みんな、元気だそーぜ! どなたさまも人生はスバラシイ!  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
お金と愛、どっちが大事?  MoneyCigarettes ☂ネタ: 金か、愛か? どっちなんだよ?  参加中 
  
  
  いつ消えるか分からんサイト宣伝するより、 
  かみさんの肩でも揉んでやれ! 
  2008年 9月30日(火)23時23分4秒の、とある掲示板サイト より引用。 
  
という、それに応えてなのか… なにか己の半生に反省すべき点でもあったのか… 
10月14日の夜は 午前3時ごろから窓の外が明るくなるまで奥さんの胸を揉んで 
15日は畑へ植えるブロッコリーの苗を二人で買いにでかけ 
アメリカ$資本に振り回される世の中でも 
不況にめげないバンソウコウです。 
    
      flicker   
    
んで、今日。(というか昨日。) とても うれしいことがあった。 
    
蔵元での仕事は徐々に酒づくりモードへ入り 
新潟原産の酒造米もゾクゾク入荷中! 
秋の刈り入れシーズンから新酒ができあがるまでは ほぼ一ヶ月。 
いちばん忙しい時期は12月中旬から 年明けの1月、2月にかけて。 
本来、米でつくる酒というものは冬場に仕込むもので 
俺がいま勤めさせてもらっている蔵元では 
およそ4000リッターのタンク 50本分を これから半年の間に仕込む。 
寒冷地での昔ながらの丁寧な酒づくりというのは だいたい、
酛づくり(酒母)にはじまって、
米と水と麹を数日かけてバランスよく仕込む添・踊・仲・留の、
四~五段階でモロミとして醗酵させるんだけど 
水温や気温によっての微妙な変化が毎年ちがうので 
同じ要領でつくっても機械的に整えられたような均一な味になることはない。
いわゆる寒仕込の地酒というものは 
税務署への届出で「清酒」という分類であっても 
瓶に詰められた中身は 呑む人が封を切ってグラスへ注いでる間にも 
生き物として様々に風味豊かで味わいぶかい香りや舌ざわりに変化する。 
    
といっても 酒が呑めない人には判らない世界の話かもしれないけど 
春の田植えから秋の稲刈の時期まで土泥水の上で育った稲。その米が  
精白という工程で磨かれて そこからまた、
澄んだ水と調和して何百時間かかけて酒になる。 
酒になるまで…酒という物質につくりあげられるまでが 
それを知らぬ誰かが瓶をあけて呑む時間より長い。 
    
これはねぇ、ホントに奥がふかい。 
俺なんて その作業工程において 
前日の朝、杜氏さんの眼によって丁寧に洗米された酒米が 
翌日の早朝に120度の蒸気で蒸されたものを釜から掘り出してるだけなんだけど 
冬場は ほぼ休みなく毎日のように蒸米を1トンちかく掘ってると 
たったそれだけの肉体労働で身も心も洗い流される想いがしてな。 
櫂棒とか溜め桶とか麻布とか いろいろな道具を水だけで洗う作業にしても 
夕方の麹室での切り返し(麹米用の蒸米を手でほぐして温度調節する)作業にしても 
その他すべての仕事…掃除ひとつ、単純作業は どこにもない。 
なんせ神聖な生き物あつかってる職種なので。 
するってぇと、なんだかねぇ~ 
「こんな人間に このような重要な仕事が与えられていて いいものなのか?」 
という、どんなに小さなことにも 
素直に気分が晴れ晴れさせられてしまうわけよ。 
俺の過去に なにがあったか? 
ということは もうどうでもいいくらいに。 
    
そうしてそうして夕方、海の向こうへ陽が没むころになって 
晴れ渡る夕焼け空の下を軽トラックで帰っていくわけ。 
お天気わりぃ日もあるけど ほぼ毎日毎日。 
    
    
かつて、2002年の7月。家族3人で島へ渡ったときには 
まさか酒づくりに携わるなんて想ってもいなかった。 
仕事なんて あれば… そこにもしもありさえするなら なんでもいい。 
もう何も やりたいことなんてなかったよ。 
親子3人で元気に生きていけりゃぁいい!って 単にそれだけだった。 
36歳になる前。 
残りの人生はもう なにがあっても ぜんぶオマケ。 
そこにカネも地位も名誉も財産も なにも必要ない。 
ただ、子供が一人いて その存在が 
いつか自分の力で生きて行けるようになるまでは 
食わせていかなきゃならない。 
なので 妻の実家で朱鷺が舞い降りるはずの田んぼを眺めながら 
のんびり余生を過ごすなんて感じの、
世間にデッチアゲられデキアガッタ人間にはなることなく 
職安へ行ってみた。 
それでも この島に 
俺がやれる仕事なんてねぇだろ…てな気持ちでな。 
    
でもって いくつか求人票めくってると 
「酒蔵の営業」ってのがあった。 
「給料は能力に応じて」という但し書きは添えられていなかったものの 
それらしい書き方で 人間の可能性を期待させる金額が提示されていた。 
結局、それだけ見つけて 実際に面接したのも一軒。今の蔵元だけだった。 
最初は 酒の配達で島内の地理も覚えられるな…くらいの軽い気持ちだったよ。 
あとはない。 
何年間も払いつづけた借金も ほとんど納めおわってたしな。 
なにもないので身軽だったわけ。 
面接の日。7月の暑い日だった。 
社長と奥さん(副社長)がいて、ほかに常務が目の前に座ってて 
いくつかの質問に応えて 
「あと一人、営業部長に逢ってからね!」 その日は出張中だったので。) 
ということで、その二日後だったか。部長に逢って即答で採用。 
「明日からでもいいです。」 
7月21日からの出勤だった。
酒は好きでも飲む専門だったので 酒については何ひとつ知らない頭で。 
    
その頭を下げるなら どんなことでもできるし 
頭を下げたあとに 「ありがとうございます」という言葉を自然に 
心の底から口に出せるなら 人間なんとかなる。 
何もないヤツが何か在るフリをするから その心にも身体にも無理が祟る。 
    
かつて 芝居やってたおかげか 
俺自身は どこへ行っても なんにでもなれる人間だったので 
やりたくないことを 
やりたくなるようにするという創意工夫も いろいろ身につけていた。 
    
それでもなぁ。 
人間には どんなことも向き・不向きってことがある。 
そして そういう言い訳とは別に 
自分なりにやってみて 
自分では一生懸命やってるつもりでも 
できるヒトできないヒト が常に比べられる世界では 
できるヒトにとっては できてアタリマエの場合と 
できないヒトからできるヒトへ育てようとする苦労や努力家と 
できないヒトが中途半端にやったことの尻拭いをするヒトがいる。 
そして、「できません」「ごめんなさい」って言葉を素直に吐き出す余裕もなく 
できないのに出来るフリをするから 
できない人の失敗は その失敗する前の段階で既に 
大勢の人間に迷惑をかけてしまっていることになる。 
家族でも お客様でも なんでも。 
それでいて世の中には今 自分の間違いや嘘を 
あとからまた体裁みつくろって言い訳こねるのも多い。 
    
結論としては できないなら 自分ができそうにない気がするなら 
最初から やらなきゃいい。 
自分にできることから ひとつひとつ片づけて 
「ああ、今なら大丈夫かな。できるかも…」 
って気づいたときに やりたいようにやってみる。 
「やらせてください! おねがいします!」って気持ちの芽生えが
そいつの中でホンモノかどうかは そのときに 
そいつ自身が いちばんよく判ってんだ。 
    
だけど俺の場合は やっぱ向いてなかった。 
売り上げという数字に追いまわされる毎日と 
与えられた仕事が在るってことに感謝する気持ちが 
ある日を境に結びつかなくなっちまった。 
    
でもって突如、「辞めます!」ってことで 
2005年の6月28日の朝、いったんは出勤した会社から 
歩いて帰っちまったんだ。 
家族を養う約束とか責任も 即日即行!すべて放棄して。 
迷惑1000番。 勝手な野郎だ。 辞表は翌朝6時前に社長のデスクへ置いてきた俺。) 
人類の敵だな。 
    
ところが、そんな扱いにくい俺というヤツを 
蔵元の杜氏さんは 
以前に何日か試しに蔵の仕事場へお邪魔しただけなのに 
「どうせヒマなんだから オレたちの仕事を手伝え、話つけてやるからよ。」 
ってことで、その秋から再び元いた会社へ呼び戻してくれた。 
    
そんなことってあるのか? 
自分でも信じられない話だけど 
何ヵ月かアタマひやして 
妻の実家の稼業が農業稲作メインでも 
働き盛りの妻子ある男がヒキコモリ君として
田園地帯の一軒家に住んでるってのは 
よくよく考えてみて いま風のような感じがしても 
ベストセラー作家の先生でもないかぎりは毎日が退屈で仕方ない。 
たしかに 俺は世間の目を気にして生きたことは一秒もない。 
…いや、一秒くらいはあるけど そんなの10分と もたない。 
気にしないというより、気にならない。 
世の中の誰が いつ どこで 俺のことをどう想っていようと 
それは長い人類の歴史の中で一瞬のことでしかない。 
「どうだっていい」 というより 
親兄弟も含めて他人が自分のことを心配してくれたりすることに 
気持ちが通じるまで時間がかかるのかもしれない。 
簡単にいうと愛がないってことなのか? 
…ああ、それも違うな。 
そういう解釈の仕方は俺の中から出た言葉や俺の思いではないっス。 
そんなの。 
他人が他人を見て勝手な解釈で一人の人間を 
「オマエは こうだ!」と端的なツモリの言葉に当てはめたり、
簡単に決めつけることは絶対にできない。 
そんな人間は一人として この世にいないんだ。 
どこにいる? いねぇじゃん! 
    
なので 本人のいないところで 
「アイツは こういう奴だ」って決めつけることなんて もってのほかだ。 
そう言った人間の成長は そこで止まる。 そこで完結、完成される。 
いったんデキアガッテしまって、ホントなら 
それ以上に向上できるはずの自分自身という人間の意識を
自分で低下させてしまうことになる。 
そこに肉親へ対する感情やトラウマが絡みつくなら尚更な。 
    
    
だけど俺は ここで今、自分の見たまま感じたままに書く! (なぜに?) 
決して決めつけるわけではなく、
    
       バンソウコウ・モードで 
    
       キメル! 
    
いくぜ! 用意は いいか? 
わけぇネェちゃんはカラコンはずしてくれ! 
俺は今、#330066 のフォントで書いてるんだ。 
白地に黒だと 長文は目がいたいだろ。 
安心してくれ。今んとこは まだ 
あの日のような WRITING HIGH には至っていない。
 
    
    
そういう程度の低さが今の日本の国会議員や その他の政治家さん、
ジャーナリストや評論家にも 学識経験者という肩書の汚エライさんや
各種学校の先生日教組ふくむの仲にも たくさん存在する。 
オマエにも やればできる? 嘘いうな。 
やってもできないヤツには できない。  
    
たとえば 小学校2年の2学期を過ごす俺の息子は 
「算数の時間はボクにとって悪魔だよ!」 
いっしょに風呂へ入っていて そのように訴える。 
んなら、やらなくていいよ。そんなの。 (俺) 
限界集落に近く山岳地域の過疎地なので 
2年生と3年生あわせて12人という、変則的な複式学級に押し込められ 
国語と算数の授業時間が同じ箱の中で仕切られる。 
それでも 担任の先生に学問を学ぶ愉しさを教えられるだけの魅力があるなら 
子供が真剣に そんな言葉を吐くこともないかもしれない。 
いや、先生が兇いということではない 。 
向き不向き。好き嫌い。見方・考え方。興味の持たせ方… 
そういうことを工夫したり、「ゆとり」がどうとかこうとか  
学習についていけない子供をどうするか?などと 
そんな穀潰しっぽい役人関係が騒いでる問題でもない。 
世の中には 訊かなくても教えられなくても 
何かのマニュアルに従わなくても 
物事を見ただけで分かるヒトもいて 
親でも学校の先生でも 
仰げば うっとうしい♪』 と謳われるどこの恩師や親方、師匠様の人生なぞるように 
見ても訊いても どんなに丁寧に教えられても 
解らないヒトは解らないし 
自分が今、生きていて重要ではないことは どれも  
今日の今、覚えたことも明日には忘れる。それは、その肉体の下半身の血液循環に問題がある  そして 
できないヤツには絶対にできない。 
それを できるツモリで できるフリさせて 
無理にやらせるから世の中おかしくなる。 
    
どんな仕事も勉強も学校の授業も 
机に縛りつけられる時間に身体を硬くして呼吸をこらえるほど 
それがその本人にとって 
なにひとつ愉しくもなく、苦痛であるなら 
そのあとに必ず肉体が病んでくる。 
当然だ。 
全身の筋肉の血液循環も酸素の供給も その流れを滞らせ止めてしまえば 
人間、生きることが困難になってくる。 
その心と肉体は 生きている間は誰もが同時進行にある。 だから  
頭上の空が晴れ渡っていようと 心に曇る雨雲は停滞中になる。 
    
そんな、お天気わりぃココロ模様で うつむいたヒトも
10年、30年、50年前より異常に多くなってきた日本社会。 
収入でヒトの価値や人生の善し悪しを判断するような程度の低さで 
努力した結果を給料明細と照らし合わせるような連中のご苦労も得て増えて? 
人は数字で割り切れるものでない …そのとおり! あなたは正しい! 
    
芸能でも音楽界でも企業だろうと起業だろうと 
数字に追いまわされる世界が兇いわけではない。 
他人を操ってでもカネ摑みたいヤツは 
とことん貪欲に自分の昇りたい場所を目指せばいい。 
儲けたいヤツは損も犠牲も覚悟の上だろ。 
だけど それが どうしても無理なヒトってのは無理することねぇんだよ。 
とくに 「今ここで なんとかしなくちゃ」ってときに 
とにかく馬が鹿に乗って走らされてる格好のひとつ覚えで 
反対派の顔つき気取ってるような 
目立とう精神まるだしのオバサン政治家とか (元・社会党の。) 
宗教の布教とマツリゴトがゴッチャな親父とか 
若い時から特定の思想に偏ってる鼻毛の伸びたオッサン。(池田組と赤組のことだよ。) 
あんたらの積みあげてきた宝の餅グサレ、鯖の生き腐れのような教育ってもんは 
もう今の時代の誰の生活にも、噛み合わないの。旧すぎる。  
そろそろ捨ててくれ。 
己の欲求不満解消だけでマツリゴトの現場に燻ってるだけなら 
茶の間で煎餅くってる主婦しかって観てないようなWIDE焼の御免テイターでもやっててくれ。
でないと ほかのみんな一般の民間人が迷惑。 
大勢の民が困ってる生活、苦しい人生に悩み荒んだ日常に虐げられているのに 
胸に輝かせた議員バッヂで同じ建物に雁首そろえていながら 
なにを氾濫してんだよ。 
誰かを悪者にして小さくまとまってるだけのグループ同士で 
干乾びた回転寿司みてぇなことやってんじゃねぇっつーの。 
どんなに汚く稼いだカネでもキレイに遣うなら許されるツモリが誰にあってもなくても 
学級の日直当番サボル感覚にちかく コソコソ裏金はじいてる連中つまみ出すのに  
もっと お互いに歩み寄って 認めあって 譲りあって 
今の自分に分相応、どんな仕事が向いてるのか? 
そういうことを解らないなら隣にいるヒトに素直に訊けないわけ? 
    
  無理すんなよ。 
    
いないでしょ。今の世の中に必要とされる国会議員に向いてるヒトなんて。 
スーツがパリっとしてるだけで それなりの風貌に見えても 
議事堂のトイレにある税金でキレイに磨かれた鏡、覗いて見てみ? 
そんな政治家らしい政治家の顔つきしてる人なんて 微々たるもんだ。 
掃除が趣味なら掃除しててくれ。パチンコ好きなら店員やっててくれ。 
だいたいにおいて… 省略  
その程度だ。 どの政党の代表格の面おがませてもらっても。 
ほとんどが。
もっと ちゃんと能力ある人間を あそこへ集結させるべきだろ。 
一致団結、結束力も硬く、柔軟かつ多角的な判断で 
迅速、丁寧に 国民の声をワカリヤスク仕事に反映できる人をな。 
    
ああ? ツラで決めるな? 
いや、決めるよ。 
ほかに判断材料がねぇじゃん! 
    
    
おっと、話の本線日本海! 航海さきに発たず…。 
今日は 俺について…だったな。 わりぃわりぃ。 
    
    
でもって 自分が人間として この世に生きるためには 
常に冷静沈着な俺は (どこが?!) 
今の蔵元の杜氏さんに救われて 今日の生活がある。 
    
    感謝! 蔵頭にも 社長にも 社長の奥さんにも感謝! 
    
ひと冬で創るタンク50本分もの量の酒の状態を 
いついかなるときも すべて把握していながら 
自身を含めて8人の職人の生活状態や健康管理にまで目を配り 
その日一日の仕事が翌日から翌々日、3日後、4日後、一週間後、一ヵ月後までつながって 
みんながスムーズに仕事できるように段取を組む。 
酒づくりのスケジュールに合わせた数十人の人間の生活のリズムを調節し 
センスよく バランスよく タイミングを計算することなく 
今日そこに存在する者に無理をさせない。 
材料ひとつ今そこに在るモノを最大限に活かして 
自分が納得いくモノをイメージしてから形にする。 
しかも、俺より若い。 
    
そんなスーパーな人間が この世に存在してしまっている事実もスゲェけど 
命はってる現場でヘマすると殴られる俺もすごい。 
仕方ない。馬鹿なんだから。 
    
つーことで、50歳から独り身でワールドツアーやってるような女性 が 
やはり常人には想えない存在 であったとしても 
人間、年齢や経験のアル・ナシとか、顔の善し悪しではない。 
なにか勉強して努力した結果でもない。 
すべてにおいて 自分がどこまで産まれ持たされた能力を発揮できるか? 
そこには 現代日本社会の常識や今の教育に噛み合わない法律やシステムがどうあろうと
目に見えない整然とした階級によって 
そこに その場所にいて 自分のポジションや役割が決定づけられる。 
そこへ属さないで自分自身から逃げるから 
次へ行く場所も定まらず 行った先で怪我をする。 
自業自得だ。 今の日本の国会議員ふくめて大勢の日本人が。 
    
    
して、そういう俺は つい最近まで 
30キロの袋入りの酒米を指定の倉庫の指定の場所へ 
15段ずつ積みあげるのに 
12段以上の場所へ持ちあげることができなかった。
つい2年前までは。 
去年は 14段までなら なんとかできた。 
そして今年。 今日は、110袋の米を3人がかりで 
蔵元のパレットの上へ積みあげ整える数十分間に 
2回も、15段の場所へ乗せることができた! 
スゲェ! やればできるぜ! 
    
ただし、なんの気の迷いもなく 
ある程度、心身ともに健全な状態を保ってる場合な。 
肺の呼吸も、それに伴う全身の筋肉に対する血の巡りも 
その日その時その瞬間の体調、その心身のバランスが
自分自身に無理のない状態を維持できていて 
そこに必要じゃねぇことを考えてない場合。  
そうじゃないときは 
どんなに頑張っても無理だ。そんなの。 
俺のようなキャシャな身体つきで 
なにを三〇㎏の重さを抱えて数メートルを何度も往復できるもんか。 
そんな頑丈に創られた人間じゃねぇっつーの。 
    
だけど やらなきゃならない。 
贅沢いってらんねぇんだ。 
ほかにやるヤツそこに いねぇし。 
やらないと終わらない。 
とっとと片づけないと次の作業へ進めない。 
    
そこでだ! 
とっとと片づけ、愉しく作業をススメルために いいこと想いついた! 
マルチな労働力を必要とされる老舗の蔵元では 
大型トレーラーから降ろすコメ以外にも 
いろいろと積みおろし作業もある。 
たとえば 
180みりりっとるのグラスタイプの瓶が新品で45本入ったケースを2000箱。
クルマの荷台から手運びで降ろす作業もある。 
トレーラーのアオリを上げた中に聳える段ボールケースの山。 
全部4人で運び降ろすにも数十分を超える。 
そのとき、箱が積んである荷台の向こう側の壁(トレーラーの反対側のアオリ)に 
ローリングストーンズ特集も掲載されているような『PLAYBOY』誌のグラビアに出てくるような 
プレイメイトの熱い姿のポスターとか 
いちばん星の運転席の後ろへ飾ってあるような悩殺ポーズの写真が 
荷物を退かして片づけると徐々に観えてくるように 
そこに貼ってありゃぁいい! 
するってぇと 各々の作業者は 
その先が観たくて観たくて おのずと次々に 精だして荷物を運び出すって寸法だ! 
    
ダメかな? 
女性作業員には向いてないかもな。 
    
てなわけで 
今日は、そういう うれしいことが いくつかあった。 
運搬車の荷台のポスターは妄想な。) 
    
    
    
    
    じゃぁな。