心身を鍛えよう。 | あ~どうしたものか

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社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

努力は必ず報われる? ブログネタ:努力は必ず報われる? 参加中

私はそうとも限らない派!

本文はここから



努力は必ず報われる?
  • 報われる
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種を蒔かなければ実りはない。種を蒔いて丹精しても収穫前に台風でも来て実らないかも知れないので、種を蒔けば必ず報われるとは言えない。それでも種を蒔かなければ実りはない。

結局のところ、他人様のブログにコメント
http://ameblo.jp/raingreen/entry-11452979050.html#c12192713960
したように、

どのような事態に陥っても、最善を尽くせるように心身を鍛えておくと、結果的に誰もが当人なりの発達を遂げ「自己実現」に至る

と考えると妥当なのではないか。

そういう意味では努力は報われるものだ。そして、昇華を焦る気持ちからPTSDを発症することもない。


『オレのせいか?』(http://youtu.be/6Gdd2Bg7Ook)には、夫婦がPTSDで傷つけ合う機能不全家族の様子が示されている。妻は元々PTSDなので「足るを知る」ことがなく、大企業の高給取りで家をポンと買える経済力がない夫に失望し、お父さんみたいになったらダメだと子どもに言い(←配偶者をこき下ろすのは暴言型DVかつ児童虐待の一種で、配偶者だけでなく子どもをもPTSDにする)、そうならないためには志望校合格のために偏差値だと言い、子どもの人格も否定する。

「家庭教育」の隘路―子育てに強迫される母親たち/勁草書房

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母親が既に強迫神経症的すなわちPTSDになっている。こうなったのも人民を偏差値や内申点(http://bit.ly/11hMJlt)で分断すれば管理・統制しやすいとお上が知っていて、そうしてきたからだ。

現実には、今いちばん、サバイバルに適さないのは、青白いインテリなのに、変なことになっているのだ。そこで、偏差値輪切りのトップを集めた東京大学で、岡田斗司夫氏による『アリエッティ』の見方がウケるのだろう。

http://ameblo.jp/raingreen/entry-11506448636.html

ダンテをラテン語で読む青白いインテリ少年の翔くんは象徴的に死んで大人になるのではなく、本当に死んでしまうというのだ。実際、東大生は殺されつつある。子どもの心筋梗塞が起きているのに、セシウム汚染による内部被曝についてオープンに議論されることはなく、若い身空で、わざわざ汚染のない地方から偏差値輪切りの「秀才」として上京して、今、汚染地東京で東大生なのだ。汚染がイヤだから東大を中退して、地元の大学に入り直すかな~と考えられる人はサバイバルに適していると言える。

しかし、一族の期待を背負って上京してきたので、自分の心身の健康を第一に人生を組み立てることはできず、翔くんと同じようにセルフネグレクト(http://bit.ly/12r4N0z)のほうを選んでしまうPTSDなのだ。

というわけで、

PTSDになってしまうと、努力が報われない人生になると言える。


内山登紀夫氏は、あるご夫婦に一人あたり20万円で「大人の発達障害」診断を行ない、PTSDを発症させた実績がある。ご主人の方が花風社社長を脅迫するようになり、逆に花風社社長から訴えられ、訴訟費用がかかるので奥さまがカンパを募っていたという。こういうことをする精神科医は罪作りだと思う。PTSDを発症させて放置すると、患者が解離して犯罪者になるからだ。やはり、問題の核心は「発達障害」ではなくPTSDだということでもある。

ご夫婦は、失業するまでは、ご当人なりに各人、努力が実って発達を遂げ、努力が報われていたのだ。ところが、失業したあと、そんなことになったのは「発達障害が見逃されて適切な療育を受けなかったから」「適切な療育を受けられなかったのは自分らの責任ではないのに差別されたから」と解釈してしまい、世界を恨むようになった(←PTSDの発症)。


発達障害論&発達保障論のいちばん大きく罪作りなウソは、「個人の社会的処遇は社会的な擦り合わせで決まる」という事実を無視していることだ。そうして、結果的にPTSDを発症させたり悪化させたりすることだ。PTSDになってしまうと、認知機能の歪みも生じて、益々社会的な孤立を深め、努力が報われにくく、障害者らしさを増していく。アトウッドの助言に従って、PTSDに対処せず、同世代の「定型発達者」との社会的擦り合わせの機会を制限して保護するようにしてしまうと、社会的予後は最悪だ。もう何としてでも弱みを昇華することによって「英才教育」の成果を出して天才として権力に取り立てられるか、権力に都合の悪い成果を出して障害者として潰されるか、生きる道が極端に狭められてしまうのだ。つまり子育てを隘路にする。この問題を象徴するのが「えじそんくらぶ」の存在だ(http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-185.html#comment3865)。


隘路にしない子育ての可能性については、以前、
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10569075885.html
に書いた。子どもや親の誰に、どういうSensory Processing Disorder/another order があろうともなかろうとも、自分たち家族にとって「みんなが楽しい修行」を模索して家族そろってPTSD発症を予防することだ。そうすれば、「無意識界は豊饒の海である」(神田橋絛治(著)『発想の航跡2』、岩崎学術出版社、 2004年、p.439) ことが生きる上で助けになるだろう。自ら無意識界から出てくるものを受け止めることがポイントだ。