【小保方論文】「さっさと過ちを認めろ」という悪徳と矛盾【袴田事件】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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「2014/04/09 ザ・ボイス 高橋洋一 ニュース解説「小保方晴子氏 会見。『不正』認定に反論」「自民党・石破幹事長 渡辺喜美氏の8億円問題に言及」など」YouTube2014年4月9日
https://www.youtube.com/watch?v=R-FigiqWb5s

≪取り上げたニュース一覧≫
小保方晴子氏 会見。「不正」認定に反論
自民党・石破幹事長 渡辺喜美氏の8億円問題に言及
安倍総理 集団的自衛権の限定容認を明言
TPP 日米閣僚級会談始まる
米中国防相会談 尖閣諸島めぐり激しい応酬
欧州復興開発銀行 ウクライナに490億円を融資
2013年度 上場企業の倒産件数ゼロに



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 小保方論文については、私はさっぱりわからないが、学術的な作法に則った議論が行われ、生物学の研究がさらに進展すればよいと思う。
 しかし、高橋洋一教授の話を聞くに、マスメディアでは、作法に則っていない放言が多数行われているとのことだ。

 つまり、最先端の研究の正しさなど、半年やそこらでは明らかにはならない。
 そして、当該論文に誤りがあると考えるのならば、論文の取下げを求めるのではなく、反論の論文を書けばよいのである。発表者自らが誤りを認めるのであれば、訂正すればよいのである。
 誤りが発見されるたびに論文を取り下げていては、科学の発展などなく、誤りが含まれているその論文を批判して、さらに研究を積み重ねればよいのである。当該論文が維持できないほどに誤っておれば、そのうち淘汰される。
 ところが、マスメディアを見るに、誤っているから取り下げろという論調である。

 感覚的には、てめぇらが誤報を垂れ流しておいてよくもまぁいけしゃあしゃあと他人に誤りを認めろなどと言えるものだ、などと思うところではある。
 消費税増税が決まっていない段階で、決まったという既成事実化を図る誤報を垂れ流したのはマスメディアである(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11621738073.html)。
 あらためてマスメディアの厚顔無恥が思い起こされる。

 そういえば、先日、袴田事件の再審が話題になった(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140327/trl14032710130001-n1.htm)。
 これをもって死刑廃止だと浮かれているマスメディアを見ると、こういう奴らこそ死刑にしたいという感情に駆られる。
 それはそれとして、袴田事件で問題になっているのは冤罪である。
 冤罪が起きる典型は自白事件である。
 「自白は証拠の女王」と呼ばれるが、自白の証拠力は強い。
 ウィキペディアを見たところ、袴田事件でも自白が行われたとのことである(http://p.tl/YMoJ)。
 自白は、時として、捜査機関の「さっさと犯罪を認めろ」という圧力に屈して、意に反して行われることがある。
 私は別に、「さっさと犯罪を認めろ」という圧力を全くかけてはいけないとは言わない。被疑者と紳士的に接するばかりでは、治安の維持などできない。
 人権保障は重要だとしても、治安維持の観点から、事件の性質によっては、圧力をかけることもやむを得ないと思われる。捜査機関とはそういうものだということを、国民の側としても認識しておくべきである。

 さて、私も大して確認しているわけでもないが、マスメディアでは、袴田事件について、捜査機関を責める論調が多数派だと思われる。
 そして、自白の存在する冤罪事件を問題視するのならば、「さっさと犯罪を認めろ」という圧力には批判的であって然るべきである。
 しかし、小保方論文問題を見るに、マスメディアの態度はどうだろうか。
 小保方氏に「さっさと過ちを認めろ」という圧力をかけまくっているように見える。
 これは冤罪を生む構造なのではないか。
 私はここに、マスメディアの悪徳と矛盾を感じる(矛盾した態度そのものが悪徳ではあるが)。

 「さっさと過ちを認めろ」という感覚は、実際のところ、日本人に広く存在する感覚だと思われる。
 マスメディアの小保方論文問題の追及は、庶民感覚に沿ったものではあると思う。
 しかし、私は、この感覚に違和感を覚えるのである。
 似て非なる態度を混同しているのではないだろうか。

 自ら進んで過ちを認めることは、ジョージ・ワシントンの桜の木の故事が示すように、気高く正しい態度である。
 しかし、他人に過ちを認めろということはどうなのだろうか。
 真偽が不明で、反論の余地がある段階から、過ちを認めろと圧力をかけるのは、正しい態度なのだろうか。
 過ちを認めるというのは、自ら進んでする場合と、他人が圧力をかけてさせる場合とで、道義的に全く異なるのだと思う。
 自ら進んで過ちを認めるのは美徳だが、他人に過ちを認めるよう強要するのは悪徳である。

 なお、真実に反して、してもいない過ちを自ら認めることは、美徳ではない。このような虚偽自白が冤罪を生む。
 朝鮮人慰安婦の強制連行は事実無根であるのに、これをしたと認めた河野洋平の河野談話は、虚偽自白であり、日本を罪人にする冤罪事件であり、悪徳の所業である。
 悪徳は批判され、淘汰されるべきである。
 しかし、マスメディアには、この悪徳を守ろうとする勢力が強い(参考までに、「『放送法を守らないマスコミについて①』杉田水脈 AJER2014.4.9(3)」https://www.youtube.com/watch?v=Hx02cuSdu9Y)。
 ここにもマスメディアの悪徳と矛盾を感じる。
 そもそも、慰安婦強制連行を捏造したのは朝日新聞なわけだが(「ジャパニズム 17」(青林堂、2014年)12ページなど)。

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 STAP細胞の存否はわからない。
 いまだに、第三者機関による追試の成功例がない。
 そこで私が思い出すのは、野口英世である。
 といっても、私が読んだ野口英世の伝記は、絵本と漫画であるが。

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 野口英世は、福島の貧農の出身で、学歴がなかった。
 伝染病研究所に所属するものの、居場所がなかった。
 そこで、渡米し、ロックフェラー医学研究所に所属する。
 野口英世は、トリポネーマ・パリドゥム(梅毒スピロヘータ)の純粋培養に取り組む。
 そして、成功する。
 しかし、追試は皆失敗だった。
 野口英世の実験技術は人間離れしており、他の研究者には再現ができなかったのだ。

 おそらく小保方氏が野口英世のような超人的技術の持ち主であるということはないだろう。
 しかし、追試がなかなか成功しないことなど、過去にも前例があるということは知っておいてよい。

 なお、野口英世は、数々の発見をし、論文を発表するが、死後、その研究業績は次々と否定されていくことになる。
 狂犬病と小児麻痺の研究は淘汰された。

 野口英世は、西アフリカで黄熱病の研究の最中に黄熱病に罹ってしまい、命を落としたことがよく知られている。
 実は、野口英世は、その前に、黄熱病の病原菌を発見したと発表し、黄熱病予防ワクチンを開発し、1924年、フランスからレジオン・ド・ヌール勲章を授与され、翌年にはアメリカからコーベルメダルを授与されている。
 しかし、その2年後の1927年、エイドリアン・ストークスというイギリス人研究者が、野口ワクチンは効かないという論文を発表した。
 そして、エイドリアン・ストークスは、黄熱病で命を落とすのである。
 そこで、野口英世は、西アフリカに向かったのである。
 そして、野口英世は、従来の自説を捨てて研究する。

 野口英世を思い返すに、追試がすんなりと成功するとは限らないし、研究結果発表後に何年も経ってから誤りに気がつくこともあるとわかる。
 最先端の研究とは、そういうものなのだ。

 野口英世は、千円札の図柄になっている。
 消費税が増税され、お金の大切さが増している今日この頃であるが、小保方論文問題を契機に、野口英世の人生を振り返ってみてはいかがだろうか。