【倉山満】日本のこころの講演会に行ってきた【自主憲法とは何か】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 12日、名古屋にて、憲政史家の倉山満氏が講師を務める、「日本のこころ」の講演会イフコンがあった(7日、「日本のこころを大切にする党」は「日本のこころ」に党名変更した。https://nippon-kokoro.jp/news/party/post_290208.php)。

 議題は「自主憲法とは何か」である(https://nippon-kokoro.jp/admission/ifcon/nagoya212.php)。
 
 
 
 
 私のブログを見ている人には倉山氏はお馴染みだと思う。
 凄腕人気ブロガーの血祭謙之介さんの誘いもあり、行ってみることにした。
 なお、私は党員でもないし倉山塾生でもない。
 
 
※ 血祭謙之介ブログ
※ 血祭謙之介ツイッター
 
 
 講演会の模様がいまだに党のYouTubeチャンネルにアップされていない(23日時点)。どうやら党所属の政治家の講演会しかアップされないようだ。
 自分で撮影した動画を公開してよいかと日本のこころに確認したら、倉山氏の講演部分のみ公開してよいとのことだったので、この部分のみを公開する。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」 平成29年2月12日 ~講演全編~」 YouTube2017年2月23日

 

 
 
 先に今回の講演の大事な点を大まかに言うと、自主憲法を論じる心構えとして「正しい上から目線」を持ち、「憲法典」と「憲法」を区別し、国際法と整合させた議論が必要であり、また、日本国憲法を改正しなくてもできることをするべきだ、ということだと言えよう。
 これらについて何かしら記憶に残っていれば今回の講演を聴いた意義はあったと思うし、逆もまた然りだと思う。
 
 講演の前に、党および来賓の挨拶があった。
 私は、この党が自民党会派に入り、今後、独自に改憲案などを言えるのかということが気になっていたが、井桁亮氏の話を聞くに、言っていくようだ。
 それにしても、井桁氏は、自ら「日本のトランプ」を売り文句にしながら(https://www.youtube.com/watch?v=FDNp1d10FhM)、「気がコロコロ変わるトランプは信用できるわけがない」などと言ってしまっていいのだろうか。党の街宣車が「中山恭子は日本のトランプ」と流しているという噂もあるが・・・(https://twitter.com/kitanihonganba/status/833242337622962176)。
 
 講演は、まずは倉山氏の自己紹介から始まった。
 倉山氏は、「倉山塾」で大日本帝国憲法(帝国憲法)を教え、「チャンネルくらら」で文化・教養・時事の解説を配信している。
 
※ 倉山満HP「倉山満の砦」
 
※ 倉山塾
 
※ チャンネルくらら
 
 倉山氏は自主憲法制定を語る上で心構えが必要だと言う。
 それは「正しい上から目線」とのことだ。
 相手の悪口を言って満足していては、政権担当の意志もなく自民党の悪口を言って護憲のために衆参いずれかの34%の議席を確保するだけの社会党と変わらず、それは「下から目線」だということだ。そして普通の人から相手にされなくなる。
 保守も、チャイナ・コリア・パヨク(頭がパーなサヨク)の悪口ばかり言って満足していては、社会党と変わらない。これで日本が良くなることはない。
 そうではなく、チャイナ・コリア・パヨクを支配(コントロール)することの方を考えるべきだ。
 そういうことが、日本が世界に向けて何をするかという、自主憲法制定の心構えとなる。
 これが「正しい上から目線」ということだ(地政学にも言及していた。気になる人は動画を見て確認してほしい。)。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」① 平成29年2月12日 ~自己紹介、心構え~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 この日、北朝鮮がミサイルを発射していた(http://www.sankei.com/world/news/170212/wor1702120012-n1.html)。
 倉山氏は韓国情勢の緊迫について5つの視点を挙げた。保守の人たちは朴槿恵大統領の悪口を好んでいるが、そんなことに労力を使う意味はない。
 ①朴大統領は韓国良識派(特に親日派)の最後の切り札、②大統領候補の中で唯一の「親中反日」(次期大統領候補者は皆「親北反日」)、③韓国では反日が当たり前(親日派叩きの名目で親米派叩きをしている面もある)、④アメリカは韓国軍を使ってクーデターを起こすことはできない(既に韓国は北朝鮮に乗っ取られているも同然。ちなみに慰安婦問題は北朝鮮を利する日韓分断工作)、⑤今や釜山に赤旗が立っていると思え(釜山の慰安婦像は日本に銃口を向けているに等しい)、とのことである。
 そういうことを踏まえて「どうする」のかを考えるのが「正しい上から目線」ということだ(「どうなる」ではない)。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」② 平成29年2月12日 ~韓国情勢~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 「自主憲法」と言うが、これは二重形容詞である。「自主」ではない「憲法」というところからおかしい。大多数の日本人はこういう意識がない。
 よく言われるのが「米定憲法」。大多数の日本人はこれでも構わないと思っている。
 そういう大多数を説得するために、我々は思想を固めて事実を認識しないといけない。
 
 「メイド・イン・USAの憲法」とよく言われる。このUSAとは誰か。
 ダグラス・マッカーサーはアメリカの代表的人物ではなく、むしろ落ちこぼれである。GHQで本国に戻って出世した人は一人もいない。特に民政局が憲法制定に携わったが、中身はニューディーラーであり、彼らは落ちこぼれ中の落ちこぼれである。民政局にホイットニー局長とケーディス次長がいたことはよく指摘されているが、日本国憲法の翻訳などを務めたトーマス・アーサー・ビッソンがソ連のスパイだったことが近時の研究で明らかとなった。ソ連とは、世界中の政府を暴力で転覆して世界中の金持ちを皆殺しにしたら人類は幸せになれるとする共産主義という間違った思想を世界中に輸出しようとした悪い国だ。
 「GHQ=アメリカ」という認識はアメリカ人にも不本意。GHQはアメリカの落ちこぼれで、ソ連のスパイがやりたい放題だった。
 「自主憲法→反米!」みたいに噴き上がるのではなく、どのアメリカなのかを考えるべきである。そうでないと、アメリカの共産主義的な部分を相手に戦うトランプ大統領を敵として誤認することすらあり得る。
 単純に「アメリカの押し付け憲法」と考えてはいけない。そういう単純な考えに浸ってシュプレヒコールを挙げていても、誤植すら訂正できない(日本国憲法7条4号の「”総”選挙」。詳しい話は「帝国憲法の真実」に記載。)。
 日本国の憲法を、日本国憲法の前文と103個の条文だけだと考えてはいけない。GHQや東大憲法学すらも、前文と条文だけが日本国の憲法全てだとは考えていない。
 「日本国憲法」は「憲法典」。いわば氷山の水面に出ている部分。氷山全体が「憲法」に相当する。つまり、日本国憲法は、日本国の憲法の一部ということだ。戦前はこの「憲法」を「国体」(国家体制=その国の歴史・文化・伝統)と呼んだ。
 普通の国は、国体に基づいて、国家経営のルール(統治の規範)としてあえて確認のために文字にしておこうという部分を憲法典にしておく。
 日本国憲法が異常なのは、日本国の歴史・文化・伝統を抹殺するために作られた憲法典だというところである。つまり、「憲法違反の憲法典」ということになる。
 これが最高法規であることを合理的に説明することはできない。
 条文を変える・変えないという、日本国憲法が日本国の憲法の全てであるという前提の論争は不毛である。
 「日本のこころ」の議員はそういうことがわかっているが、これを如何にして自民党や国民に広めていくかというところが課題となる。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」③ 平成29年2月12日 ~GHQ、アメリカ~」 YouTube2017年2月22日

 

 憲法改正について、産経新聞社の「正論」のように、憲法9条改正・緊急事態条項創設が挙げられることが多いが、これは本当に保守か。
 現実的に考えるのなら7条4号の誤植の訂正から始めるべきだし、京都学派は9条よりも第一章の天皇条項を重視している。
 「日本のこころ」の自主憲法草案は、「日本国は天皇がしらす国である」というようになっている。「しらす」の反対語は「うしはく」で、「うしはく」はヨーロッパの王や中華皇帝のように人民を家畜や持ち物のように扱うことであり、対して「しらす」は、君が民を想い、民も君を想い、民を宝とし、家畜のように扱ってはいけないということだ(君民共治)。簡文で日本のこころを表す。
 「しらす」が「うしはく」になれば、日本は日本でなくなる。これより大事な話があるのか。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」④ 平成29年2月12日 ~天皇、「しらす」~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 9条はいきなり廃止しようとすると抵抗が強いので、一応残しておく。
 9条1項では侵攻戦争を否定し、自衛戦争は残す(「侵略戦争」は誤訳)。
 2項で安保理憲章に則った内容を入れる。集団的自衛権の行使を認める。
 自主憲法制定においては国際法に合わせた内容とする。国際法に反するということは、文明国ではないと認めることに等しい。日本国憲法は国際法に合っておらず、野蛮な憲法とも言える。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑤ 平成29年2月12日 ~9条、国際法~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 人権規定は、並べ方を、マグナカルタから始まり(請願権)、ウェストファリア条約の信教の自由や、権利章典やアメリカ独立宣言やフランス革命などの歴史に沿ったものにした。
 フランス革命は野蛮ではあるが、その後の人権宣言で認められた財産権は文明の法として認められている。人は誰の持ち物でもないということであり、基本的人権である。
 日本国憲法は人権規定が帝国憲法よりも多い(人権カタログ)。しかし、生存権のように、単なる努力目標となり、守られているとは言えないものがある。守れないものは最初から書かないのがよい。また、思想良心の自由のように当たり前すぎることも書かなくてよい。
 家族の尊重や環境権は盛り込んでいない。教育勅語の内容を盛り込もうとするのは論外。なんでもかんでも条文に盛り込もうとする発想自体が日本国憲法に冒されている。憲法典に書くのは裁判規範であり、教育勅語は裁判規範ではない。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑥ 平成29年2月12日 ~人権~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 「国会」は「議会」に名称を改める。
 「国会」というと、法律を審議する立法府という意味となる。「議会」はそれよりも広い。
 「議会」はイギリス型の発想であり、帝国憲法もそうだった。
 立法・行政・司法の三権がきっちりと分立しているのはアメリカくらいのもの。トランプ大統領の命令を裁判所が差し止め、議会与党は大統領と対立する。三権分立は実は不安定な欠陥制度。
 議会政治および近代憲法の母国のイギリスは「権力融合」を行っている。イギリスの総理大臣は衆議院選挙で決まり、衆議院と内閣が一体化している。トニー・ブレア首相が変えてしまったが、最高裁は貴族院であり、司法と貴族院が一体化している。行政権を持つ衆議院、司法権を持つ貴族院、そしてその上に立つ国王をまとめて議会という。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑦ 平成29年2月12日 ~国会、議会~」 YouTube2017年2月22日
 
 内閣に関してはあまり変えることはない。
 帝国憲法には内閣の規定がない。内閣官制という法律が憲法同様の役割を果たしており、新たに内閣の規定を設ける必要がなかった(※ 内閣官制の法的性質につきhttp://www.kurayama.jp/post.php?id=660)。
 日本国憲法では、日本側主導で確認のために条文化したものであり、改正する必要性は低い。
 条文は十分なのだが、衆議院の首班指名で選ばれた人が総理大臣になるということさえ守っていれば何をやってもいいという運用が困りものだ。
 本来は過半数を取った第一党の党首が総理大臣になるという趣旨だ。しかし、そういう政党がない場合に混乱する。イギリスでは第一党が過半数を持っていない状態を絶対多数党不在議会(ハング・パーラメント)という。そしてこの状態は、「革命に近い状況」(シチュエーション・ニア・ザ・レボリューション)と呼ばれる。
 イギリスでは慣例が蓄積されているのだが、日本では誰だかわからない人が総理大臣になってしまう。細川護煕は第5党の党首だったのに総理大臣になった。これでも日本国憲法の条文には違反していない。その後、自民党が社会党と野合して第2党の党首だった村山富市が総理大臣になってしまった。これも合憲だ。ちなみに戦前では合憲だったら何をやってもよいというわけではなく、「非立憲」と呼ばれた。
 条文というより、「憲政の常道」を守ることこそが重要である。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑧ 平成29年2月12日 ~内閣~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 司法について、「維新」が憲法裁判所の設置を主張をしている(https://o-ishin.jp/election/sangiin2016/pdf/manifest_20160603.pdf)。
 憲法に関する判断は通常の最高裁判所ではなく、憲法裁判所で行うということのようだが、誰をどうやって選ぶのかがわからないと、賛成とも反対とも言えない。
 最高裁の判断1つで、自衛隊も日米安保条約も違憲無効になり得る。それくらい司法は絶大な権力だ。内閣法制局が憲法解釈を握っているのが実態ではあるが。
 憲法判断は政治なので、裁判官にさせるべきではない。
 また、裁判官が自己の良心に従って個々の事件に向き合える改革が必要だと言える。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑨ 平成29年2月12日 ~司法~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 「財政」は「会計」と名称を改める。「財政」だと金融が含まれない印象がある。
 「健全財政」を書き込もうとする保守がいて困る。健全財政の定義自体が不明確であり、また、たとえば飢餓に対応するのに借金が必要になる場合など柔軟に対応できなくなるおそれがある。
 憲法典には書く必要のない文言だ。
 なお、財政法には書いてある。現状でも財務省の増税圧力に苦しめられているのに、憲法に書き込んだらもっと苦しめられる。大蔵省は戦前は一番の愛国官庁で、コミンテルン(共産主義者)を相手に戦っていたのだが、今の財務省はただの増税省に成り下がっている。
 わが国の国体は仁徳天皇から始まる。古事記の上巻は神話、中巻は伝説、下巻は仁徳天皇に始まり、歴史が書かれる。「民のかまど」の精神は憲法論議にも必要だ。民が苦しい時に増税などしてはならない。これを抜きにして憲法典に「健全財政」を書き込むのは逆賊だ。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑩ 平成29年2月12日 ~財政、会計~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 「地方自治」は全面削除とする。
 道州制を主張する人もいるが、府県と市との間に生じる問題など、地域によって様々であり、一律にできない。
 そういうことを憲法典に規定するべきではない。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑪ 平成29年2月12日 ~地方自治~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 「最高法規」が、日本国憲法の後ろの方に書かれている。
 日本国憲法前文は論評に値しないほどひどいものだが、最高法規姓を書くならば前文。
 前文は天皇陛下のお言葉であるべきだが、右翼のレッテル貼りをされるだけで話を聞いてもらえない。前文を置かないというのも1つの考え方であるが、和田正宗参議院議員は五箇条の御誓文(またはその現代語訳)を書くという提案をしていた。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑫ 平成29年2月12日 ~最高法規、前文~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 日本国憲法を誤植を含めて一字一句守りたい護憲派、とにかく条文の変わるところが見たい改憲派。いかに不毛か。
 これは憲法論議ではなく、憲法典論議である。
 国防努力にしても家族にしても、法律や予算の問題を憲法に持ち込んではいけない。
 自主憲法とは何か。
 自分が日本国を背負って立つ意味で、正しい意味での上から目線で、みんなが考えてみんなが決めて、そしてみんなで守っていく憲法。これが自主憲法である。
 
 
「【倉山満】日本のこころ講演会「自主憲法とは何か」⑬ 平成29年2月12日 ~まとめ~」 YouTube2017年2月22日

 

 
 以上で講演は終わり、質疑応答の時間が設けられた。
 今まで参加したイフコンでも質疑応答の時間が設けられたことがあり、質問の手がよく挙がっていた。また、倉山氏は次から次に本を出す人気の言論人だ(https://office-kurayama.co.jp/20170214003304)。
 質問の手があちこちから挙がるに違いない…、と思いきや、ほとんど挙がらなかった。というより、私の他に1人しか手を挙げなかった。
 その1人というのが、演説をしてしまう人だった。どうして毎回こういう人がいるのだろう。
 私はいくつか質問したのだが、そのうちの1つに内閣の衆議院解散権に関するものがある。条文に固執した憲法”典”論議だと感じた人もいるかもしれない。なぜこのような質問をしたのか、背景をここに書いておく。
 たちあがれ日本の改憲案の中に、内閣総理大臣の衆議院解散権の明記というものがあった(https://youtu.be/HxGURBmPdF0?t=5m10s)。これが印象に残っていた。今回の講演では内閣の規定は特に改正する必要がないとのことであったが、解散権はどうするの?と気になったのである。事後的に確認したが、日本のこころのHPには、「「たちあがれ日本」当時から、6年近くにわたり、「自主憲法草案」作成の作業を続けてきた。」とも書いてある(https://nippon-kokoro.jp/election/san2016/constitution/)。この党特有のこういう事情が背景としてあった。
 倉山氏の回答は、内閣が解散を実質的に行うという慣習が成立しており、現行規定でも問題ないというものであった。
 今回の講演では天皇条項について解説があったが、帝国憲法にあった「万世一系」の文言が聞かれなかった。尊皇話に声を上げて拍手をしていた人など、この点に疑問を持たなかったのだろうか。他の誰かがこの点について質問するだろうと思っていたのだが誰も質問しなかったので最後に自分で質問した。
 倉山氏は「テクニカルだけど重要な質問」と評価してくれた。なお、党内の議論の状況に関する話であり、この場だから言えるとのことであったので、どういう回答だったかは伏せる。
 他にも質問したのだが省略する。
 帰宅後、SNSで議論してみて、こういう質問をすればよかったと思うところもあった。
 今回の講演では「地方自治」の次に「最高法規」が論じられたが、日本国憲法ではこの両者の間に「改正」の規定がある。憲法改正の要件の緩和は自民党の改憲案の有名な論点だと言える。また、日本国憲法の改正の要件は帝国憲法のそれと内容が異なっている。さらに、国民投票は国民主権原理とも関わってくると思われるが、倉山氏は確か長谷川三千子氏との対談で国民主権原理を「怖い」ものとしていたはずだ(http://qq4q.biz/BQrC)。
 憲法改正手続きを定める96条の改正について質問してみてもよかったと思う。あの場ではそこまで考えが及ばなかった。
 という具合に、疑問というのはいくつも浮かぶものだ。
 質問の手が挙がらなかったのは意外であった。
 今にして思えば、倉山氏の憲法論に慣れていなくて質問できるほど考えがまとまらなかった人と、倉山塾に入るなどして倉山氏の憲法論に慣れていて質問することがなかった人と、両極端な人がほとんどだったのかもしれないし、また、年配であればあるほど、疑問点があっても自分より若い者に質問するのが気恥ずかしくなるのかもしれない(血祭さんも質問しなかったが、血祭さんの質問事項を私が質問したため。)。
 
 懇親会にも参加してみた。見ず知らずの保守系の人たちとの飲み会に参加したのは今回が初めてである。
 今回の懇親会は私にとって悩ましいものになった。何をどこまで書いてよいものやら。
 参加してみて実感したことは、思った以上に皆考え方がバラバラなことだ。この党のこの講演会に参加する人たちの間ですら考え方がかなり違う。
 インターネットの発達によって誰でも情報や意見を発せられるようになったが、いろんな人に声を届けるのはなかなか難しいのだろうなと、改めて思った。この集団内ですらこれだけ考え方がバラバラなのに、この集団の外に情報・意見を届かせるのは難しい。
 倉山氏と話す機会を得られた。話してみて、私には予想外のところがあったし、隔たりを感じるところもあった。具体的にどのような話をしたかは伏せるが、倉山氏の、相手の言うことを否定する論法が気になった。気難しい。弁論部流のやり方なのだろうか。知識・経験が豊富な倉山氏のことだから何か意図はあるのだろうが、私にはよくわからなかった。
 かつてこの党に所属していた和田正宗参議院議員と田沼隆志前衆議院議員がチャンネルくららにおいて「次世代の党」から「日本のこころを大切にする党」への党名変更を批判していたが(https://youtu.be/ExE0D11cAG0?t=4m10s)、倉山氏も同様であった。講演の中で「次世代の党の票が共産党に流れてしまったことを反省すべし」という話が出ていたが(https://youtu.be/3_eFK4YTD2M?t=7m48s)、なんとなく共産党(や民進党)に投票してしまう人にも通じる言い方で我々の言わんとするところを伝えていかなければならないということを倉山氏は言っていた。が、倉山氏の言い方がキツくて、口論になってしまう人もいた。倉山氏が言うこともわかるし、倉山氏に反発したその人にもアマいところがあったとも思うが、相手に通じる言い方をせよとしながらその言い方はどうなのかなぁ、と思うところもあった。
 倉山氏と話していて、党に厳しい意見も出た。私からも出した。それを党の地区委員のある方がじっと聞いていた。凡百の「保守おやじ」であれば怒りだしてしまうところであろう。志のあるしっかりした方がこうやって党を支えているのに、上に立つ人たちは何を考えているのだろうか。
 血祭さんは流石で、倉山氏に実力を認められているようだった。
 
 
※ 血祭謙之介ブログ
※ 血祭謙之介ツイッター
 
 
 今回の講演内容の全てに賛同する必要はない。
 これが国民の間で憲法論議を深める助けとなることを願う。
 「維新回天」の気概を持ちつつ「作戦」を持ち、自主憲法制定に向けて歩みを「進」めよう。(https://plus.google.com/+BJ24649/posts/en7r84mzE66)。