On the Bean’s Field 2007  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

テーマ:  fairlytale : 童話集     
  
  
やがて訪れる次なる実りの秋に向け 
一人の老人がせっせと畑を耕していました。
その頭上では 
風の中を泳ぐように流れる雲が朝陽を遮り 
朝の空は朝ではないような色をしていました。
するとその雲の合間を縫って、一人の小さな天使が降りてきました。
彼は、明け方の夜空を飛んでいたとき、
自分の翼を星のかけらにひっかけてしまい、傷ついていました。
それでも、全身の重心を崩すことなく、
片方の翼を巧く利用して地上へ降り立ちました。
偶然による必然か、その時に空を見上げていた老人は、
天使の放つ眩しい光に眼をこらし、
天使の方へ近づいて来て云いました。

 
「ついさっきまで畑を耕してたんじゃが、
妙に天の方が明るい気がしてな。
今日は お太陽様が二つも出てるのかと思ったよ。
そしたら何と、あんたが降りて来た。
その上、こりゃまた珍しいことに、
人の形をした小さな身体に羽根が生えてるときてる。
一体どういうことなんだい?」

 

すると、怪我をした天使は応えました。
 
「私は月よりも彼方、星屑の果てからやってきた天使です。名前はありません。
ここへ降り立つのは久しぶりで、
この前は確か10億4千万年前のある秋のことでした。
当時は この辺りも、まだ何もなかったと思いますが、
あれからもう、随分と変わってしまった景色を眺めて
明け方の夜空を飛んでいました。でも、
よそ見をしている隙に星のかけらに翼をひっかけてしまい、
何とか墜落しないように、やっとの思いで降りてきました。
どうか、ここで休ませてください」

「いいとも、怪我が治るまでゆっくりしてくといい。
じゃが、長生きもしてみるもんじゃな。
本物の天使とやらにお逢いできるなんて…。
婆さんが見たら さぞかし驚いて腰を抜かすかも知れんな」

 
老人が顎髭を撫でながらそう云うと、天使は ちょっと心配そうな顔で云いました。 
 
「申し訳ありません。前もって断っておきますが、
他の誰にも私の姿を見たことを告げないで下さい。
もしもそんなことが天の仲間に知れると、
私は天上には戻れなくなってしまいます」

「そうか判ったよ。安心せい、誰にも云わん。
じゃが、こうしてあんたに遭ったのも何かの縁じゃ、
ひとつお願いがあるんじゃがな…」

「何でしょう?」
「ここから少し離れた所に川が流れとる。
実は、そこからこの畑に水路を引きたいんじゃが、
何せ、わしはもうこの歳じゃ。
今の足腰では あそこからここまで溝を掘るには大そうなことでな。
できれば、あんたに手伝って貰いたいんじゃが。
…なぁに、神様の遣いのあんたにとっちゃ、それくらい朝飯前だろう」

「はい、やって出来ないことはありません。
ですが、人間の工夫に手を貸すには神の許可が必要です。
もしも勝手にそんなことをすると、あとで大変なことになります」

「ほぉ、どんなふうになるんだい?」
「いずれ近いうち、おそらく この辺りは草一本も生えない土地になってしまうでしょう。
そして地の底からも毒が湧き出し、
ここを訪れた者は一人残らず苦しみながら死んで逝くことになります」
「参ったな。そんなことになった
ら、わしも孫たちも浮かばれんぞ」
「はい。ただ……」
「ただ…? なんじゃい?」
「この翼の傷を癒すまで、ここで静かに休ませてくれるのなら、
そのお礼に
たったひとつだけ出来ることが私にもあります」
「おぉ、そうか。それで?」
「今のあなたの足腰を丈夫にして差し上げます」
「うん、それはいいかも知れん。
じゃ、お願いすることにしようか」

「でも、ちょっと痛みを感じるかも知れませんよ」
「う~ん…。まぁいいじゃろ。 よし、頼むよ」
「では、そこへ腹這いに横になってください」
 
そうして天使は、横になった老人のお腹に手を当てると、
それまでにない光を放ち、老人の身体の創りを少し若返らせました。
 
「はい、今度は立ち上がって下さい」
「おぉ、そうか。…こうでいいかな」
「はい」
 

一瞬にして自分の背丈が高くなったように感じた老人は、
背筋を真っ直ぐにされた時、背中や首に少々の痛みを覚えましたが、
みるみるうちに髪の色も変わり、遂には顎髭までも黒くなってしまいました。
 
「はい、これで終わりました」
「お、そうか。う~ん、何だか呼吸も何十年かぶりに楽になってきたよ。
これなら何でも出来そうだ!」

「本当に これでいいんですか?」
「ああ、世話になったな。よし、早速、川まで走って行くことにしよう!」
 
こうして、天使の力を借りて あっという間に若返った老人は、
全速力で川岸まで駆けて行きました。
そして、わずかに微笑みながらも
キラリと眼を光らせる天使の姿がそこにありました。
その意味を知る由もなく、既に若者は
持っていた鍬を遣い、溌剌と大地を刻み、
軽やかな動きで掘り進みながら唄い出しました。
 

やがて豆畑のすぐ近くまで真っ直ぐに水路を掘り終えた若者は、
額の汗を拭い、日溜で休んでいた天使の側に戻って来ました。 
 
「よ~し、お陰でここまで出来たよ。
あとはゆっくり、この畑に細かい溝を掘れば
明日から水の心配は要らんぞ。
その前に元の姿に戻してもらおうかな…」

 
すると天使は応えました。
 
「いいえ、それはできません」
「なんだって?!」
「あなたはもう、このままの姿でしか この時代に存在できないのです」
「そんなことは聞いとらんぞ!」
「いいえ。私は確かに、はじめに断っておいたはずです。
ちょっと痛みを感じるかも知れないと…」

 
若返った老父は、そこで初めて、先ほどの天使の言葉が
“自分の心に痛みを感じる”という意味であることを悟りました。
 

「…もう家には帰れんな。こんな姿では婆さんに合わせる顔もない」
 
その眼には、うっすらと泪が滲んでいました。
それを見た天使は、翼を大きく拡げて云いました。
 
「どうか、そんなに がっかりしないで下さい。
ついさっきのあなたにとって、
やがてこの畑は誰かの手に渡る所でしたが、
もうしばらくの間は、あなたの畑であることには違いないでしょう。
そのために大地に溝を刻み、水路を造ったのでしょう?」

 
まだ心だけが老けていた若者は、
今にも はばたこうとする天使の翼を見て泪を拭いました。
そして、朝の静けさを忘れるような明るい笑顔で応えました。
 
「…そうだな。おまえさんの翼も回復したことだし、
ここで豆を育てているうちには、いつかきっと、
この胸の痛みも晴れてくる日も来るやも知れん。
…ありがとうよ」

 
天使は、その言葉を聞くと、微笑みながら空の彼方へ消えて行きました。
 
                    
               おしまい 
 
 
 
 
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   ・・・・ 幾人かのアーティストが再び、その翼で飛び立てる日に捧ぐ。
 
 

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     天使の賛美歌は聴こえるかい?
 
 
 
 この物語の解説については本チャンのコメント欄にて。