとするのに対し、しろねこ はして欲しいことやものが何かを知らせようとするのかなぁ、などと。ムカシいた しろねこ の母ネコは、何かして欲しいときには一心にこちらの目を見つめて飼い主の足元の正面に座り「ニャー、ニャー」と鳴いていたような気もする。一匹一匹みんなちがうものかもしれない。