ケータイ小説風実話系「悲しい話」っぽい内容になるかもです。また、おそらくえらい長文になります。
苦手な人はスルーしてください。
「17歳~君がいた夏」という映画を撮りました。
「時空警察ヴェっカー」の第1作めの主演天野めぐみさんを主演に、「ダイレンジャー」の和田圭市さんや「平成ウルトラセブン」のあだち理恵子さんらが出演している…自主製作映画です。
自分の17歳の時の体験談を元に映画化したものですが、今観直すと、いろんな意味で恥ずかしい。事実を元に映画化したという割りに美化されすぎていて、もしかしたら一番大事なものがボヤけてしまっているかもしれない、という風に見えます。
単にフィクションとしては、意外によく出来た映画だと思うのですが…。
17歳の時、一番好きだった女の子が、突如この世を去りました。
事実はこれだけです。映画の中で描かれている「事実」も、ほとんどこれだけです。僕の部屋の再現とか、ディティールは意外に事実に近いですが。
僕は彼女の死後、ずっとその面影…幻影を追っているのかもしれません。
自分の作品のほぼすべての作品の主人公が16、7歳の女の子(「ヴェッカーシグナ」は違いましたが、「ハイペリオン」で17歳になりました)なのは、実はそういう理由なのでしょう(だいぶ後になって気付いたんですが)。
永遠に17歳で時が止まった人の幻影を追い続けている…というとカッコよすぎますが、それから人を好きになるのが怖くなったのは事実です。
石ノ森先生が遺された言葉にこんなのがあります。
「人は人を愛する程、別れが怖くなる。「死」が怖くなる」
「彼女」がこの世を去って25年経ちました。
あまり美化せずに、当時の事をもういちど振り返ってみたいと思います。
彼女、Kさんは東北のある街に住んでいる高校生でした。
自分も京都に住む高校生でした。
僕らは某誌の「文通欄」で知り合った、いわゆるペンフレンドでした。
このへんからして映画の設定と違います。
そして僕らは揃ってアニメオタクでした。
僕も前の記事に書いた通り、その頃はまだ「特撮」に目覚めておらず、アニメのほうが好きでした。
僕らの間で盛り上がってたのが「バルディオス」であり、彼女の方は「ゴッドマーズ」命でした。
最初の1年ぐらいは、そんなヲタ話ばかりしてました。それでも殆ど毎週(週に2回ほど)手紙のやり取りをしていたし、自作の小説や漫画なんかも送ってました。それに彼女がイメージ曲をつけてくれた事もあったな。
はっきり言って、僕の「創作」の原点はここにあり、たった一人の読者の為に、毎回勉強もせず、頭を捻ってたもんです。
1年目ぐらいまで、お互いの顔も声も知らなかったんですが、その頃すでに自分にとって彼女の手紙は生きる支えになってました。
そしてその頃からやっと写真(コスプレ写真でした)送りあったり、意を決して長距離電話したりし始めました。公衆電話で、高速でジャカジャカ小銭が落ちていく焦燥感は、あの頃にしか味わえないでしょうね。
そして、ついに初めて会ったのは(晴海だった)コミケ会場!でした。
でも、その時は、ほとんどオタクの世間話しか出来なかったですね。
それから、彼女に会ったのは2回だけです。(しかもそのうち1回は確か「ゴッドマーズ」のイベントだった。二人で前日の深夜から並びました)
でも、僕らはその頃から、本気で愛し合っていた。おそらく想像を絶するぐらいに。
エッチどころか、キスもしてないけど。
高校3年になり、僕らは揃って上京しようと決めました。
そして……一緒に暮らそうと。
なんか、段階飛びすぎに感じますか?その頃僕らは、一刻も早く一緒になりたかったんです。
僕はアニメーターになる決意をし(ホントは漫画家になりたかった)、彼女は声優(に当時は特化しなかった。女優さんになろうとしてたと思います)になるべく、ひとまず就職しようと決めた。
その頃は、どんな事だって、親にも兄弟にも親友にも相談できない事を何でも話し合っていた。
もう、後半はメロメロに甘甘な内容でした。
僕らはお互いの妄想力でお互いを美化し、「心の恋人」にしてたのかもしれないけど。
そしてその日は突然、本当に突然やって来た。
高3の夏の日、コミケ前でした。彼女と会う約束をしていた僕は、100円玉をいくつも持って、公衆電話へ出かけた。(家からかけると物凄い電話代に親が激怒したから。親の居る居間からは話しにくい内容になっていたしね)
おばあちゃんが出た。何度か話した事もある。
「Kはね…今日、朝から起きてこなくて…」
突然死だった。いきなり心臓が止まった。「そんな事あるか!?」と思うでしょうが、本当です。
心臓に疾患があったなんんて聞いてない。いや、そんなのは無かった筈。
「カズくん(畑澤です)と会えるのを楽しみしとったのにね」
「そんな事、あるか!!」
その時はたまらずすぐ電話を切って、「もしかして、(交際を知って)騙しているのか?」とさえ思い、何度も電話しました。お父さんとも、お母さんとも話し……「それ」が事実である事を思い知らされていくのです。
「こんな夢を見ました。真っ白なウエディングドレスを着て、カズくんの隣で、うつむいているわたし。顔を上げると、いつも通りぶっきらぼうなカズくんがいました。その時、あなたはどんな事言ってくれたのかな?」
最後の手紙の一文です。
デロデロ甘甘な感じですが、Kさんは、生徒会副会長なんかを務め、(自分もやってましたが)活発で、仕切り屋さんで、男勝りな女の子でした。
それから……僕は学校へも行かず、ただ、24歳で上京するまで、ただ生きているだけに生きている時間を……約5年間続けました。
あんなに好きだったアニメも全く見なくなり、かわりに、より過去への憧憬と共に昔の「特撮もの」にハマっていったんだと思います。
すいぶん年上の人とつき合ったりもしました。
25年経って…なぜか心臓を患い、彼女の夢をまた見るようになったこの頃。
でも、もう彼女の顔をはっきり思い出せない。
何枚かしかなかった写真ももう手元にはないから。
彼女と実際に一緒にいたのは、トータルしても、ほんの5日間ぐらい。
映画と違って、実際に会ってる時間が少なかったからこそ、幻影になっているのかもしれない。
今になって、彼女は本当は生きているのかもしれない、とも思う。でも今、42歳の彼女に会って僕はどうするのだろう?とも思う。
あのまま上京して、同棲して…それからどうなったのか…すぐ喧嘩して分かれていたかも知れない。
…そんな、いろんな事、やっと考えられるようなりました。こうして、脚色なしの「事実」を書けるようになりました。
美しいままの思い出だから、いつもでもそれに縋っているのかもしれないとも思います。
それにしても、なんで今になってまた彼女の夢を見るようになったんだろう。
彼女が会いたがっているんだろうか?
美化しすぎた映画に不満があったのかもしれない。
だったら文句言ってくれよ。
でも、君はもう僕の思い出の中(そして君のご両親やお友達の中)にしかいないじゃないか。
君に何かを尋ねても、何も答えてくれないじゃないか。
君の夢の中で僕が君に言った言葉は何だったのかって…?
それは、「ずっと一緒にいようね」に決まってる………じゃないか。
確かに今でも僕は君と一緒にいる。
この呪いはもうずっと消えない。
……なんて(笑)ケータイ小説風に終わってみたりして。
ペンフレンドとか、公衆電話の長距離電話とか、あの時代ならではのツールが出てきますが、今でもメールのやり取りや、長距離恋愛してる人もいるでしょう。
会(え)わない時の妄想が相手への愛情を高めるのはいつの時代でも同じ筈です。
2次元のキャラクターやアイドルに恋してる状況と似てるかもしれません。
そう思えば(?)少しは共感してもらえるんじゃないでしょうか?
もう彼女は僕の一部だし、僕が今も結婚してないのは、ただ単に婚期を逃した…というかモテないだけなんですけどね。
とっときの恋バナ(?)があったら、こっそり教えてください。