いつも本物の処へゆく。すると今度は向うからこっちを求めてくる。by Dennis Hopper | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

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青年は苛立った。
数学の問題が解けないのである。
 時は既に深夜二時を廻っていた。
表では、秋雨が残暑の夜を涼しく染めていた。
 青年は、頭を掻き毟ると、
突然 立ち上がり、両手で机を叩いた。
そして如何にも物欲しげに咥えていた鉛筆を手に取ると、
それを握り締め、力強く折った。
 彼は浪人の身で、歳の頃は十九。
その年の春、都内某有名国立大を見事に辷り堕ち、
単身で上京、都会の片隅のとある学生宿舎の一室で、
ひっそりと勉学に明け暮れる日々を送っていた。
 彼が煙草を覚えたのは、その年の梅雨に入って間もなく、
理工系志望の不合格者として二ヵ月間の絶望へ追い遣られての・・・・・・・・

   
   
   
   
   
     こういう出だしで はじまる物語。  
   
     コレ、なぁ~んだ?
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   下記のページにて、全文を公開してます。
   
   お気軽にアクセスどうぞ。
   
   
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10043614828.html
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10004966983.html
   badlife/entry-10002810756.html  Looping text  
   
   
   
   
   
   
   
   
なお、この内容は、1983年、
筆者が在学していた高等学校の校内新聞に掲載されたものを
1998年、筆者自ら一部 手を加えたものです。
原文には細部に渡り、ルビ・ふりがなを付けてありますが、
ネット上では省略せざるおえない状況にあるので、
必要最低限なもののみ、その読み方を【 】内に記述してあります。
そのほかの読めない、または読みづらい漢字、用語については
誠に恐縮ではございますが
漢和辞典(岩波がお勧め)等をご用意ください。
ちなみに タイトルおよび本文の書き出しから連想される太宰 治の “ソレ” とは
なんら関係ありません。(念のため)
   
   
   
   
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現在、この物語の映画化自主制作も可を考え、まずは、
“脚本化する”ことができる能力のある方を探しています。
同時に、全国での劇場公開を目標に
配給先とスポンサー、並びに製作会社とプロデューサーの方も含め、
監督、カメラ、照明、音声、衣装、美術、仕出し屋さん等の撮影スタッフ、および、
出演俳優登場人物6~8名のみ限定、オーディションにより厳選するの方、
有志で、この物語の “本編”化 実現を真剣に考え、取り組んでくれる方を探しています。
 
たとえ現実的に、個人のホーム・ビデオカメラで撮影し、
インディーズ映画として完成させるにしても、協力者が有志の協力者が必要です。
撮影後、映像も音声も完全に編集したモノを
「日本文学と映像芸術の在り方を問う!」という形で海外へ売り出すことを目標に…。
とも、考えております。目論見としては。
そこにもし、
「我こそは その技術にたけている」という、自信あふれる、無名な、(…ごめんなさい)
特に、そういう、映像編集に優れた能力をお持ちの方が一人、必要です。
とにかく、現時点の自分には(あますところなく充分に)色々と構想を練る力はあっても、
それを現実に形に顕せるだけの投資の余裕がありません。
何の準備資金も先行投資も、心の底から夢を実現したいと望むのなら、
無理に借金をしてでも、問題の対処にぶちあたるべきだ…とも思いますが、
正直、そんな“バクチ”を 自分の日常生活の維持を差し置いて、
誰にできるというのでしょうか? 
…莫大な財産を所有の、独りきり暮らしの資産家の方が、
他人の、その情熱や悪意のない野望実現のために、
道楽で「カネを融資する」と考えるようなことでもあるならまだしも、
そんな、「カネをドブへ捨てる」思いで、人を信頼するようなことができる、
心ある人が現実にいる…なんてことも、
限りなく100パーセントに近い、99パーセントで
「そんなヤツは世の中にいない」
と、思います。
(…この広い世界、どっかに一人くらいは 「いてもいいんじゃねぇか」とも思うけど。)
まず、いませんよね。ほんとうに。
一昔前なら、いたかも知れませんが、この日本にも。
とにかく、満足に言葉が通じない以上、
海外のエージェントや、インディーズ発掘家(?)と、
どうにかこうにかコンタクトを獲ろうにも、無理がある…。よな。
あるいは、
現状の日本に在住する外国人の方の中に、
たとえば、ピーター・バラカン氏のように、
現代日本人の言葉(心の声)がよく理解できて、
道楽で、他人の夢に賭けるだけの余裕をお持ちの人間が、
この世にはいない…というのが現実です。
 
でも、ネタはいっぱいあります。
(俺の頭の中からは限りなく湧き出てくるようになってる。今なら)
それを、「いつか、どこかで、誰かが…」ではなく、
今スグに取り掛かれる仲間がほしい。
ゆるぎない信頼と情熱を持ってして、可能性を信じられる仲間。
通り一遍の挨拶に終わるような言葉や理屈ではなく、
その一つの取り組みを真剣に、「自分の仕事」として考えられる人。
根気よく、粘り強く、
“今の俺”なんて人間より、遥かに愛情のある方。
社会的にも人間的にも健全で、
日々、本当の意味での人の世界の自由を知り、
なおかつ、現実社会の厳しさをも、とことんご存知の大人の方。
そういう人たちと「一つの仕事の取り組み」で協力しあい、
仲間になりたい。
 
あるでしょ、今の世の中にも。
存在するでしょ、そういう集団が。
ザ・ローリング・ストーンズ、4人組みの周辺とか、
ハリウッドの映画業界の表枠の外側とか、
その他まぁ、諸々の一般企業の中にも…。
 
 
夢は実現するために、理想は自分に勝つために…。
 
 
でも、今の俺には到底、無理だ。
そこへ到達するだけの地位や名誉、資産・財産もないし、
今の人間としての、こんな器じゃぁ、誰にも相手にされやしない。
それだけのリスクやハンディを克服しようにも、
日本列島の離れ孤島に住んでて、月に20万も獲れないような男には、
そんな弱っちい人間には誰もついてこないし、
「夢だけの話」に乗ってくるヤツなんて、いるわけがない。
 
「…お金があれば、この人に好きなことをさせられる」
俺の妻もよくそんなことを云ってくれる。
でも現実には、今の状態では絶対に無理だ。
第一に、人間として立派ではない。
今の俺のどこにある? 
俺を俺の親が育ててくれただけの愛情と同じように、
今の俺の自分の息子に対して、
この俺がどれだけの愛情を注いで、
それを子供である本人が、どれほど実感できているというのか? 
家族に対しても何をもってして、思いやりのある夫や跡取りとして生きているのか? 
無責任にもほどがある。
たった二人の人間すら、幸せにできやしない。
こんな男に何ができるというのか? 
 
と、このところ、
そういう葛藤じみた気持ちで頭の中がいっぱいになっちまう。
胸の中いっぱいに、現実の自分の不甲斐のなさが充満する。
どうしようもない。
まったく自由のない世界。
喰うためだけに朝から夕方まで働いて、
その衣食住の生活費維持のために必要なら借金も繰り返して、
そういうことに追われるだけの毎日。
この四十年間、物心ついてからもずっとそうしてる。
アホくせぇ。
なんなんだ、この人生は? 
心底、What's Going On ? だ。
「誰か解放してくれ!」って、叫びたくなる。
海に向かって、山に向かって、空に向かって、
いつも俺はそう叫んでる。心の中で。
…というより、嘆いてるだけか? 
「だらしがない。 それでも人間の男なのか?」
とも思う。

さぁ、今日は自分の正直な気持ちを書いたぞ!
どうだっ!
これでスッキリしたか!? 
 
ぜ~んぜん。
まだまだ。
納得できねぇことばっかりだ。
右を見ても左を見ても、世の中どこを見回しても。
今の俺には自由はない。
何を書いて吐き出して、
ネット上に何を叩きつけようが、
ちっとも楽になんかなりゃしねぇぞ。
世の中そんなに甘かぁねぇんだ。
 
どこにある? 
自分のやりたいことをとことん貫き通せるだけの自由が? 
ないじゃん、どんなに勉強しても、
何冊、何の本を読みこなそうとも、
どこでどのように現実の社会に揉まれようとも。
あるなら教えてくれ。
どこまで何を追及すりゃぁ、自分の望むモノが得られるんだ?
俺には解らねぇぞ! 
こんな国の、こんな市町村の、こんな地域一角の、
こんな他人の建てた立派な家の、
こんな8畳間の一室の、
こんなネット上という限られた枠の中だけの、
こんな地球上の片隅では。
ないじゃん、どこにも、俺が本当の意味で
「生きてる」って実感できる場所が。
 
なんか愚痴っぽくなってきた。
あ~あ…。
 
 
 
さて、伊丹哲也さんのことを書いている記事…原稿…日記…ゴタク並べの中で、 (ごめんなさい。)
俺が勝手にネット上に設けた、“哲也さんのファン・サイト”の更新も止まったままだけど、
今日の時点ではまだ、その未公開の話の中で、
ハリウッドの怪優、デニス・ホッパー について書いてるくだりがある。
(はぁ、だいぶ冷静になってきた)
んで、デニス・ホッパーというオジサン…外国オヤジについてはともかく、
「人の持つ夢や情熱」について、いつもの如く、テンションあげっぱなしで書いてる。
他のことが色々と忙しくて、その内容も、
そのほかの予告した記事も、ほとんどマトメあがらず終いになっちまってるけど、
(…ごめんなさい。たくさんの読者の方にコメント頂いてもキチンとお返事できていません。
喰うための現実、生活費を稼ぐことに追われる毎日が忙しい。正直。(言い訳)
その、今の俺の「もっと時間が欲しいなぁ」という生活の中で書いてる、そういう記事がある。
(おいおい、ぶり返すなよ。冷静に。沈着に。…な。) 
で、そん中に、
『イージー・ライダー』というバイク映画がどのように創られたか、
『ビック・ウェンズデイ』という最初にして最期のサーフィン映画の大作が、
どのようにして世に広まったか…
などという話のネタがある。
それは、 
かつて、苦悩するアメリカ社会の中で、
マーティン・スコセッシ(監督)が、どんな思いで、
『タクシー・ドライバー』という映画をつくったのか? とか、
映画『ゴッド・ファーザー』の中に、脇の脇役で出てくる、エリオット・グールドという俳優が、
どんな思いで 『ロング・グッドバイ』というB級路線の“刑事モノ映画”の主演を務めたのか? とか、
今後の俺の書くページで、そういう部分(?)にも つながってゆく中で、
一人、デニス・ホッパーという人物…偉大なる映画俳優の、その多大なる功績を成しえた事実…。
今の人類史における映像芸術の世界のうち、
ハリウッド映画史の記録の中に克明に存在した大物役者、
貪欲なまでに「生きつづける人間の証し」を明らかにした、20世紀の世界映像芸術の宝、デニス・ホッパー。
年老いたボブ・ディランがどうあろうと、
あの人と同じ世代で死んでしまったプレスリーや、大親友“ジミー”が、
今になってどう騒がれようとも、
かつてハリウッドを追放された自分が、
どこの映画評論家の誰に何をほざかれようとも、微動だにしない男、デニス・ホッパー。
その掛け替えのない人類の財産を題材に、
俺は書いている。
「何を?」って、
人間の持つ、夢や情熱の自由。
男であれば誰もが憧れる、真のフリーダム。
「夢とロマン」なんて安っぽい言葉では騙りつくせない、
人間…人類という生命が克服しなければならない、本当の意味での幸福。
自然界に生き、生かされるという宿命の、その厳しさの中で、
常にスピリチュアルなモノを追求する、シンプルかつピュアな心意気、センス、才能。
 
そういうモノの素晴らしさ、そういうモノを現実化してしまったのが、
あの、映画『イージー・ライダー』(1969年)から始まっている。
(…ジャック・ニコルスン のラッキーな人生も含めて。な)
 
俺は今、アメリカン・ニューシネマの歴史や
ハリウッド映画史の歩みが ドータラ・コータラ云っているわけではない。
そういう話は、こことは別の他のサイトに任せておけばいい。
問題は(俺も含めて)、心ある有志たちが、
自分の夢に向かって、今後どこまで羽ばたけるか?
という課題…についてだ。
何かの目的に向かって、コツコツと基礎を固めるつもりで、
たゆまない努力の積み重ねも、
つい昨日までの世の中では無駄ではなかったかも知れない。
今は解散してしまったけど、The Smithe という、
英国のマンチェスターからインディーズ・レーベルの流行り売り出しブームと伴に
のしあがった4人組のギターバンド。その数年間の活動の中で、
モリッシーという詩人が
「人は誰もが、その生涯において、12分間だけは有名になれる」
と歌っていた、そこに意味するモノがどうあろうとも、
「チャンスは一度しかない」
という世間によくある言葉なんてのは、ウソ。真っ赤な偽りだ。
一人の人間の人生に、チャンスはゴロゴロ。何回も巡って来てる。
ただそれを、いつ、どんな状況で、摑むか摑めないかも、あるいは、
ただ目の前にあることとして、その価値に気づかないまま、
通り過ぎ去らせてしまうほど、
そういう、あとになって、“過去にあった確かな可能性”(チャンス)に気づく
という繰り返しも人によってはある。…決して後悔ではなく。
もっとも、余分な知識が邪魔をして、頭にフィルターを被せられているような人には、
自分の人生におけるどんな、どのようなチャンスも、
視るに見えない人の方が多い・かも知れないけどな。
…今まで、俺にもいっぱいあった。
時としてそれは、“嫌なヤツ”の持ってくる話の中に在ったり、
また、…たとえば、
間違えて降りた駅のホームの、その改札口の向こうの通りに見える、
雑居ビルの手前で行われている何かのバーゲンセールの商品ワゴンの横で、
吊り下げられたスカーフの値札の裏側の表示。
その生産者会社名の語源、名前の由来の意味。
そこにもある。 ????????。 (ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ゴツン。)
だからそういうモノ(本当のチャンス)は、自己啓発セミナーや、そういう類いの本の中にはない。
他人は教えてくれない。絶対に。
自分で摑み獲るしかない。
要は、見過ごしてしまいがちな、自分の夢の実現も、
誰にも何も伝えず終いで日常を過ごしている限りは、
どこにも到達しないし、見えない、届かない。誰にも聞こえない。
自分独りで頑張って努力して辿り着いても、そこは袋小路だ。
いつも行き止まり。また振り出しに戻って、最初からやり直し。
スゴロク人生も時には楽しんでる人もいるかも知れないけど、
はっきり云って疲れる。(俺は疲れた。)
それはまた、
厳重なセキュリティ・システムでロック解除の難しい金庫が、
街のコインロッカーにしまわれたまま、しかも、その鍵が紛失されてしまってる状態。
それと似たようなもんだ。
金庫の中身は、赤ん坊グッズのオシャブリかも知れないけどな。
 
だから、その心の扉を開けばいい。
簡単なことだ。
周りの者に伝えればいい。自分の言葉で、自分なりに。
きっと、最初は誰にも通じない内容でも、
そのうち、それに向かって生きてる自分がハッキリしてくる。(と思う)
単なる可能性の話じゃなくって、
自分が自分の決めたことへ、着実に近づいて、前進してるってことがな。
俺は今、そう信じてるし、ほんとうに僅かな光みてぇなもんだけど、
遠く、自分の向かう前の方の、生きる先の方に、それが見えてる。
「線路はつづくよ どこまでも♬」
あとは、そこへ近道するための切符を何枚 手に入れられるかどうかだ。
少なくとも、その切符の表側には「チャンス」って書いてあって、
裏をひっくりかえすと、そこには(たぶん)、
「信頼」とか「思いやり」、「友情」…とかって、
書いてあるはずだ。きっとな。
 
今まで そういうものを蹴散らして、
他人の好意も台無しにして、
俺に近づいて来た人の心を常に踏みにじり、
“裏切り合い”を こちらから仕掛けるように、
チャンスもハズレくじも一緒に下水道へ流すように、
俺は自分だけを中心に生きて来た。
言い訳無用、言語道断、卑劣きわまりない人間だ。
・・・・世間の常識からすればな。
 
できることなら、この辺で、
「命を入れ替えてみたい」
と考えるようになってから 6年になるか。
いくらかは進歩してきた(つもりでいる)。
 
そこに「軌道修正」とか「性格のチェンジ」という言葉が当てはまるかどうかは判らないけど、
まぁ、そういうこった。
遠回りのスゴロク人生も、
振って投げたサイの目によっては「六」のゾロ目がつづくこともある。
(…デニス・ホッパーなんて、ゾロ目つづきだな)
要領のイイ奴は、「一」の目に細工して、イカサマで「六」を連発させて先へ進む。
それはそれで本人の自由だけど、
ゴールに待ってるのは「孤独」だけだ。
俺はイカサマはしない。
どんなに汚くカネを稼ぐ連中と交流しようとも、
今度の俺は慎重にサイコロを振る。
ざまぁみろ、ゾロ目つづきだ。
一緒に楽しめない連中は、横でカルタでもやってりゃいい。
いつまでも。“お勉強組”のまんまで。
 
俺の命の残り、オマケの人生は、
俺だけのモノじゃないってことを明らかにしてみせる。
ネット上もそのうちの一つ。
今日の読者のみなさんが証人だ。
俺の有言実行は必ず形に現れる。
 
 
こんな、ボディ・ジャック現象の送受信混線人間 (?)にも、
いくらかは、そういう力を利用して、誰かのために役立つこともあるかも知れない。
 
 
 
なんか話が、またもやパラノイヤ気味になってきた。
ヤバイ。
なんとか現実の人の世にあわせなくては…。
 
 
 
 
んで、パクリ随筆(?)、『走れスモーカー』の
原作者としては、
…夢のまた夢ですが
できれば、全編モノクロームの映像で、
かつての 黒澤 明 監督が『羅生門』を撮影した時のように、
たとえば、ストーリー中の「激しく降り注ぐ雨」などは、
その撮影現場での“アメフラシのシーン”撮影の際、
水に墨汁を含ませ、
薄暗い路面に叩きつける雨の激しさが、画面上に鋭く描写される…
といったような効果を加えるなどして、
カラー映像では表現できない無駄のない、シンプルかつ、荒々しい映像で、
その映像の細部に渡って、「スリル感」を強調したいと思っています。
ですから、そういう撮影技術の発想が豊かな方の協力と、
その映像を充分に画面上に引き出すことのできる編集技術のある方が必要です。
 
しいてはできることなら、三池監督に。
そして、仲代達也さんのもとで芝居を勉強しておられる方々に
出演して頂きたい…と、思っています。(理想としては)
そうなると、云うまでもなく、必然的に、
近頃のテレビ・ドラマを作られている方々…
とは別のスタッフの協力を仰げるのではないかと自負しております。
どうか。
どうか、この夢が実現されますように。
 
かつて、カネや名誉を手に入れるための成功ではなく、
「俺たちは、こういうのがやりてぇんだよ」
という心意気だけで、
映画『イージー・ライダー』が創られたように。
当たる・当たらない、「数字を稼げる」という問題は抜きで、
二束三文からスタートしたモノが、やがて、大きな功績につながりますように。
 
俺は、ただ、自分の中にあるモノを提供するだけです。
 
今後、大勢の方のご協力なり支援なり、すべて受け入れます。
何卒、宜しくお願い申し上げます。
 
平成18年、三月吉日。
 
青年は苛立った! の、映画化実現のために… (俺の夢のひとつ)  
http://secret.ameba.jp/badlife/amemberentry-10003706029.html
http://scrapbook.ameba.jp/tawagoto_book/entry-10003706029.html  より。