Dance On The Edge  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
    お待たせ(?)しました、・・・・語ります。
  
    
http://ameblo.jp/badlife/entry-10008607078.html   このページの続きです。
  
  
  
   sub title : たまには崖っ淵で踊ってみようぜ。
   
   
1964年の4月16日、
“リズム&ブルース色の濃いロックンロール”という、
ただ荒削りでシンプルな12曲が並べられ、そこには、
当時としては極めて異質なツイン・ギターのアンサンブルに加え、
他にあまり類を見ない形で、力強いベースとドラムがコラボレイトされている。
ロンドンの〔デッカ・レコード〕というレーベルから発売された一枚のアルバム。
その黒っぽいジャケットには、タイトルもバンド名もなく、
ただ、スーツをキメタ、イギリスの5人の若造がこっちを見ているだけの写真。
ほぼすべての楽曲のすべてのパートが一斉に演奏される
という形でレコーディングされた このアルバムに込められたスピリットは、
後に数々のアーティストに影響を与え、現在に至る。
 
    First  
 
そこから二年前の1962年、
イギリスの片田舎からロンドンへ移り住んだ若者、
(当時の移動手段は電車やバスを利用していた模様…)
後に結成される6人編成のロック・バンド、ザ・ローリング・ストーンズのギタリスト、
キース・リチャーズ。
40年以上もステージでの演奏に命を燃やし続け、
世界のロック・バンドの頂点に君臨する男の、
その交友関係には、
この人物に憧れる数々のロック・ミュージッシャンや
彼と方を並べるギタリストに止まることなく、
ハリウッド俳優のジャック・ニコルスンやクラブの経営者など様々で、
トム・ウェイツというマルチ・アーティストも、彼の友人の一人。
                           That Feel  from 『Bone Machine
既にご存知の方もいるように、ジャック・ニコルスンは、
決して二枚目役者ではないのに
ハリウッドではトップクラスの、出演ギャランティが高額のスター。
一本の映画で野球選手の年俸並みの出演料を獲る。
その邸宅は、かの“ハリウッド赤狩り時代”の生き証人、
マーロン・ブランドの豪邸の門と、
そこから丘を上る私道を共有しているという王様のような城。ハリウッドヒルズ505。
数々の芸術家の家々が軒を連ねるグリニッジ・ヴィレッジにある。(1990年代)
その、ハリウッドの大御所、マーロン・ブランドといえば、
映画『ゴッド・ファーザー』のしゃがれた声の名演技や、
F・コッポラ監督がヴェトナム戦争の苦悩を題材に、
ニーチェとワーグナーとドアーズの“THE END”などを哲学的な映像芸術の中で融合 させ、
そこに虚無的な存在感で現れたカーツ大佐の役…などが記憶にのぼる人も多いと思うが、
1976年には、『ミズーリ・ブレイク 』という映画で、ジャック・ニコルスンと競演。 
不気味で卑劣なナイフの達人役でありながらも紳士。
劇中、野菜づくりが上手なJ・二コルスンに
焚き火の前であっけなく成敗されてしまうシーンは、観る人の度肝を抜く。
ニューヨーク・アクターズ・スタジオの出で、
かのジェイムス・ディーンも、この人に憧れ、
まぁ、日本でいうところの仲代達也さんと三国連太郎さんと石原裕次郎を足して2で割って、
そこに勝新太郎を掛け合わせたというところか (…どんな役者だ?!)
そんなマーロン・ブランドが、一昨年(2004年)の7月1日に亡くなってしまてっいたことを
映画好きの人なら知ってると思うけど、先に偏屈な表現で紹介した映画、マーティン・シーンの出世作、
地獄の黙示録 (1979)に出てくるマーロン・ブランドの役柄は、
実は最初、デニス・ホッパーへの出演依頼が先だったという。
結局、ホッパーさんは断って、同作品内では、
やたらに性格の明るい“プレスの人”を演じたわけだが、
これはこれで、当時の本人にとっても、
ヴェトナム戦争を反省するアメリカ社会の映画界においても、スゴイ復活劇だった。
 
後に、デニス・ホッパー自身、自分の人生を
「Dancce on the Edge ~(常に)崖っ淵で踊る」と表現しているように、
ウォーレン・オーツやサム・シェパードのようなカリスマ性と真面目さを持ちながらも、
ハリウッド映画界の経歴には“大きな穴”をあけ、
(…ちょっとしたいざこざからのハリウッド追放劇があってから10年ほどの麻薬泥沼人生を経て)
1980年代後半からは多彩な役柄で様々な映画に出演し、そこには、
「主演 VS 共演者」の見どころある演技…芝居が充実した作品が多い。
そのほか、パリコレのモデルや、画家、彫刻家、写真家としての芸術活動もあったりと、
とにかく、澄んだ眼がキレイな、“ラフに生きるタフ・ガイ”。
そんな、デニス・ホッパーの存在そのものが、
「1970年代のアメリカの光と影を象徴している…」
といわんばかりに、群馬県高崎市の街中には、
Dennis Hooper ”という、そのまんまの名前のショット・バーがあった。 (…今でもあると思う)
マスターは若く、彼女も同じ街で若者向けのパブを経営していた。
二人とも夢が大きく、都会での成功よりも、地方の夜の街で、
自分達が“やりたいこと”を貫き通す価値を大切にしていた・ような気がする。
もう、十年以上前だけど、
芝居の勉強まがいなことをやってた俺は、
(伊丹哲也さんの『パークエリアの夜 』を勝手に自分のテーマ曲にしていた時期)
昼間は水道配管設備工見習い、
夕方から深夜にかけて ホテルのフロントのバイトをしてた。
仕事がはねると、よくその辺りへ寄り道しては、
2~3件目にお気に入りのスナックへ出向き、
そこに勤めていたヤスコちゃんの顔を見て、
一時間8千円の語らいにカネをハタイタ、27歳、独身時代…。 (どうでもいい)
 
    DanceOfTheEdge  

 
    おれはいつも本物のところへゆく。
    そうすると今度は向こうがこっちを求めてくる。
    自分が見ているものに満足できなければ
    満足できるものを探す。
    物事を変えたければ
    変えたいやつと踊る。 そう、Dance On The Edge
    崖っぷちで踊っていると
    周りに必ず面白いやつがいる。
              Denis Hopper 1989’May15thAfternoon
 

 
さて、そんなデニス・ホッパーという人は、どんな人なのか? 
今更そんなことを探るまでもないが、
いっぱしの男なら誰もが憧れる、常にスリルと背中合わせに生きる人生…。
かといって、ハリソン・フォードやケビン・コスナー、メル・ギブソン…という、
真面目な努力家とも違う。
それでも、デニス・ホッパーと握手を交わしたことのないビッグ・ネームなんて、
「ハリウッド・スターのモグリ」と云っても過言ではないほど、
このオッサンと競演した役者陣は凄まじい数に上る。
往年の西部劇で、
「俺にライフルを持たせたら右に出る者はいない」というお父さん、
ヘンリー・フォンダの息子であり、
ミュージカル映画、「9to5」のジェーン・フォンダのお兄さん、
ピーター・フォンダと、
かのジャック・二コルスン(当時は無名)の三人で、
二束三文の趣味で撮ったバイク映画、
『イージー・ライダー』の立役者だったデニス・ホッパー。
当時としては、ピーターの家柄を除いては、ほとんど無一文だったこの三人組も、
核実験が盛んに行われていたアメリカのだだっ広い荒野を
チョッパー・ハンドルのバイクで走り回ることで、
当時の若者…世間のバイク野郎を魅了した。
この、1970年代の大当たりのあと、しばらく(90年代まで)
デニス・ホッパーはオスカー受賞会場にも姿を見せず、
血みどろのドラッグ生活に嵌っていたらしい。
でも決して死ぬことはなかった。  
伊達にジェイムス・ディーンと競演して お友達だったわけではない。
まぁ、その辺りも含め、「崖っ淵で踊る人生」を歩んだ才人の一人。 
 
同世代のフランス役者で、リシャール・ボーランシェという人もいたが、
そっちの酒と麻薬の泥沼人生は、自ら、
「ドブの中で這いずり回ってた」と云ってるので、“崖っ淵のソレ”とは ちょっと違う。
まぁ、一度クタバリ損ねても二度目はなく、
仙人のようにクリアーになってしまう男達の“這い上がり人生”も、
なにも映画業界に限ってのことでもない。
たとえば、西洋圏のロック音楽業界でいうところの、
エリック・クラプトンやキース・リチャーズも、己のドラッグ・ライフにピリオドを打って今日に至る。
そこには、カリフォルニアのマーガレット・パターソン先生による
“ブラック・ボックス”を利用した治療により、
短期間で廃人から超人に生まれ替ったような記録もあるが、
「俺(たち)には遣り残したことがある」と云って、
1980年代からのソロ活動が際立つ、ピート・タウンゼントもその一人。
やはり、崖っ淵で踊るスリルは若いうちに経験しておくべき…ということだったのか? 
 
ところが、ジャックはちがう。
ブ男の味を生かして、様々な映像の中で、
その存在感に揺るぎないハリウッド・スターの地位を築きあげた。
毎年行われるグラミーの会場席はおろか、
煌びやかな照明に包まれる舞台上の紹介席(案内人席)にも必ず名前を連ね、
この、ハリウッドの大金持ちが、キース・リチャーズとも友達であり、
トム・ウェイツとも大の仲良し。
特にこの二人は、歳を取れば獲るほど、“ロンリー・ガイ”を実演し、
“崖っ淵で踊るスリル”を魅せるキワモノになりつつある。
 
と、ここまで、かなり乱暴な書き方で、デニス・ホッパーをキーワードに
三人のビッグ・ネーム(Keith、Jack、Tom)に解説をつけてきたけど、
実は、
トム・ウェイツが大好きなのは、
日本の若手俳優、サラリーマン金太郎の高橋くんや、
元ARBのヴォーカルで、現役者の石橋凌さんだけではない。
ご自身の人生を
『年老いたスリル』
と題して、今日も歌いつづける伊丹哲也さん
トム・ウェイツの大ファン…らしい。) http://home.p02.itscom.net/fighting/ANOTHER_SIDE.html
 
俺も大好き、トム・ウェイツの『土曜日の夜 』 
女優の木内みどり さんも大好き(らしい)。 

もう十年以上前になるか、あるFMラジオ番組で
『グレープ・フルーツ・ムーン』をはじめ、アルバム『Closing Time 』を全曲紹介していた。 
俺がトム・ウェイツの存在を知ったきっかけが、その放送だった。
そして、ラウンジ・リザーズというヘンなバンド(?)
ジョン・ルーリーという煙草の似合う役者さんと
ある映画で競演してた、その白黒映像に光るトム・ウェイツの姿を観て、
改めて映像芸術の素晴らしさと醍醐味を実感した。20代の時。
 
「…ジャガーか。…オレの(オレに似合う)クルマだ」
の、あの名台詞は、
かつて、 “ (I Can't Get No) Satisfaction のヒットの収入で、
初めて新車のベントレーというクルマを買ったキース・リチャーズが、
そのブルーの愛車に“ブルー・レナ”という名前を(勝手に)付けたにも関わらず、
鮮やかなオレンジ色に全塗装して、ロンドンの街を飛び回ってた。
そういう、ロック・アーティストならではの粋なフィーリング…。
に、通じる部分がある・と思う。 
ジャガーとベントレーという車はまったく違うクルマでも。な。
んで、 
BORO という日本のミュージッシャンの歌に
   ♬ 80年型ブルーのMGが道行く人を振り返らせ、
    カーステレオのボリュームいっぱい、
    ジャマイカあたりのリズムに乗って通り過ぎて行ったぁ~♪

という歌詞ではじまる歌がある。
   屋根の上に猫が寝ているぅ~、
    お天道様にすべてを任せてぇ~っ

とつづく その明るいリズムの曲は、
“クルマつながり”で、
オレのクルマに乗っていきなよ♪
と歌った“昨日までの伊丹哲也さん”に通じる部分がある。
 
もう何年も何ヶ月も、“CDレコード”の売り上げではメシを喰っていないかも知れないけど、
このように知っている人は知っていて、
哲也さんの煙草が、
ある日、ハイライトからマルボロに替ったことを誰も知らなくても、
煙りの向こうのロック・スピリットは不滅だ。
 
50年代のロックンロール時代を象徴する、
ピンクのキャデラックが似合うロックンローラーよりも、
愛用のギターを担いで電車に揺れるシンガーソングライターの方がカッコイイ! 
その人はきっと、窓の外に見える田舎の田園風景を見ながら、
また新たなる曲のフレーズを思いつき、
それを楽譜に書き留めるか録音に残すまでは絶対に忘れないように、
いつまでも鼻歌で繰り返す。誰も想い浮かばないメロディと歌詞の断片を。
そしてそれを口ずさみながら、
次の大きなコンサート会場ではなく、次の小さなライヴ・ハウスへ向かう。
なぜなら、そこには、その人の歌を聴きたい、
聴いて、今日を生きる励みと、その胸の奥に潜む心の乾きや、
愛情の反対側でコンガラガッテしまった飢えを凌ぐ糧にしたい…
と願うファンが、きっと待っているから、
その人は、電車に揺られ、あるいはタクシーを乗り継ぎ、
あるいは、路線バスの運賃箱にジャラジャラと小銭を投げ込み、
約束の場所へ向かう。
命ある限り、歌い続けるために。
 
俺は、日本のすべてのミュージシャンに、そうなってほしいとは思わない。
かつては、そういう人もいっぱいいたかも知れない。
そして、アメリカの西部でもアラバマでもニュージャージーでもないのに、
土臭い歌をつくり、思い切りそれを歌い、
腕に握るギターで奏でる伴奏に、ハモニカの旋律を乗せる。
それを何度も何度も繰り返して、
自分の中にではなく、
聴く人の心の中に刻みつづける。
ホンモノの音を。
今はもう、流行らないかも知れないし、忘れられている・かも知れない。
そういうミュージシャンをやりたくてもできない歌手や、
役者になって食べることを選んだ、かつてのバンド・ヴォーカリストもいる・と思う。
でも、たった一人だけでも
そういう人が残っていてくれないと、
たとえそれが、今のこの、日本の音楽シーンの端っこの方であっても、
たった一人、「自分の今」を伝えつづける、そういう真のアーティストがいてくれないと、
みんなが演ったことが、もう本当に全部、ウソになっちまう。
そんな気がする。
 
 
哲也さんの春のLIVEがもうスグ、
間もなく、“春の伊丹哲也”が幕を開ける。 http://home.p02.itscom.net/fighting/LIVE.html
そこには(たぶん)華やかさはないけど、
穏やかで、大地にしっかりと根を張って生きる人間の、魂の叫び…。
(ちょっと大袈裟か?)
田舎から都会へ出てきたままの青年が持っていた荒々しさと、
コワイモノ知らずの挑戦的な香りが漂ってるに違いない。
と、思って、今から楽しみにしている。
 
でも、『年老いたスリル』が見え隠れする現実の哲也さんは、
きっと、夜の鷹として、我々ファンに“安心以外のモノ”も用意してくれる…んだろうなぁ。たぶん。
 
哲也さんの夜鷹 という歌を最初に聴いたとき、正直いって俺は、
なんだか意味がよく判らなかった。
何度か聴き込んでいるうち、
「これは恐ろしく、人間の心の描写を見据えている歌だ」と思った。
決して手放しでは喜べない己の幸福と自由。そこに絡まる燃え盛る闘争心…。
まさに、“年老いたスリル”。その断片を覗かせる しつこくない比喩も歌声も、
かなり完成度の高い楽曲GALLERY2-№6 だ・と思う。
…こんな勝手な曲解説が許されていいものかどうかは別として、
確かに、どんより暗いイメージの歌だけど、
こんな歌をつくって歌えるミュージッシャンは、今の日本には哲也さんしかいない・と思う。
ご本人は恐らく、「哲学的な~ウンヌン」ということは考えてもいないと思うけど、
このように、「今の自分を自分の作った歌で正確に表現する」という優れた才能は、
聴く人にとってはどうなのか? 
俺としては、その人の人生を正面きって見せつけられることで、逆に、
「お前は それでいいのか?!」
と、こちら側の心を覗かれているように思えてしまう。
この曲作りの技法は、THE THE というバンド(?)
マット・ジョンソン という人が最も得意とするソング・ライティングに似ている(と思う)。
まぁ、あっちはあっちで外国の人なので普通の日本人には馴染みがないけど、
哲也さんとマット・ジョンソンのもう一つの共通点は、
「ぜんぶ独りで演っている」という点。
もちろん、LIVE演奏では、両者共に決して単独ではないし、なかった(…ですよね)。
今は再販されていないCDやレコードでも、独りきりで演奏していたわけではない。
サイド by サイドがあったし、assimilate さんもいる。
だけど、ロンリー・ガイなんですよ。
ちょっと語弊があるかも知れないけど、云い方を替えると、
哲也さんの強烈なエネルギーを受け止めるのには覚悟が必要なことがある。
それ故、ある意味、聴く人が限定されてしまう。
これがいいか・わるいかは別として、そういうアーティスト…というか、(生意気なファンだな
この“ローンリー・ガイ”の姿勢は、かつてのプレスリーにもあった。
今もボブ・ディランも演ってる。
いい意味で、シンガーソングライターの真髄。
(…すみません、ご本人の苦労を無視したような こんな表現をしてしまって)
まぁ、こんなことを云ったファンはいないと思うけど、
俺は普通のファンではないので、これからも、なんでも正直に書いてゆく(つもりです)
 
 
 
かつて、全編に渡り、サザンオールスターズの歌が使われた、
『フゾロイノ・アップル・メンバー』という大当たりしたTVドラマで一躍脚光をあびた女優さんが、
(ご結婚する前)やはり自分がパーソナリティを勤めるFMラジオ番組の中で、
なぜか、Pink Floydの『Final Cut 』を全曲紹介していた。
あの哲学的な歌詞…やはり作った本人はそう思ってない)が羅列するロジャー・ウォータースの歌と、
それを叙情的に表現するかの如く流れるデヴィッド・ギルモアのギター独奏…。
「これは落ち込んでる時とかに聴くといいですよねぇ…」などと、
その程度の拙い紹介でしかなかったけど、
日本の売れ線・女優のDJが、
ピンク・フロイドの(実質上)ラスト・アルバムを紹介するというのが、
意外だった半面、どこか、
いつも飾られた向こう側の、その女優さんの素顔が見え隠れする感じがして面白かった。
そのラジオ番組では、別の週に、ゲストに伊藤銀次さんが出ていた。
アコースティック・ギターを一本持って登場。
CMを挟んで生演奏。自慢の腕を披露していた。
そんな中、いきなり、YESの『ラウンド・アバウト』という曲のイントロを弾くと、
彼女(女優T)は、
「あぁ、ソレ、男の子たちがみんな演ってたぁ!」と喜んで、
自分の学生時代を想い出しては、
いくつかのギター・フレーズの生演奏に興奮していたのを覚えている。
 
そんな番組は今はない。
時々、同じ時間帯でやってる桑田さんの放送では、
桑田さんは今でも生演奏を演ってくれることもある。
凄いサービス精神で、ファンにはたまらない。(と思う
 
ところが(…ここからが問題だ)、
その人たちは、他人のラブ・ソングを批評したり…や、
それを自分の歌と比べることはできても、
ロンリー・ガイの素質はない。
「自分の今を伝える」ということの厳しさはハンパではない。
常に死ぬか生きるかの真剣勝負だ。
しかも、意味が通じなくなってしまうほど飾り尽くした言葉ではなく、
誰にでも意味が通じる言葉での表現力。
シンプルであればあるほど難しい現実の追求。
そういうソング・ライティングは、売れる・売れない以前の問題で、
色褪せることのない価値を意味する…と思う。
 
「おまえ、なにが言いたいの?」
と、SASや桑田さんのファンの方には どやされるかも知れない。
以前、『イカすバンド天国』という番組の審査員席で、
「なんだその歌い方は?」と、きついアドバイスばかりしていた伊藤銀次さんにも怒られるかも知れない。
 
売れなくてもいいじゃん。
それを聴く人が独りでも確実に存在するなら。
 
俺はそう思う。
そして、いつの日か必ず…」という思いで、俺はこのウェブサイトのこのコーナーを書き続ける。
伊丹哲也をカムバックさせる会
 
なんせ、食ってくためには、ある程度まで昇らなきゃだしな。
崖っ淵で踊り続けるスリルのためにも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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