35歳から始める知的な余生を送るための7つの習慣 - 書評 - 知的余生の方法 | 知磨き倶楽部 ~ビジネス書で「知」のトレーニングを!~

35歳から始める知的な余生を送るための7つの習慣 - 書評 - 知的余生の方法


僕らはいったい何のために自己啓発に励み、自己を向上させようとしてビジネス書を読み漁ってまでも頑張っているのでしょう。
まちがっても、ただ現時点の問題を解決したり、ちょっとばかり収入をあげたり……というためだけではないはずです。
他の方がどうかは分かりませんが、少なくとも僕個人としては、最終的に人生全体がいいものでありたい、どこかでそう思っているからこそ今頑張りたいと思っています。

ここで問題となるのは、最後に人生全体がいいものであったかどうかをどう捉えるかです。
7つの習慣―成功には原則があった!』では「自分の葬儀を想像する」ということも言われましたし、「明日死んでも悔いがないように今を生きる」ということを言う人もいます。
ただ、今35歳で可愛くて仕方のない3歳前の息子もいる僕(妻も忘れちゃいけない)としては、どう生きても明日死んだら悔いが残ります。
そこで、そうしたことはいったん頭から追い出し、寿命を全うするほどに生きる(日本人男性の平均としては80歳くらいでしょうか)ことを前提に考えると、やはり「老後=余生」をいかに過ごすかにかかっているように思えます。

僕にとって(そして恐らく当ブログの読者の多くの方にとっても)「余生」はまだまだ想像の先にある世界ですが、いつか来ることを人生設計上の前提にしているのであれば、今から考えておく方がよいに決まっています。
想像の先とはいえ、断片的であれば具体的な「余生」の情景も思い浮かびます。
そこから考えると、こんな「知磨き」なんてブログを書いているくらいですから、少なくとも「知的に過ごしたい」というのは僕にとって極めて自然な想いのようです。

知的な余生を送りたい!: IT機器や文明の利器は増えても、人間の思考や生きることの本質はそうそう変化してはいないと私は考えている。できるなら知的な生活を送りたい、という思いは人の根源的な欲求ではないだろうか。(p.10)

人の根源的な欲求であるかどうかはともかく、僕には間違いなく存在する欲求です。
著者の渡部昇一さんは1930年生まれなので、僕よりも45年も人生の先輩です。
渡部さんが35歳の頃というのは、東京オリンピックの翌年ですから、当然インターネットもなければ、携帯電話もない、やっと新幹線が開通して、さあこれから!という時代です。
その頃と比べれば確実に世の中は大きく変わっているわけですが、ここで書かれているように人間の思考や生きることの本質ということについては変わっていないと思います。
(だからこそ、何年も読み継がれるような人生論を今読んでも得るところが多いわけです。)

本書は、『知的生活の方法 (講談社現代新書 436)』というベストセラーを持つ渡部さんが、80歳にしてなお生み出す、知的余生を送るための方法論です。
80歳にしてなお知的意欲に溢れ、こうした本を世に送るなんていうのは、憧れの「余生」でもあるでしょう。
そこで、ここでは「知的な余生を送りたいという欲求をかなえるために、今からできること」を学んでみたいと思います。


その1 喜んで爺や婆になれるように準備する
老人になったこと、爺や婆になったことを本当に喜ぶためには二つの条件が必要だと私は思っている。
一つは若い時に苦労して働き、一家を支える責任を負ってきたという過去があることである。
もう一つは「家」の制度に信頼感が持てることである。(p.25)
歳を重ねてくると、段々と誕生日を素直な気持ちで祝えない…なんてことも思ったりもしますが、それは普段のいき方に問題があるのかもしれません(反省)。
「余生」を迎える前段としては、自らがその生活に入ることに満足していなければいけないですね。
明日死んでも…ではないですが、今の苦労や責任によるプレッシャーが余生を形作り、人生の質を決めるのであれば、そこはぐっと耐えてやり抜かなければいけないのです。

その2 壮にして学ぶ
大切なのは、「壮ニシテ学ベバ、則チ老イテ衰ヘズ」なのである。
壮年期には、みんな一生懸命働いている。仕事の場では常に学ぶことがある。だから壮年期によく仕事をしてきた人は、学び続けてきたという自覚がある。
ところが、これが案外錯覚なのである。(中略)
一生懸命に働いて定年を迎え、ではこれから何をやっていこうか、と考えた時、ハタと、何も学んでいなかったことに気づく。やることが何も思いつかない。仕事中に学んだことが、その会社や地位を離れた途端に、何の役にも立たないことに気づく。こういうことが多いのだ。これでは壮にして学んだことにならない。(p.30)
ああ、勘違いしちゃってそうな気が…(汗)
「定年退職後に急に老け込む」ということは一般的にも言われていることですし、そのために会社以外の人生を充実させましょうなんてことは今更言われるまでもないことです。
しかし、それでも、この勘違いについてまで指摘されてしまっては、まさに仕事から学んでいるんだ!と胸を張ってきた自信を突き崩されかねません。

ただ、仕事での学びを一概に否定しているわけではないことは触れておかなければと思います。
大切なのは、自分の興味あることを勉強し、それを蓄積していくことです。
それが仕事上の専門分野と重なるのであれば、それに越したことはありません。
何とも幸せな仕事ができていることに感謝しつつ、余生を迎える準備をすればよいのです。

その3 楽しんでやれることを見つける
好きでやっている英文学を、では、「楽しんで」やっているかどうか。楽しむ境地に達しているかどうか。そこが決め手になるだろう。残念ながら、多くの人がそうではない。(p.43)
その2の習慣に通じるところですが、「好き」と「楽しむ」には大きな差があるのですね。
「好き」を仕事にするということは考えることでしょうけれど、それを「楽しんで」やり続けられるか、といえばまた別です。
昔から「趣味は仕事にするな(楽しめなくなる)」ということを言う人もいますが、そこを乗り越えたら一流になれそうですね。
例えば『遊ばない社員はいらない』などの考え方も参考になるでしょう。

その4 健康(フィジカル・ベーシス)に気を遣う
私は、九十五歳まで生きようとこれまで提唱してきた。この提案は、知的生活を送るためには何といっても「フィジカル・ベーシス」(肉体的基盤)が必要だと思うからだ。
どんなに意気込んでも、寝込んでしまっては何もできはなしない。若い頃なら病床の生活が知的にプラスになりうる。しかし老いてからは若い時の何倍も"フィジカル・ベーシス"が重要になる。(p.56)
あえて願うようなことはありませんが、僕はまだまだ病床生活でも知的にプラスになりそうな年齢です。
とはいえ、そうした「若さ」に甘んじて健康を疎かにしていい時期も過ぎてしまったということを、最近頭よりも身体の方が先に認識したようです。
運動する習慣などまったくありませんし、本書でもそれを薦めているわけでもありませんが(むしろ「脳」については言及されています)、そろそろ以前よりも意識しないといけないと思わされました。

その5 「知」の基盤に読書あり
何と言っても読書こそが、脳細胞を知的に磨き、精神を生き生きと甦らせてくれる最も単純にして、手っ取り早い方法だと思う。だから、特に定年退職して時間に余裕のある余生を生きる世代は、率先して読書にいそしむべきだろう。(p.143)
「余生」を迎えてから読書に勤しめばいいというわけでもありません。
読書を楽しむためにはそれなりに頭を作っておかねばなりませんから、今の時点からしかるべき本を熟読しておきたいものです。
ただ、昨今は大変興味深い本がたくさん出版され、「あれも読みたい、これも読みたい」と焦燥感にも似た気持ちを感じていましたが、余生で読めるのだから焦る必要もないか、と少し気を楽にできました(笑)
ちなみに、どんな本でもいいわけではなく、それなりにしっかりした本を読まねば「知的余生」にとっては意味がありませんが、渡部さんのお薦めは『パンセ (中公文庫)』です。
(僕は余生までとっておこうかな…(汗))

その6 付き合う友人を選ぶ
三つ目に大切なことは、教養の差が大きいと、友達としてはつきあえなくなるということ。個人としては教養がいくらあってもいいのだが、友としてつきあう場合には、教養が邪魔になることはしばしばある。(p.184)
教養だけ取り出して語るとかなり嫌な感じがしますが(笑)、それでも真実だと思います。
ちなみに、一つ目はベースになる思想や信条、二つ目は収入・支払能力に大きな差がある人は、やはり友として付き合い続けるのは難しいとしています。
とすると、実は堀江貴文さんが『君がオヤジになる前に』で言っている「友達」に対する考え方と同じなんですよね。
余生に入ってからではなく、すでに今の段階からそういう点を意識しておいたほうが、人生全体に対する満足度が高まりそうです。
(まあ、そもそも「友達」と相互に認識できる人がどれくらいいるのかという別の問題はありますが。)

その7 パートナーとの経験・記憶を積み上げる
知らない世界へ行けば、もちろん楽しいことが多いだろうが、それだけではなく、何かとトラブルが生じたりする。それを二人で何とか解決したりすれば、その記憶は、楽しかった時以上に残るものだ。楽しいことばかりのノッペラボウな人生は、その時は良いかもしれないが、後々の記憶としては薄れがちだ。デコボコがあるから、良い記憶として残る。そうした苦労は「人生の手ごたえ」といえるものだ。(p.191)
だいぶ耳に痛い指摘を最後に取り上げておきます(汗)
ここで取り上げてしまうと、これを読んだ妻からのプレッシャーが強まることは想像に難くはありませんが、それくらいでないと、自分は怠惰に流れることが分かっているので…。
「子育て」は確かに苦労ですが、「二人で」解決するよりも圧倒的に妻が負担している部分が大きいので、それ以外の苦労も二人でしていかないといけませんね(その瞬間はとても嫌なものであることに変わりはないでしょうけれど)。


まだまだ先のことと思っている「余生」のために、今からしておいた方が良いことは想像以上にあります。
先の見えない時代で、年金問題などの金銭的な部分での不安・対策にばかり目が行ってしまいますが、こうした点も忘れずに準備しておかなければ片手落ちですよね。
個人的には、今のままの生活では、知的な余生を送れるか否かに若干の不安を感じましたので、上にあげた7つの習慣を日々の生活に意識していきたいと思います。

タイトル的にはメインターゲットは、既に「余生」に入られている人、あるいは「余生」の到来にリアリティを感じられる人だと思いますが、僕ら世代から始めておくに越したことはありません。
男目線すぎるところが女性的にはどうだろうとは思いますが、刹那的ではなく、長期的な人生のビジョンを描きたければ参考にしていただける一冊になるでしょう。

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■ 基礎データ

著者: 渡部昇一
出版社: 新潮社(新潮新書) 2010年11月
ページ数: 221頁
紹介文:
知的な生活を心がければ、素晴らしい人生を取り戻せる。「知的余生」とは、年齢を重ねても頭脳を明晰化し、独自の発想にあふれた後半生のことである。健全な肉体を保ち、知恵や人徳を生む生活方式、終の住居の選択法、時間と財産の上手な使い方、先人の教えが身に付く読書法、恋愛や人間関係の実践的教訓など。あの名著『知的生活の方法』から三十四年後の今こそ、豊富な教養と体験から碩学が紡ぎ出す、人生の新しい極意。

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【書評】7つの習慣 (2009年9月19日)
まだ間に合う!? 脱オヤジ化を図るための5つの心得- 書評 - 君がオヤジになる前に (2010年11月8日)

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