幻の王国・加耶(伽耶)に触れる | 天川 彩の こころ日和

天川 彩の こころ日和

作家・自然派プロデューサーである

天川 彩(Tenkawa Aya)が

日々の中で感じたこと、出会ったこと、
見えたものなどを綴る日記です。



居ても立っても居られない久しぶりにそんな感覚になりました。


「九州国立博物館」で特別国際企画展『加耶』が行われていることを知ったのは、会期終了3日前のこと。




更に昨年末には千葉の「国立民俗歴史博物館でも開催されていた、ということも全く知りませんでした。


加耶展の巡回展があるかと思い調べてみたら、これから先は韓国国内を巡るとのこと。さすがにハングルは読めないし。企画展最終日は都内で用事もあるし、残念ながら諦めるしかないかなぁと思った時、ヒラメイタ💡のです!


そうだ!仕事のスケジュールを調整したら、最終日前日なら見に行けるかも!いや、行こう!


そのような訳でその日の夜、即座に飛行機と宿を手配し、翌日には飛行機に乗っていました。


加耶(伽耶)というのは、3世紀頃から6世紀ごろまで古代朝鮮半島南で文化が栄えていた諸国のことです。かつて倭とも大変関係深く、古代日本との繋がりが色濃かった場です。


なぜ、こんなにも私が加耶に惹かれたのか。

それは不思議なご縁が以前からあったからで


加耶は、地理的な範囲は、時期によって移り変わっているようですが、概ね朝鮮半島の南東部にあたるところにあり、現在の慶尚南道(キョムサンナムド)と呼ばれるところを中心に存在していました。


実は、その韓国の慶尚南道の東京事務所の方と私、少しお付き合いがあるのです。


2006年、私が書いた小説『タイヨウのうた』が




後に韓国語版としても翻訳出版されました。



彼の地でもブームになったらしく…2009年、ミュージカル化されるということに。


その時の主催者が慶尚南道の方で、著作権の問題を相談しに現地の行政窓口に行き、そこから慶尚南道東京事務局長さんに話が繋がり、私に連絡があったのです。


著作権の話に関しては出版社に全面お願いすることにして、所長とは日韓関係の話から加耶の話に。


加耶の話を初めて知り、更にかつて加耶の中に任那(みまな)日本府という倭国の一部のような場もあったと聞き驚きました。


ただそれ以上に、韓国と日本の考古学者が共同で発掘調査を行っている最中で、これから謎が解明されつつある、という話しに感激したのです。そんな私に、所長さんは、いつか機会があれば、加耶を舞台にした小説を是非書いて欲しいとも。


以後、慶尚南道東京事務所さんとは、その後も年賀状を送り合う関係だけは続いているのですが、


何はともあれ、それ以来ずっと加耶このとが意識から消えることはありませんでした。


なので、突き動かされるような思いで、見に行ったのです。


それでは、肝心の九州国立博物館で開催されていた特別国際企画展『加耶』のことに触れていきましょう。


加耶は、先に触れたように朝鮮半島南部で概ね3世紀〜6世紀に栄えた諸国を総称した呼び名です。


この企画展では、考古学的に認識可能な、金菅加耶(きんかんかや)、阿羅加耶(あらかや)、小加耶、大加耶の四つの国々が扱われていました。




つまり、かつて日本府が置かれていたともいわれる、任那は考古学的に認識できていないものなのでしょう。それらに関する資料はありませんでした。


ただ、日本列島はちょうど古墳時代にあたる頃。

王陵(王の墓)が盛んに作られているのは、加耶の影響が多分にあったことは、疑う余地もありません。




金菅加耶(きんかんかや)、阿羅加耶(あらかや)、小加耶、大加耶、それぞれの歴史や特徴などはさて置いておくとして、


要するに加耶は、朝鮮半島にあった他の古代国家、高句麗・新羅・百済と戦い、また時に和合しながら、562年に滅亡するまで、古代日本に多大なる影響を及ぼした諸国なのです。


加耶には倭人の痕跡が残り、また日本各地には、加耶からやって来た渡来人たちの痕跡が今も残っています。


4世紀、加耶では日本の糸魚川産の翡翠の勾玉が王の象徴として既に使われはじめ、

その影響で他の朝鮮半島の国々でも黄金の冠についた勾玉が多数発見されています。


(加耶ではありませんが、韓国国宝・新羅王の王冠)


5世紀には、加耶から様々な技術が倭(日本)にもたらされるようになり、


鉄の道具類をはじめ、須恵器や、炊事道具などが加耶から入っています。加耶から馬もやって来たと考えられ、乗馬の技術もその時に入ったそう。




加耶では鉄製の武器や武装具が沢山作られていますが、これは強国に挟まれていることもあり、常に戦いに備えておく必要があったのではないかと考えられています。



また王や有力者の墳墓から、金の装飾品も多数出てきていることから、鉄生産地である利点を生かし、力を蓄えていたことが伺えます。


そんな中、今回加耶の遺跡から発見された銅矛や剣を見た時、出雲歴史博物館で展示されていたものとの類似性に愕然としました。


加耶の遺跡で発掘された銅矛


出雲で発掘された銅矛


加耶の剣


出雲で発掘された剣


思えば、神代の時代とされた時代です。加耶と倭との交流が盛んだったので、当然といえば当然なのでしょうが、


今回、特別国際企画展『加耶』を見たことで、日本の神話が神話の物語ではなく、リアルなものに感じ始めています。



余談ですが、展示されていた土器の中に


「加耶展」で展示されていた「車輪飾り土器」



オフィスTENの事務所で長年飾っている土器にそっくりな土器を見つけ、ビックリしました。



オフィスTENの事務所に20年以上ある「車輪飾り土器」


これは「車輪飾り土器」というもので、二十数年前、韓国・慶州に行った折、たまたま見つけたものです。その独特なフォルムに惹かれ、何に使うのかも不明なまま購入。


ずっと事務所の中に飾ってきました。今回の展示で、この土器の名前もわかりましたが、朝鮮半島南部・独自の祭祀具であることもわかりました。


加耶展に行き、何か新たな目が開いたようなそんな気がしています。


これまで20年以上『縄文』に視線を向け続けてきましたが、ここにきて『弥生』そして『古墳』へと少し視線を向けてみたくなっています。