コンサータより箱庭』
|翠雨PTSD予防&治療研究所
「今は
いじめも結構来てます。
(ブームがあります)
びいだまが結構大事」
にコメントしたので記録。
1. A玉、B玉
ただし、
「瓶ラムネのガラス玉はビー玉ではない
あのガラス玉の正体はビー玉じゃなく
「エー玉」
(出典:知って得する知識サイト)
だそうです。
大量生産のガラス玉も、
QC(quality control)で、
エーとビーに分けて、
適材適所にしている日本の実業界には伝統的な合理主義=科学の精神があるのです。
曲がった木を活かし、そのまま上手に組み合わせて千年もつ木造建造物を普請することができる(適材適所の精神を徹底する合理主義)と宮大工さんたちも書いています。
参考:
小川三夫
『木のいのち 木のこころ 地』
西岡常一
『木のいのち木のこころ―天・地・人』
いずれも新潮文庫。
「曲がった木を活かし、そのまま上手に組み合わせて千年もつ木造建造物を普請することができる」ことをメタファーとして捉えて、
千年もつ社会システムについて考察すると、ルーマン社会学になります。
つまり「曲がった木」は「発達障害者」ではないということです。
教育学部の教授ならば、素人の私らがする程度の考察は、してくださらないと困ります。そうでないと、
ハコモノ大学ですね。
註)ハコモノ大学
「フレンチ・コネクション」ならぬ
「ハコモノ・コネクション」
で構成されている人民の弾圧と支配のツールとしての大学を
「ハコモノ大学」と呼ぶことにしています。
B級にはB級の社会システムにおける機能があるということです。ラムネの栓には、A級ガラス玉しか活用できませんけど。
将来は、学校教育も、ただ真の球形に近づけることを目指すのではなく、異年齢の集団の中で子どもが育つことが教育的だということになってゆくでしょう。
あ* 2015-02-10 14:16:59
2. Re:A玉、B玉
>あ*さん
ありがとうございます。
「びいだま」と書いたわけで、B級品の意味とは知りませんでした。
ラムネとサイダーの内外、合理化の波で消えそうなラムネがレトロブームで復興の話等、興味深く読ませていただきました。
発達障害というレッテル貼りに対して、子どもたちのこころは、歴史的文化的な視座から手探りで掘り下げてとらえ直そうとしているのかもしれないなと思いました。
DSM的思考と対照的ですね。
どちらが病んでいるのかという話です。
翠雨PTSD予防&治療心理学研究所
2015-02-10 14:37:51
これに対して、さらに、コメントしようとしたら、システムの問題で、できなかったので、メッセージでやり取りしました。
『「いじめPTSDのくすり」
コンサータより箱庭』
のコメントにお返事ありがとうございました。さて、そのコメレスに、さらに、
『システムの機能不全を観察して
現象学をしよう。』
に引用した地球上の現生人類が運用している社会システムの機能不全を念頭に置いて、
未来を映す水晶玉ではなく、
ガラス玉…という連想から、
ヘッセの作品を引いて、以下のお返事を書きました。
コメントタイトル:
Re:Re:A玉、B玉…水晶ではなくガラス玉…
コメント内容:
ガラス玉
“Das Glasperlenspiel”, Hesse, 1943年
ヘルマン・ヘッセ
『ガラス玉遊戯』
最後の小説になりました。
最初の小説は、
“Unterm Rad”, Hesse, 1905年
『車輪の下』
でした。
===コメント終わり===
何か、具合の悪い内容を含んでいるでしょうか?
あ*
すると、単なるブログ・システムのエラーということで、
「『ガラス玉遊戯』は興味深いです。
読んでみたくなりました。
びいだまだけで
いろいろ拡充できましたね」
とメッセージでお返事いただきました。ありがたいことです。
遠距離恋愛や単身赴任、放射能汚染地からの学童疎開…
別れ別れに暮らさざるを得ないとき
ネットを介してでも
箱庭遊びを一緒にすると、
心象風景を共有できるのではないでしょうか。
皆さまも、お大事に。
2015年2月12日追記:
『秋吉久美子の長男(35)も
PTSD解離自殺で死亡』
「長男の妊娠を発表した際に
「卵で産みたい」と発言した母親で…註)出生前外傷/出生外傷に配慮してもらえなさそうと懸念される発言。
自分の大事な足場の1つである
家族的無意識をどう理解しこころに収めていくかは
人生の一大事(禅の公案)であり
哲学的難問です。
PTSD予防教育が必要だったのでしょうが、専門家も
この程度ですからね。
本当に罪深いと思います」
本当に罪深いと思います」