東大出身の起業家3名が出した答え
こんなことで納得する?
実は、大学のレベルの低さについて昨日、とあるブロガーさんとやり取りしたところです。
>momoさん
「とち…」がつかない「狂う」は、単純に「常軌を逸している」だけで、他者からは簡単に想像がつかないけれど、当人なりの調子があって、それを一心に追求しているだけかも知れないということで、確かに理解しようとすれば理解できるものです。
それとは対照的に、とち狂うとは「調子外れなことをして騒ぐ」ことであり、集合的無意識の無思想に放埓に従う、頭お留守な集団ヒステリーを表現するのに相応しい江戸時代からの表現と言えそうです。初出が「浮世風呂」になっていました。頭お留守状態なので、「とち狂ってるひとのことは理解の外だなぁ」ということになるのは致し方ないことです。
ところが、ご自分では「正常」のつもりでいるのが、すごいところです。
2015年1月30日:
一部、削除して以下のように追記。
例は、いくらでも、あります。こう書いている私についても、どの程度、「正常」か?…は、私が書いている内容から、各人、ご判断いただけると幸いです。
その流れで、
というコメントをしました。
14 あ*
ハコモノのコネ:
>momoさん
仰るとおりです。だから、日本の学生運動では「大学解体」が叫ばれたと考えられます。しかし、「ハコモノのコネ」とは無関係に学問をしていた大学教員や学生は、敗戦後の焼け野原で行なったように、青空教室、青空ゼミを続けて、ハコモノとしての大学は解体されても構わないし、折角ある建造物は人民のために解放したらいいじゃないの…大騒ぎする必要が、どこにあるの?…というのが本音だったと思います。
要するに、大学教員の質が低いから大学は明治時代からハコモノで、現在に至ります。本当に人類の福祉に役に立つものではなくて、北海道の先住民の人間としての思いを無視して墓を暴いて骨を研究サンプルにしたり「人道上の罪」って何だか知ってる?…と中学生から問われるようなハコモノ大学ということです。
ハコモノ大学は、中にいる大学人にではなく、ハコモノの威厳によって庶民を権威主義で支配する社会的な機能が重視されますので、大学人は誰でも良いどころか、なるべく哲学ができない専門バカを採用して、香山リカさんみたいに解離人格として踊らせて便利に使います。イカ娘PTSDは、権力側にとっては、実に便利なツールなのです。
ハコモノがないと威厳が保てない香山リカさんたちだからこそ、
「ハコモノのコネ」親分と直結しているのも当然の帰結です。
『臨床心理士は……(リンク集)』
http://amba.to/1AHHVs2
http://amba.to/1AHHVs2
に書いておきました。
東京オリンピックでまた、首都圏が破壊されることは間違いないことです。地方都市も、首都圏同様に「土建屋が儲かればいいのよ」という考えなし=頭お留守[解離]状態で「開発」する下心があって石破さんが大臣なのでしょうかね。
2015/01/30 1:03:37
いただいたお返事:
16 momo
Re:ハコモノのコネ:
>あ*さん
不謹慎だったらすんませんが。
都市設計と街の話は以前にも書いたのです。江戸の町作りがいかに理にかなっていたかも考証したんだけどね。戦後の東京が土建屋発想でめたくたになったのもその通りですね。バブル期の騒ぎも見てきたからね。
河川に蓋して護岸で川を壊してしまったし;
欧州の都市設計もざっと眺めてきてそう思いますよ。マドリッドの大通りには百年前の建物も多い。市民戦争時のホテルも壁の銃弾の跡をわざわざ残してあるんだよね。戦争を忘れぬようにね。
註)日本でも、鹿児島では、西南戦争の銃弾痕を残してある。西郷隆盛の評価もまだ、これからの課題と言える。
それは街というのがそこに住む人の文化度と密接に考えられているからですね。
欧州から戻ると、日本の街のあじけなさや人を考えない作りに呆然とするもの。地方都市もすっかり綺麗になってシャッター街に風が吹いている。東京だけでなく日本全国そうなっていますが。
それと、東京に集中する人口問題とか、階級意識の問題もあるでしょうが、オリンピックもすっかり土建屋発想では、まずます住みにくい都市になるでしょう;
2015/01/30 1:40:58
さて、ハコモノ大学ではない大学は、一体、どこにあるでしょうか?
自分で探すしか、ありませんね。
皆さまも、お大事に。
追記:
自分は「正常」だと思い込んでいると危ういというのは、誰でも同じことでしょう。なので、拙ブログでも、
「いちばん、信用できないのは自分」と書いておきました。
科学史を紐解けば、いかなる定説も適用の限界や間違いが必ず見つかりますので、
「いちばん、信用できないのは自分」
というのは、究理のために是非、必要な認識でしょう。
『【批判】 』
「間違いは誰にでもあります。良かれと思っていても、後からその間違いに気付くという事は、毎日、全ての人の中で起こっていることです」