こんな時間が自分の人生の中で巡って来ることになろうとは…。縁と時が積み重なるというのは、言葉にするのも難しいほど凄いことである。
2022年10月9日と10月10日。この二日間のことを、私は生涯忘れることはないだろう。
正直なところ、どこからどのように書き表せばよいのか、また後々この出来事が、更に新たな展開に繋がっていくのか否かもわからない。
ただ、今いまいえることは、全てに感謝の気持ちでいっぱいである、ということだけだ。
40年ほど前、私は細野晴臣さんに手紙を書いた。
叶う事なら、いつか一緒に仕事がしたいと…。
そして20年前。友人であり音楽家の岡野弘幹さんから誘われて『東京サルタヒコ!』というイベントに関わり、私は運営プロデューサーとなったのだが、その催しの監修が細野晴臣さんだった。20年の時を経て思いが成就したと思った。
それから20年経った今年。日本の音楽シーンを50年に渡り牽引されてきた細野さんと、芸能の神様である天河の神様との、再びの縁結びをさせていただいた。
これは、想像を超えたことで、今でも夢を見ているような感覚になる。
1980年代、細野さんは何年にも渡り足繁く天河に通われていたことは、様々な方からよく聞いていた。
この時期に細野さんは、中沢新一さんとの共著
『観光』(角川書店、1985年)を出されている。
『天河』(扶桑社 1986年)という本だ。この本の中に細野さんは次のように寄稿されている。
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天河では、一つの考え方というか、原始的な感じ方、日本人だけじゃなく人間の本来の感覚をよびさまされているという気がしますね。つまり、僕たちが忘れていたことがあるんですよ。
-中略-
それを全部思い出さないと先に行けない時代に来ちゃっていて、その思い出すキッカケとなっているのが天河であって、何かヒントを与えてくれてるんだと思う。
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更に、天河で録音したという『マーキュリックダンス』というCDも出されている。
そしてこの時代、最も大きな祭典となったのが、1989年の天河神社平成の正遷宮である。その前の遷座は287年前の江戸時代初期だったそうで、今の大宮司の人生をかけた一大事業でもあったという。
平成元年に行われた正遷宮の折には、ブライアンイーノや宮下富美男さんなど錚々たるアーティストたちが奉納演奏を行ないにやって来ているのだが、一番最初の奉納演奏者が細野さんだったそうだ。
どれほどのご縁だったのか、それだけでも計り知ることができる。
しかし、その後細野さんは足が遠のいてしまう。
私は天河神社とのご縁が深まるにつけ、大宮司さまや神社の皆さま、そして地元の方々も、どれほど細野さんと再会したい気持ちを持たれているのかを感じらようになっていた。
そして、細野さんご自身も、機会があれば再び訪れたい…という気持ちを持たれていることを、折に触れお話を伺い感じていた。
どうにか、ご縁の結び直しさせていただく機会は無いものかと思っていたそんな時、
天河で長年神事を司っておられた柿坂神酒之祐宮司が宮司から名誉宮司(大宮司)になられるという話を今年の節分祭で伺った。
宮司として最後の護摩をされている御姿を見ながら、
私は細野晴臣さんを天河に再びお迎えして、天河の神様と向き合っていただく時間をつくり、そして大宮司さまと対談していただき、後世に残す珠玉の言霊を、お二人に語っていただこう!
私は瞬間的にそう思った。
節分祭が終わった直後、私は新宮司となられる匡孝宮司様と、神酒之祐大宮司様に自分の気持ちを素直に伝えた。
そして、この日ご神事と奉納にいらしていた岡野弘幹さんに、一緒にこの催しを手伝って欲しいと相談した。岡野さんは、天河で長年奉納演奏されており、細野さんとも親しくされている。以前、岡野さんから大宮司様と誰かの対談を私に企画してもらえないか?と言われていたこともあった。
岡野さんは私の提案に大賛成してくださり、すぐに奥様の純子さんと共に動いてくださった。
3月、細野さんのスタジオに岡野さんと共に伺い、
細野晴臣さんが34年ぶりに天河にやって来られることが決まり、
大宮司との対談前日に奉納演奏も決まった。
春が過ぎ夏が終わり、あっという間に季節は秋になった…。奉納演奏には、細野さんと天河でご縁が出来たという笛奏者の雲龍さん、そして細野さんのお孫さんであるYUTAさんも加わることになった。
コロナ禍という状況と、細野さんが静かに天河のでの時間を過ごしたいという思いもあり、対談参加者は70名。奉納演奏は、対談参加者に加え関係者のみとなった。
静かに粛々と準備を重ね、最後は目がまわるほどの日々となったが、
いよいよ、細野さんを天河へお迎えする日がやって来た。
まずは大宮司様がお待ちになっていたご自宅に向かい、嬉しい再会を果たされた後、
10月9日19時よりご神事が行われ、そして奉納演奏が厳粛に始まった。
最も印象的だったのは、ブライアン・イーノが34年前に天河で作られ奉納演奏に使われ、その後、プレゼントされたという楽器を奏でられたことだ。
天河の神殿、拝殿に響き渡る波動は、まるで浄め祓いの音霊の如くだった。
そして、奉納演奏で共に音霊を奏でられた岡野さんと雲龍さんは、まるで日光菩薩、月光菩薩のようで、細野さんの両袖を守られている仏様のようだと私は思った。
細野さんを天河でお迎えするために、共に走り続けてくださった岡野弘幹さん。その音霊は、愛に満ち溢れていて力強く、そして優しく…
雲龍さんの笛の音色はどこまでも深く美しくかった。
お孫さんと共に天河の神様へ奉納。細野さんにとって特別な時間になったに違いない。
この日奉納舞台の司会もさせてもらったのだが、終わりに私は大宮司様をお迎えした。大宮司様から最後に「本当にありがとうね」と握手を求められ、私は泣きそうになった。
翌日10月10日『かんながら対談』の日。
まずは午前10時に拝殿で正式参拝が行われた。
冒頭にも書いたように、ご神殿に向かい細野さんと並ぶことになり、
私の人生の中で、こんな時間が訪れようとは…有難すぎて今も上手く表現できない。
『かんながら対談』の会場は参集殿だった。
対談の前に、細野さんが34年前の正遷宮で奉納演奏された映像が流され…
そして、いよいよ細野晴臣さんと大宮司さまの対談が始まった。司会進行は私が務めさせていただいたのだがこれまでのお二人のこと、音楽のこと、そして未来のこと…。
会話の中に散りばめられた宝石のようなお二人の言霊と叡智は、まさに日本の宝のようだと感じた。
このお二人が笑顔で並ぶ姿を見ているだけで、世の中に平和が訪れるように感じるのは、私だけだろうか。
そして、この特別な2日間を敢行できたのは、様々な方の協力あってのことだ。
全ての皆々様、そして神様に
心の底から、ありがとうございます、と伝えたい。
天川 彩