イエロー・ページを読んで。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
ここ最近、自分の中で、どうしても解決できないことが幾つかあり、
何か手がかりはないかと思い、
伊丹哲也さんのオフィシャル・サイト
にある、BBSの黄色いページ を読んでみた。
俺は今日の今日まで、そのページをマトモに読んだことがなかったし、
そこへ何かコメントを書き込んだ・・・投稿したことも一度もない。
一ファンであったとしても、哲也さんと直接に言葉をやりとりするなんて
俺にとっては オソレオオイことだし、
何より、現在の哲也さんの姿。”LIVE”そのものを
まだ一度も見ていない人間として、
BBSの”ページを開いて読む”という参加行為すら俺には許されなかった。
そんなふうに特別に思うほどのことでもないかも知れないけど、
それほど、”神聖な存在”の一人が、”伊丹哲也”という人。俺にとっては。
・・・なんか、オタク系のストーカーのような心理(?)
に通じる部分もあるかも知れないが、
そういう意味ともちょっと違う。
   
自分は何なのか? 
   
という、これからの時代を生き残るための、俺のキーワード。
これまでも幾つかのページで理屈をごねて使ってきた。
   
生きることは 限りなく義務の遂行でしかない。
   
ということも。
また、
   
夢は実現するために 理想は自分に勝つためにある。
   
という、俺のモットー。
   
どこかの自己啓発本に出てくるような、そういう格言のような一行で
唐突に並べてしまうと・・・どうにも安っぽい言葉になっちまうけど、
俺のページをアクセス拒否してる方々には
”恐怖”(脅威)を感じさせている・・・かも知れない。
別に、どうってことないけど、
自分を飾れば飾るほど、
俺の存在を煙たがって、俺の何かを否定すればするほど、
ご本人たちが10年先にぶつかる問題も、スグ目の前に迫ってくる。
俺がやってるわけじゃなくって、
この自然界に生かされている本来の自分自身から外れてるかどうかってこと。
それがハッキリしてしまう。
・・・”カツオ爺さん”て人は、そういう計り知れない力を持ってた。

(自然界を味方につけて・・・ただ、俺のようなアホな使い方はしてなかったけどな。決して)
だから絶対に、嘘の自分が本当の自分からは逃げられなくなる。
すごいスピードでやってくる。
そういう恐いページ、”mind resolve”。
そのつもりで書いてる。いつも。
   
もっとも、俺の云いまわしや物事の解釈、言葉の選び方に
極端な部分も多いので、伝わるべきところが少ないところもあると思うけど、
全体で読んでもらうと、まぁハッキリ云って
「もう関わりあいたくない」
あるいは
「こんなバカ 相手にしてもショーガねぇか・・・」
の、いずれかだと思う。
そういう意味で、引いてしまう読者、
ときどき覗いてくれてる”警戒模様”のみなさん。
「・・・仕方ない」といえば仕方ない。
その方々に、どうしてもらいたい という要求、要望もない。
ただ俺の性格的に「来る者は拒まない」けど、
一度、相手側からのアプローチがあって
勝手に「去る者を追わず」というわけにはいかない。
直接的・間接的に何かをする・しないという三番目の行為に、
”見えない処から心に働きかける”・・・という手段を取る。
生きているうちに必ず、どこかで躓いてコケルようにさせてもらう。
普通の転び方ではなく、かなりキワドイ状態へ・・・。
「面白い! やってもらおうじゃねぇか!」
と云ってきた人も何人もいたが。
見事、百発百中。命を落とすことはないが、
その人生を台無しにしてしまった人もいれば、
そこから立ち上がって、ツバを吐いた自分に反省して生きてる人もいる。
別に、どなたかのように、ネット上で、
サイコマティックな”スキャナー合戦”をやりあうつもりはない。
そういう、おかしなB級映画のような話も、
スグそこまで・・・明日の現実社会に登場してくる可能性もあるけど、
無駄に精神力を遣っても、それが何になるわけでもないし、
俺ほど、”精神世界紛いのコト全般が嫌いな者もいない、と思うので、
ネット上の関わりの中では、”お子さまの味方くん”を最後にしよう・と思う。
(・・・・一種の生贄みてぇなもんか、奴は・・・あぁ、きもちワルクなってきた、オョェっ)
もっとも、ヤタラに学識・学問を積んでしまった人には幼稚に思える内容かも知れないけどな。
   
ただ、それ以外 に、丁寧に コメントくれたり、マジメにTB返信くださる方。
この人たちの持ってるパワーはスゴイ。
(・・・別に俺が俺のことをスゴイと思って云ってるわけじゃないよ)   
何がスゴイって、恐いモノ知らずということではなくって、
”生きる”ということへの情熱が人並みではない。
ハンパな気持ちで生きていない・というか、常に愛情に満ちあふれている・と思う。
   
ごめんなさい、みなさん。
勝手に決めつけたような言葉に当て嵌めたりしてしまって。
   
俺に欠けている部分てのが、ソレだ。
人に対しての思いやり、愛情が、人並み以下。
人間として腐りに腐ってる。
ところどころのページにも、そういう部分があると思う。
まず、”人を憎む”ってことを平気でやってしまう。
一度 憎んだら絶対に止めないし、容赦しない。
自分でやっていて自分でも恐ろしくなることもあるけど、
そこに肉体的なハンディ(?)も背負い込むことになる。
例えば、最近では、その、”お子さまの味方くん”てヤツに対して。
ある意味、俺が とことん幼稚に思えてしまうようなページ・・・があった。
何人かの読者の方が、それをマトモに読んでしまったのか・・・引いてしまった気配があるので、
現在、そのページと幾つかは公開を控えてるけど、
俺自身、何を後悔してるということもない。 
   
ただ、「自分の醜い部分もすべて外へ吐き出す」という意味では、
公開を見合わせている間は、その本人に送ったモノ(呪いのようなモン)が、
自分自身の身体に跳ね返ってくる部分も、多少ある。
全部を出してしまえば ラクかも知れないが、
そんな気味の悪いページは誰も読みたくないだろうし、
間違ってでも、はじめてアクセスしてきた方が いきなり そのページを読んだら・・・
・・・なんて思うだろう 
そういう、”人の気持ちの捉え方”に敏感な人は、モドシテしまうかも知れない。
場合によっては何日か寝込むか・・・・
ソイツが何をやったかというと、
俺が素直に自分の気持ちを書き綴ったページに、
ありがたくコメント入れてくれた内容に問題があった。
俺はともかく、俺の子供と俺の奥さんを侮辱した。たったの数行で。
しかも、この、”伊丹哲也をカムバックさせる会”のコーナーで。
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004918651.html  

どこからアクセスしてきて何処に住んでるかも全部つきとめたけど、
奴は俺から隠れたつもりでいても絶対に逃げ切れない場所にいる。
完全には くたばらないように首の皮一枚で行き凌ぎさせてるってわけ。
漫画みてぇな話だけど。 (・・・あんまり視てしまうとキモイ。自分でも)
   
まぁ、何か人に影響を及ぼす力があるほど立派な人間じゃないんだけど、俺は。
ひとつ云っておくと、俺じゃない別の力を借りてやってしまう。
フツーの人には不思議な(無駄な)特殊能力かも知れないけど、
俺の思い込みや思い過ごしでやってる部分はない。
俺は何かクスリをやってるわけでもなければ、
以前(6~7年くらい前)のような、
精神のコントロールを自滅の道へ導くような弱い部分(自殺願望)を
ある程度は乗り越えてきた。
・・・実際、つながらねぇ話をコジツケテ繋げるのが得意な俺だけどな。
   
で、俺は俺で、こういう自分(人を憎む自分)を嫌い・・・というか、
そういうことを こんな つまんねぇ醜い形で現してしまうのではなくって、
もっといい方向に変えたい。
これには相当な覚悟が必要だったし、これからも必要になる。
   
   
短所を長所に変えた人は、世の中 大勢いる。
たとえば、ビング・クロスビー なんて人もそうだ。
刑務所の中でトランペットを練習して、あのダミ声を世界に知らしめた。
素晴らしき世界』。誰も絶対にマネできない最初で最後の名曲になった。
おそらく、あの歌声から感じられる人間の自由や慈しみってのは、
言葉が通じなくても、誰の心にもストレートに飛び込んでくる・と思う。
曲の最初から最後まで、”自分が生かされているという感謝”でしかない。
ジョン・レノンのイマジンとかも そういう曲だ。
その時その時期、生きている時間の人それぞれの好みもあると思うけど、
聴く人の心を落ち着かせ、どんな狂人も冷静にさせるような曲は、めったにない。
何か尊いモノを表現して、深い哀しみを そういうテンションまで持っていこうとしても、
たとえば、クラプトンの”tears in heaven”や、
U2の”Some Time You Can't Make It On Your Own ”は、
ジョン・レノンのソレや”Wonderful World ”を超えられない。決して。
   
で、実は、”伊丹哲也”という人の中には、そういう”神聖さ”がある(と思う)。
哲也さんの歌う唄にあるのではなく、哲也さんそのものの中にある。
だからいつかきっと、それをそのすべてを一つの歌として形にしてくれると思う。
ご本人は、「最高傑作なんてありはしない」とか、以前、”おれの戯言”コーナーで云ってた。
でも、ファンは、”哲也さんの最高傑作”を知っている。(少なくとも俺は)
「是非、つくってください!」とは誰も望んではいない。
ただ、「いつかきっと・・・」と思ってはいる。
それは期待でも何でもなくて、
男も女も、哲也さんの歌を通して、”伊丹哲也”という人間に惚れている。
(現在の歌や曲作りがどうでもいいってことじゃないですよ・・・また色々と勝手なことばっかだけど)
   
何も隠すことなく、すべてを曝け出して歌いつづけている姿、生き様。
そういうシンプルな、ピュアな部分は、俺ばかりでなく、
現代人に最も欠けてる”素直さ”だ。
   
   
   
そんなことを云って考えてる俺が、
哲也さんのサイトのBBS へお邪魔して
何か書き込んだり、メッセージを残したりはできないでしょ。
それでも、BBSの内容を(ありがたく)読ませてもらってみて
旧くからのファンの方々の言葉やギターの専門的な話のほか、
哲也さんご自身のこと、ご家族のこと・・・
そういう盛りだくさんの中、当然、見えない部分もたくさんあったけど、
単純に俺が安心した部分は、哲也さんの、
「俺はファンに こびたりはしない」っていうことと、
「俺もプロのはしくれだ・・・」という若々しい部分、
また、ミュージッシャンらしく(?)、”マルボロ”を吸ってるってこと。(”労働者のハイライト”ではなくって)
そういうことが(・・・なんてことでもないんだけど)、嬉しかった。
   
   
   
「男は、一歩 表【そと】へ出れば七人の敵がいる」
という言葉があった。
自分が いっぱしの男として一人立ちし、所帯を持ち、
女房、子供もいて、いざ、”自分との闘い”という男同士の世界へ出ると
父親も息子も、右も左も、男という同性は すべてが敵同士。
そういう、”本当のライバル”が、その人にとって生涯、必ず七人はいる。
という意味らしい。
   
ある意味、哲也さんは、そういうところで常に闘ってきた男だと思う。
(・・・スーパーサイア人を超えている。) 
   
俺は一時期、その闘いからリタイヤして今日に至ってる。
寂しいといえば寂しい。
低脳に憎む相手も ”ネットのクズ” じゃ、タカが知れてるし、
そのシッペ返しが自分は愚か、周囲に迷惑を及ぼしてる ようじゃ、
始末に終えない。最低に醜い人間だ。
「この世に要らない者を あの世が必要とするわけもない」というほど。
前代未聞の魂がカ●ワなヤツ。
・・・ご注意! 本来、この世に生を受け、生きている人間の魂に、
悪意や憎悪があったり、何か支障があるということは絶対にない。
「奴は根性が悪い」という言葉はあっても、
人間の心そのものが「悪い」ということはありえない。
人間の魂というモノは常に成長・・・一日一日 利口になっていて、[ 学業や努力とは別に。]
この世で、「悔しい」「チキショー!」「残念・・・」「無念!」と思って死んだ人の魂は、
次に再生されて この世に出てくるまでの、”ある一定の磨かれる時間”が長くなる。
通常、「生きていて色々あったけど楽しかった」などと、すべての義務、役割を果たして、
満足して死んだ人の魂は、次に出てくるまでの時間が短い・・・らしい。

   
でも必ず、這い上がる。
そういう自分の生きる場所を獲り戻そうと思う。
   
応援はいらねぇよ。
このバカな俺が、本当に「もう独りじゃないんだ」って、
心の底から気づけるまではな。