介護無用の高齢者について | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
んん~、3ヶ月 足の爪を切ってないと、爪先が刃物のようだ。
29日に蔵元の社長の手伝いで、午前中だけ
酒粕漬にする山ウドの畑に撒く予定の堆肥を置く場所の整備をしたんだけど、
地下足袋を履いて4時間 作業をしていただけで、
下に穿いていた靴下に穴があいてしまった。
洗濯してから乾かして、ひっくり返しにして、
破れた穴を摘んでから、そこへ タッチボンドを少量ぬると、
針と糸で縫い合わせるより遙かに早く
穴を塞ぐことができるんだけど、    (あとで見栄えはワルクなるが画期的だ!
最近の俺は捨ててしまう。
容赦ない、ゴミ箱へ押し込む。
穴のあいた靴下は貧乏人のコレクションだしな。 シルクは別としても
   
俺の足の爪は非常に硬いので、
工具箱からニッパーを取り出して、
それで怪我をしないように切断しないと
普通のツメキリでは歯が立たない。
どの指も、とにかく硬い。
足の小指なんて、コンドルの足のようになってしまう。
…足の小指に爪がないあなたは腎臓機能に問題がある
   
んで、人間の爪は皮膚に関係してるらしいけど、
「硬い」というのはどういうことなのか? 
カツオ爺さん ”に訊いたこともあったけど、それは忘れてしまった。 (俺も惚けたか?
子供のときから硬かったわけでもなく、いつのまにか硬くなった。
『いつの間にか少女は♪』ではなく、
『いつの間にか足の爪は』だ。
   
   ♬ いつのまにかぁ~、カタイ爪がぁ~、伸ぉ~びてぇ~ぇ いぃるぅ~
     重い足でぇ~、黒い靴を~、ひ~き ずぅ~ってぇ~
     爪はぁ、ど~こから生~えてるのぉ~、そぉだぁって~きたぁのぉ~
     ツぅメは季節がぁ~、かぁわるみたいにぃ~、おぉとぉなぁにぃなぁったぁ~ウ~ウ~
   
   ♬ いつの間にかぁ~、穴があいたぁ~、こぉ~とをぉ~ぉ 知ぃりぃ~
     知らず知らずぅ~、あいた穴がぁ~、ひ~ろ がぁ~ってぇ~
     燃えるぅ、なぁ~つの足元にぃ~、オぉヤぁユぅビぃ 出ているぅ~
     ツメは静かにぃ~、音も立てずにぃ~、おぉとぉなぁにぃなぁったぁ~ウ~U~U~
   
   
パート2、『白い靴下♪』
   
   ♬ まっ白なぁ、靴ぅ下を~ 眺めては あきもせずぅ
     かと言ってぇ、触れもせず~
     そんなふうにぃ、素足であぁれば~
     今日もぉ、靴下はぁ、だいじょうぉぶぅ
     
   ♬ 目の前のぉ、くつぅ下はぁ~ 
     三足でぇ、500えん~
     自分でもぉ、おかしいぃ           (…シルクじゃねぇしな
     そんなふうにぃ、ねころがぁればぁ~
     ボクのぉ、靴下はぁ、だいじょうぶぅぅぅ…
     
   ♬ ある日ぃ、足の爪を切らない 君がいてぇ、
     通りぃすぎる日々を過ごすぅ~
     下駄箱の前でぇ、靴ぬいだ日にはぁ
     もう穴があいて、みっともないだぁ~ろ~
     
   ♬ 爪切りを~ 差しぃのべてぇ~
     その穴を縫いあわせぇ~
     ありふれた生活にぃ、もちこめればぁ いいのだけぇれど~
     今日もぉ、靴ぅ下はぁ~ 穿き古しぃ。
   
   
と、こんなアホなことを唄ってる場合じゃない。今の俺は…。 (小椋さん、ごめんなさい
今日は“替え歌コーナー ”ではない。
実は29日の夜、相手の気持ちを何も知らずに失礼なことを云って(書いて)、
この二日間、ちょっと落ち込んでた。 (めずらしく
して、そんな中、今日は一日 家の用事があったけど、
昨日の午前中は蔵元で製品づくりの手伝いをしてから、
午後は子供の予防接種へ出かけた。
もうすぐ6歳になるんだけど、一龍【いちろう】は未だ、
ハシカとオタフクをやってない。
世間では「小学校へあがる前に済ませておいた方がいい」と言うが、
最近(…小児科のお医者さんが言うには30年くらい前から)は、
オタフク風邪にも予防接種があるらしい。
任意で4,000円くらい。(佐渡では)
俺が子供のときは、そんなものはなく、
幼稚園かどこかでうつされたモノを兄弟でうつしあって、
俺の父親も母親もそれなりの対処をして育ててくれたんだろうけど、
この歳になって、自分の子供が大病を患うことが何よりも恐ろしい。俺はな。
平成12年の7月23日に産まれて、ゼロ歳から今日までの7年間、
10回以上も熱性痙攣を起こさせてしまったものの 、  http://ameblo.jp/badlife/entry-10004918651.html
「よくも元気に今日まで生きてきてくれた。ありがたい…」
と思うと、
人間には、どんな障害や体質の支障があろうとも、
生きる目的がある限り、寿命が訪れるまでは大丈夫なんだろう…
とか、勝手に納得している。
   
   
   数日前、久々に鮮明な映像の夢を見た。
   (くだらん執筆に頭を回すことに疲れ、明け方まで眠っていた時。
   
   なぜか、実家のある街の駅前のターミナルで、
   午後10時ごろ、なんの仕事なのか? 仕事へ行く途中の俺が、
   自分の白い軽トラックの前にいる。セブンイレブンの脇。
   ふと見ると、街灯のある歩道に立てられた時計の鉄柱の前に、
   なぜか一龍(俺の息子)がいて、上を見て興奮してる。
   
   「スゲェッ! でっけぇぇーっ!」
   見上げると、ぞっとする光景。
   その時計台の上に、
   でかいカマキリが停まって辺りを見回していた。
   
   「ダメだ! 近寄るなっ! 速くクルマに乗れ!」
   俺は思わず そう叫んで、一龍を呼び寄せた。
   昆虫とはいえど、肉食だ。
   あんな者に捕らえられて頭からムシャムシャ喰われたら一貫の終わりだ。
   今日までそれなりに健康に生きてきた意味がない。
   
   「だめだよ、あんなもんの近くに寄っては…」
   そんなことを云いながら、いつものように子供を助手席へ乗せた俺が
   クルマを発進させようとすると、
   その、くすんだ緑色のバケモノは、目の前で
   時計台から飛び降りる瞬間に、
   どこかで見たような顔の“女”に姿を変え、
   薄暗い街の中へ消えて行った。
   白っぽい洋服を着ていた後ろ姿も確かに女だったが、
   年齢は俺と同じくらいか? 
   誰なのかは判らない。
   ただそういう夢の一場面だった。
   
   いま想うと、母親の兄(既に他界)の子供、親戚の四人姉妹のうちの一人
   にも似ていたような気もするが、(ご本人には失礼でも、そう思ったの。)
   今の俺がなんで、あんな夢を見たのか? 
   あまり考えても意味はないけど、そのうち何か判ってくるような気もする。
   
   それにしても、なんでカマキリ? 
   気味は悪いが、何も危害を加えなかったところを見ると、
   何かを知らせに来た…のかも知れない。
   
   
俺の母親の実家は群馬県の高崎市、観音山の麓なんだけど、
そこで今も長生きしてるお婆さん は、甘楽郡の山奥の出身。
映画『野麦峠』の撮影場所でもあった蚕農村の多い田舎。
その村落の、とある貯水池の近所に、旧い城跡がある。
江戸時代よりずっと昔の城跡だ。
俺の母方のお婆さんの旦那、今は亡きお爺さんは、その城にいた者の末裔らしい。
生前は優秀な大工だった。
ステンレスを中心とした金属加工の会社も経営してた時期もある。
昭和の総理大臣の一人、故・福田元首相とも大の仲良しで、
葬式のとき、ちょうど国会の仕事が忙しく、
他の電報や花輪とは別に、肉声の録音テープが贈られて来てた。
葬式会場(本人が建てた家屋)にデカイ音で鳴り響いて、
自分達が戦前から今日まで生きてきた友情の証を淡々と喋っていた。
ちょうど今の俺の子供、一龍と同じくらいの歳だった俺は、
夏の日に癌で死んだお爺さんの顔は、ワケあって覚えてはいないが、
あとになって母親から色々と訊かされた想いデ噺から察するところ、
かなりの頑固ジジイだったらしい。
職人にも厳しく、自分にも厳しい大工。
普段、家族には優しいが、怒らせると相手が土下座するまで一歩も弾かない。
戦後当時の天皇皇后夫妻が何かの用事で群馬県を訪れた際、
「高崎ハムを食べてみたい」ということで、
そのハムを献上するための特性の桐箱を作るように頼まれたとか、
まぁ、高度経済成長期の実業家のハシクレだったらしい。
さほど迷惑にも感じなかったけど、20代の俺が高崎市に住んでいた頃も、
仕事で訪れた先で、それまで逢ったこともないような人に、
自分の母親の実家が「アソコです」と云うと、
「あんたが井さんちの孫かい!」ということで一目おかれたりもした。
そのお爺さんと一緒になったお婆さんは、
大農家の出身で、甘楽の山奥(サファリパーク近辺)にも知人が多かった。
幾つもの山が丸ごと桑畑のようなもんで、 
かつての群馬県のシルク産業の土台でもあった地域だ。
俺の母親の兄が自分がやりたい事業(再生燃料の設備開発)のために、
そういうすべての財産を注ぎ込んで、わずか数年のうちにパァにしちまった。
母親の兄は、台湾の再婚先の自宅で亡くなっている。(90年代
そんで、お婆さんの地元。山奥の産まれ元の家には、
俺が中学生くらいまで、曾お婆さんが住んでた。
この人がまた特殊な人で、世間では霊能力があるとされ、
今もご健在の毒マムシ三太夫さんフルハシ隊員とかが、
その手の番組のテレビ取材とかに来てたりもした。
一説には、その曾お婆さんも白蛇(大蛇)に関連する霊能力があったらしいけど、
それを詳しく調べようにも今は生き証人がいない。
注意俺がその血筋を受け継いでいるわけではない…と思う
霊能者と呼ばれる人はほとんどすべてが、人間とは別の能力に支配されてしまう瞬間に
見えたり、聴こえたり、感じたり…してしまう者であって、
肉体と心(本来の自分の魂)の歪みに紛れ込んだクタバリ損ないの動物の霊のシワザ…
によるものが多い。
まぁ、今日は、その辺の話は置いといて。また別の機会に…な。 
   
   
んで、その母方の実家にいる今も健在の お婆さんは、
自分の母親(俺の曾お婆さん)のことはあまり喋らない。
口をあければ自分の旦那の過去の栄光を話すくらいだな。
「お爺さんは孫の一人一人みんなに勉強机を拵えてやったんだがね…」とかな。
足腰も割りと丈夫で、あまり惚けてもいないけど、耳が遠くなった。
だから話をするにも時間がかかるし、群馬弁の通訳も必要だ。
ゲートボールと踊りが好きで、部屋中に賞状やトロフィーが飾られている。
96歳だったかな。戦後の日本社会を堂々と強く生きてきた女性の一人なので、
そういう意味では“貴重品”かも知れないけど、
本人にとっては哀しみを乗り越えることの方が多かったかも知れない。
空襲に明け暮れた戦前戦後、
山奥から商業都市へ移り住んで事業を起こし、
4人目に授かるはずの娘の死産もあったり、
大勢の孫に囲まれた矢先に、旦那と死に別れ、
成人した息子も借金を残したまま異国の地で死に、
自分の姉妹も次々に先立って、
旦那と二人でいちばん可愛がって育てた娘(俺の実の母親)も、
17年間も精神病院を出入りして…など。
普通の人が経験するかしないかのことをほとんど全部やってしまった。
それでも、いつ会っても笑顔でいる。
あれは凄まじい精神力だ。並みの人間ではない。しかも女性で。
おそらく、この日本には今まだ、俺のお婆さんのような人も生きているとは思うけど、
見習えるもんなら見習ってみたいもんだ。
   
生きるということは、投げ出したくなっても、堪えて、踏ん張って、
自分が愛した人間を死んでからも愛し続ける。
そして、好きなことを思う存分、堂々とやってりゃぁ、惚けることもない。
わがままを言ってる暇はない。好きな物は何でも食べる。寝るときは寝る。
座ったり立ち上がったりするのに少々の不自由はあっても、
他人の手は借りず、最期まで自分で自分の肉体を運び動かす。
孫の顔を見れば笑顔でお小遣いを差し出す。
「これで何か旨いもんでも食べておくんな…」
しかも本人にとっては、それが、そういうことが当たり前なんだ。
   
   
生後7年になる子供を持ち、40歳を迎える今の俺は、
その人が今後これから、
どうやって生きて、
どうやって死んで逝くのか。
確認しておきたいね。
こんな時代だからこそ。